エピローグ(2)

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エピローグ(2)

「……私ね、結婚式願望、全然ないの」 「知ってます」 「きれいなドレスは歌劇場(しごと)でいくらでも着れるし」 「知ってます」  数日後 ――  私は、ヴィロルフに横抱きされながら、クドクドと言い訳をしていた。  ふたりきりの結婚式。ヴィロルフが頑として譲らなかったのは、私に高価なドレスを着せることだけで……  せっかく、ヴィロルフが望んでくれたことなのに、結局はほとんど私の思い通りにしてしまって、なんだか非常に申し訳ないのだ。 「あとね、私が信じてる神様って、ムーサ(芸術神)だけだから……」 「知ってます…… けど、どうして孤児院なんですか?」  懐かしいですが、とヴィロルフが見回す。  孤児院の裏庭 ―― 昔と同じように、小さな噴水がきらきらと水しぶきをあげ、緑の(こずえ)が風に揺れている。ちらちらと射す、木漏れ日。   「 ―― ここで、ノーラに、痛み除けの歌を歌ってもらいましたね」 「そうだったわね」 「あれ、ずっと聞いていたくて、痛くなくなっても痛い、と言ってたんです、じつは」  気まずそうに白状するヴィロルフに 「知ってた」 と笑いかける。 「えーと、結婚式を、この庭でしようと思ったのはね、ここに、ムーサ(芸術神)が最初に私にくれたものが、つまっているから……」  美しい音楽に出会うとき、私は必ず、この庭を思い出す。噴水、風にそよぐ枝、木漏れ日。ひとつひとつのなんでもない要素が、それぞれに存在する意味をもつ、小さいけれど完璧な世界。  怒りや寂しさをうたうとき、私は必ず、この世界に目もくれずに、ひとりうずくまっていた、狼みたいな男の子を思い出す。  そして恋の歌をうたうときは、その男の子に何度でも、痛み除けの歌をうたってあげたときの気持ちを……  ささやかな欠片(かけら)のどれもが、いまの私の心を作り上げている、とても、大切なもので。  なのに、忘れかけていた。  歌劇場で、実力があるのに認められないと、このまま1度も主演女優(プリマドンナ)になれないまま終わるのかと、不満と不安でいっぱいだった日々のなかで……  この場所をもう一度、私の歌によみがえらせることができたのは、ヴィロルフとまた、会えたからだった。 (再会してみたら、やたらと執事ムーヴをかましたがる、変なひとになってたけど)   だから、私たちの結婚を認めてもらうとしたら、この懐かしい場所にある、すべてのものに ――  そう思っていたのだけれど、説明するのは案外、難しい。  困って黙りこんでいると、ヴィロルフの低い声が、歌のメロディーを不器用にたどりはじめた。  ―― いつも愛していると言ってくださいね    俺が望むのは、ただそれだけ ――  歌劇場の誰と比べても、全然、じょうずじゃない。たどたどしいメロディーと、ちょっとかすれた歌声…… だけど、彼のことばは、私自身が歌うよりももっと、すとんと私のなかに収まった。  そっか…… それで、良かったんだ……  私はヴィロルフのメロディーに、自分の声を重ねた。  歌劇場でお客さまに聞かせるために張り上げる声ではなく、むかし、狼みたいな男の子に歌ってあげていた、風の音や噴水のささやきに似た、声を。  そのまま、耳に口を寄せて、言ってみる。 「愛しているわ、ロルフ」  たっぷり数十秒絶句したあと、私の最凶魔法使い様は、こう答えてくれたのだった。 「俺のほうがその一万倍は、愛していますから」  私たちはそれから、これまででいちばん長い、キスをした。 (おわり)
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