エピローグ(1)

1/1

28人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

エピローグ(1)

 ―― いつも愛していると言ってくださいね    いつの朝も、めざめの歌を    いつの夜も、優しい夢のなか    あなたと一緒に歌いましょう    いつも愛していると言ってくださいね    わたくしが望むのは、ただそれだけ ――  技巧もなにもなく、長く伸ばすだけの音は、情感を込めて、けれど余分なものをはさまずに。  伸ばすほどに腹筋をしめて、音をクリアに上げていく。楽曲のなかに音符と表現記号は無数に使われているけれど、どの1つをとっても、そこに存在する意味があるのだ。  だから、最後の1音まで、決して落とさないように……  架け橋のように伸びていく音の途中から、幕がゆっくりと降りはじめる。幕が降りきるまで、死ぬ気で声を保つ。  床に幕がついたのを確認して素早く息を整え、デュエットの相方と声を揃える。  ―― いつも愛していると言ってくださいね    わたくしが望むのは、ただそれだけ ――  歌の余韻を残した劇場はしばらく、しん、と静まりかえる。それから、割れるような拍手。  私のために作られた歌劇 『泉の乙女』 終幕 ―― 初演の舞台はどうやら、大成功だったようだ。 「「おめでとう!!」」  相方と小さく祝福しあい、握手 …… する前に。  相方の動きが、ぴたりと止まった。 「ちょっと、ロルフ!?」 「それ以上は許可しかねます、お嬢様」  どこからともなく聞こえた声は、続けて、ぶつぶつとボヤく。 「ほんっと、この歌劇、苦行」 「忍耐が試される」 「作る前に脅迫しとけば良かった」 …… etc.  ロクな内容じゃないのに、なんだか、かわいくなって笑っちゃう私も、相当な重症だ。 「でもね、ロルフ。私は愛の歌をうたうときは、いつも、あなたへの気持ちを思い出しているのよ?」  ボヤいていた声がぷつっと途切れ、数瞬ののちに 「…… ずるい」 という、うめき声にかわった。  と同時に、歌劇での相方が動き出し、私は彼と、軽く握手をかわす。  幕がふたたびあがり、静まりかけていた拍手がまた大きくなる。  『ブラーヴィ!』  あちこちで上がる、賞賛の声。  私たちは手をつないだまま立ち上がって、カーテシーをとる。  出演者が次々と舞台に戻って挨拶をし、拍手は、ますます大きくなる。  中央ボックス席にちらっと目をやると…… そこでは、私の夫が、ぶすくれながら仕方なさそうにスタンディング・オベーションを贈ってくれている。    私の特殊魔力が国にバレてしまったあと ――  もう歌劇場には戻れない、と覚悟を決めた。  ヴィロルフはあくまで私をかばってくれる心づもりみたいだったけど、彼に迷惑をかけたくはなかった。  とはいっても、さほど悲惨な気持ちでもない。歌劇場で主演女優(プリマドンナ)として成功し、好きになった人に好きになってもらえて、結ばれた…… それだけで人生、お釣りがくるくらいじゅうぶんだと思った。  あとはおとなしく王城に出頭し、この魔力を国のために使おう。だって歌は、どこにいても歌えるんだから ――  そう考えて、明け方、眠っているヴィロルフを置いて城を出て……  速攻で、捕獲された。 「大丈夫だって俺が言ったら、大丈夫なんですよ」 とか 「あなたは人生じゅうぶんかもしれませんけど、俺がまだまだ足りません」 とか 「あなたが国にとられたら、俺はまず間違いなく国を壊滅させますけど、いいんですね?」 とか説教半分、脅し半分にクドクドと言い聞かされ、ついでに、しっかりと、わからせられた。  いまさらだけど、とんでもない男につかまってしまったものだ……   「じゃあ、仕方ないから追っ手を逃れて地方巡業に」 「そこまでしなくても絶対に大丈夫ですから」  押し問答しているうちに、国王から早馬で特例認可証が届いた。  特例認可証があれば、魔力があってもほかの仕事につけるのだ。魔力持ちは貴重だから、めったなことではもらえないはずなのだけれど…… 「まさか、ロルフ。国王陛下を……?」 「さあ? ノーラの実力じゃないですか?」  あとで聞いたところによると。  あの夜会の前にはすでに、私が実は魔力持ちだという噂が、一部のファンの間に流れていたそうだ。そのなかに有力者がいたらしく、彼が代表となって国に特例認可証を出すよう、要求してくれたらしい。  奥ゆかしい人のようで、名乗りでてはくれないのだけれど…… 誰かわからないそのひとには、とても感謝している。 (ヴィロルフが国王陛下を脅迫したんじゃなくて、ほんとうによかった……)  こうして私はいまも、歌劇場の仕事を続けられている。  支配人と監督は、ヴィロルフに脅されたとき以来、すっかりおとなしくなった。  ザルベルトにいたっては、歌劇場に影すら見せない。なんでも彼は、公爵令息の立場を利用して、賄賂(わいろ)を受け取っていたらしい。  そのことが国にバレて、ブライトシュタット公爵家は爵位を剥奪され、急速に没落していったそうだ。  聞いたときには複雑な気分になった。  ザルベルトは嫌いだったが、真っ先に私のファンになってくれた人には、違いないわけで…… なのに、彼の好意に報いるどころか、少々ひどいめにあわせたまま、終わってしまったことが気にかかる。  うっかりヴィロルフにそう言ったら、ヴィロルフが 「俺のほうが先だった」 とヘソをまげて、それから3日間、執事ムーヴをまったく解いてくれなくなったのは、また、別の話だけどね。    あと、弟子もできた。  なんと国の末の王女殿下で、マルグリット様という。まさか私が、王女殿下の声楽の先生になるなんて……  マルグリット様はけっこうおてんばで、最初は敵視されていた気もしたけど、いまではかなり仲良しだ。 「これもきっと、ロルフのおかげね」 と言うとヴィロルフはいつも 「ノーラの実力だよ」 と返事する。  でもきっとヴィロルフはいつも、見えないところで支えてくれてるんだと思う。  そして見えるところでは、しょっちゅう執事ムーヴをかまして、やっぱり支えてくれている。  つまり、いくら感謝したって、全然足りないわけで…… 「ねえ、ロルフ。なにか、してほしいことある?」  私は最近、よくヴィロルフにこう聞くようになった。たいていの場合、返事は 「別に」 とか 「そばに居てくれるだけでじゅうぶん」 とかなんで、気休めにすぎないけど。  なにかしてあげたいと思っても、なんでもぱぱっとできちゃう大魔法使い様だからね、ヴィロルフは。  だから、私のための歌劇初演の今日も、返事はいつもと同じだろう…… そう、考えていたら。  舞台がはけたあと迎えにきてくれたヴィロルフは、なぜかはっとした顔をして、しばらく黙ってから、こう答えたのだった。 「…… 結婚式」  最凶魔法使い様が、意外と乙女だった件。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加