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幕間
―― いたいの、いたいの、とんでいけ
小鳥になって、とんでいけ
ちょうちょになって、とんでいけ……
少女がささやくような声で歌う。すりむいた傷口から、影の小鳥がはばたき、蝶がひらひらと舞いながら消えていく。
「まだ、いたい?」
尋ねられてうなずけば、少女はまた、同じ歌を繰り返す。
傷口の痛みはとうに消えていて、それでもまだ、優しい歌が聴きたくて…… 「いたい?」 と問われるたびに、うなずいてしまう。
嘘だと、ばれていたかもしれない。
それでも、ノーラはヴィロルフのために、歌い続けてくれたのだ ――
夜明けの空気の冷たさにヴィロルフは目をさました。懐かしい、夢の余韻をかみしめる。
―― 死んだことにされて姓を 『ニーマン』 に変えられ、孤児院に預けられたころ。
間違ってこの世界に生まれてきてしまったのだ、とヴィロルフは本気で信じていた。
ここではないどこかに、帰りたかった。
周囲になじまず、すぐにトラブルを起こすいっぽうで、目を離すと自ら生命を断とうとする少年を、誰もが腫れ物扱いしたし、ヴィロルフ自身、そうされて当然だと思い込んでいた。
だが、ノーラはそうはしなかった。
ほかの子どもにするのと同じように、痛み除けの歌をうたってくれた。いつでも、もういい、と言うまで、ずっと。
―― あのころはノーラだけが、ヴィロルフとこの世界をつないでいたのだ…… 「う゛っ……」
急にほおに入れられた拳に、ヴィロルフは思わずうめいた。
追憶から、急速に引き戻される。
隣では、美しく成長した彼女が、寝返りを打ち健やかな寝息をたてていた。
(寝相が悪いというのは、ほんとうだな)
おかしさとともに、愛しさが胸に込みあげる。
こんなにも温かい気持ちを、知る日が来るとは思わなかった。
やわらかくて心地良いのに、なぜか泣きたくもなって ――
ヴィロルフは、まばたきを繰り返しながら、ノーラの髪をなで、口づけた。
―― さあ、始めよう。彼女がなにも隠さず、なにも偽らず、好きな場所で好きなことを続けながら、生きられるように。
ヴィロルフは意識の一部を風に乗せて、王城に送り込む。
風を自在に操るのも、同時にいくつもの場所に意識を宿すのも、ヴィロルフにとっては造作もないこと。
「起きろ、裏切り者め」
「あ。やっと、きた」
怒りをこめて、眠っていた第三王子の耳元にぶつける。アレクシスは、待ち構えていたかのように目をあけた。
「遅かったね。しかも、実体じゃないし?」
「ひとりにすると、ノーラが不安がるんだ」
「ふーーーーーーーん……」
ものすごく含みを持たせた相づちにイラッとする。
「言いたいことは、きさま、それだけか?」
「あ。ごめん」
「ごめんで済むか。なぜ、ばらしたんだ」
「だってまだ、スープと焼きたてパンとサラダとソテーとチョコレートケーキ、ご馳走になってないし…… うそ。嘘です、ごめんなさい」
アレクシスが白状したことによると…… ノーラの特殊魔法を国にばらしたのは、アレクシスの妹である、末の王女マルグリット。
マルグリットは、アレクシスの自室に遊びにきたふりをして、目を離した隙にノーラに関する調査結果の書類を盗んだのだった。
「それで、あとでマルグリットに、聞いたらさあ…… どうやら、ブライトシュタット公爵令息にそそのかされたらしくて…… あ。やめて。いきなり殺しにいかないで」
「あの野郎に生きている価値があると?」
「いや、王族としては、どうせ殺すなら、いちばん効果的なときにしてほしいかな、なんて」
「知るか」
ブライトシュタット公爵令息、すなわちザルベルトである。
おそらく、ノーラがヴィロルフと結婚したと聞いて怒り心頭、といったところだったのだろう。可愛さ余って憎さ百倍、ヴィロルフに恋しているマルグリットに事情を話し、王族の特権でノーラに制裁を加えさせようとしたのだ。
それに乗っかるマルグリットもマルグリットであるが…… まだ、齢たった9歳。
言葉巧みに思考誘導されれば、ノーラをマルグリットの恋を邪魔する悪辣な女ととらえてしまっても、仕方ないのかもしれない。
ヴィロルフは、ためいきをついた。
「まあ、今回は見逃す。むやみに殺しても、ノーラは喜ばんだろうしな」
「ん? 珍しく優しいねヴィロルフ? なんかいーこと、あった?」
「うるさい。それより、きさま……」
声を低くして、問いかける。
「することは、わかってるんだろうな?」
「もちろん。ノーラちゃんの、特例認可証でしょ? 親に頼んでるから、期待してて。わたしも、ノーラちゃんの歌が聞けなくなるのは寂しいしね、実際」
「―― だったら、許す」
「あれ? それだけ?」
「落ち着いたら、晩餐に招待してやる。スープと焼きたてパンとサラダとソテーとチョコレートケーキのほかに、スズキのポワレとワインもつけてやるぞ」
「ついでにコーヒーも」
「…… 図々しいが、まあいい…… ではな」
去り際、アレクシスからニヤニヤ笑いを含んだ (とヴィロルフは思った) 声で 「お幸せにね!」 と祝福され、 「よけいなお世話だ」 と毒づく。
ヴィロルフは、知らない。
彼が意識を去らせたあとの虚空を見つめて、この、ただひとりの友人が、しみじみとつぶやいていたことを。
「ほんとうに、良かったねえ、ヴィロルフ」
そして、アレクシスは知らない。
このあとヴィロルフが、ノーラの特例認可証を確実に得るために、国王をガッツリ脅しに行っていたことを ――
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