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(1)
東洋の血をおもわせる、黒髪とやや吊りあがり気味の目。良くも悪くも肉のつきにくい、薄っぺらい身体。
こんな貧弱そうで歌えるわけがない。なにしろまず、華がない ―― それが、数ヶ月前までの私の評価だった。
欠点を補うべく筋肉を鍛え、喉をいたわり、朝早くから夜遅くまで練習にはげみ、看板女優でも難しいような高難度のコロラトゥーラを仕上げても…… 誰も、私の歌など聞いてくれない。
みんな、見た目で判断するのだ。
それでも、この年齢 ―― ブライトシュタット歌劇場でも最年長の28歳になるまで居座り続けてしまったのは、単純に、歌劇が好きだからだ。
―― 歌劇場の女優になる娘はたいてい、貴族の愛人狙いだ。母親がバックについて、自分の娘を高値で買ってくれる貴族を探している。
なかには、愛らしい容姿にあっというまに目をつけられ、舞台に立って数日で姿を消す娘もいる。
残った娘たちは、いつの日か看板女優になってパトロンがたくさんついたり、貴族の愛人になって贅沢な暮らしをしたりすることを夢見ながら、舞台の隅に立ち続け…… やがて、見切りをつけた母親に適当な金持ちに売られてしまう。または、厳しい練習と少ない給料に耐えかねて、自ら娼婦に転身する。
こうして、25歳になるまでに、ほとんどの娘はいなくなってしまうのだ。
私は幸い孤児なので、娘で一儲けしようとする母親とは無縁だった。
それもあって28歳の今日まで歌劇場のその他大勢をできていたわけだが…… そろそろ限界なのは自分でも、わかっていた。
ある日の稽古中。私はひとり、監督に呼び出された。
赤い絨毯の長い廊下を歩きながら、私は泣きそうになっていた。
―― いよいよ、舞台に立てなくなる日がやってきた。
おそらくは、やめるか指導にまわるかを問われることだろう。
そうなったら、子ネズミたちの教師になろうとは決めている。
けれど…… もう、あの舞台を作りあげていく一員には、なれないのだ。
―― 練習に練習を重ねて、緊張とともに迎える初日。その緊張が舞台のうえではきりきりと、私を高みにあげていく。別の次元に解き放つ。
高揚感と、自由 ―― 勝手気儘なのでは、ない。私は私が演じている人と同化し、その人として自由なのだ。
たとえ、コーラスでも…… あの感覚は、舞台でしか味わえない。
どんなに報われなくても、私が歌劇場にしがみついてきた、唯一の、大切な大切な理由。
それまでもが、いま、失われようとしている ――
監督室の扉の前で、私はいちど、まぶたをぬぐった。深呼吸して、ノックする。
「失礼いたします。ノーラ・ユィンです」
「入りなさい」
奥歯をかみしめるようにしてカーテシーをとった私に、監督がかけたのは、予想とはまったく違うことばだった。
「おめでとう、ノーラ。次の 『死霊の女王』 は、きみだ」
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