幕間

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 見張っていた部屋の魔力が、急に、高まった……  まずい。  そう判断したヴィロルフは、自身の魔力を、その部屋に残っている自身の痕跡とつなげた。  ―― いかな大魔法使いといえど、転移の術は、自身の痕跡がない場所には使えない。  そしてヴィロルフは、高級ホテルになど、足を踏み入れたこともなかった。貴族たちが楽しくお忍びをするためだけにある、そんな場所など大嫌いだ。  だが、なぜ、いま、そのホテルの一室を見張り、なおかつ、行ったことのないそこに転移しようとしているのかというと……  話は、歌劇場の舞台がはけたころにさかのぼる。  ―― 歌劇場からときどき未熟な魔力の気配がする、というので、友人の第三王子アレクシスとともに、調査がてら、観たくもない美化した自分主人公の歌劇を観に行ったヴィロルフ。  結論を言えば、歌劇じたいは居たたまれなかったが、調査という意味では成功だった。  その夜にデビューしたプリマドンナ ―― 彼女は歌うとき、わずかに魔力を発していたのだ。  魔力は貴族や王族の血筋に宿るものだが、たまに市井にも、それを持った者が現れる。そのほとんどは、毒にも薬にもならない程度の無害なもの ――  しかし、奇跡的に強い魔力を有している場合。彼らは発見と同時に保護されて訓練を受け、国の魔術士として、能力に相応しい場所に配置されるのだ。  ヴィロルフも実際、似たような経緯をたどったひとりである。もっとも、宮仕えは性に合わなかったため、魔王軍の砦を壊滅させたのを最後に辞表を強引に受理させてフリーに転身したのではあるが。  だがそれは、ヴィロルフが誰よりも強い汎用魔力を有していたからこそ、可能であったこと ――  人の持つ魔力には、汎用と特殊の2タイプがある。汎用魔力は訓練次第でさまざまな術が使えるかわり、普通は、さほど強力ではない。  いっぽう、特殊魔力は、限られたことにしか使えない。まれに強い特殊魔力を持つ者が現れたとしても、ほかはポンコツ同然なのである。  つまり、たいていの者は、国家に逆らえるほどに強い魔法使いには、なりえないのだ。  そうして彼らは、一代爵位とひきかえに国のために魔力で奉仕することを、求められる。汎用魔力を持つ者は訓練を積み、適性に応じて軍の魔術師団や魔術研究塔へ。特殊魔力は回復やサポート系のものがほとんどであるため、聖女や神官としての職を与えられる。本人の希望は一切、関係ない。  さて、問題のプリマドンナが発していたのは、特殊魔力 ―― その効果を分析し、ヴィロルフの友人は顔色を変えた。 「精神支配 ―― こんなものが、野放しになっていたのか……!」    このときヴィロルフのなかで、おぼろげだった予測が確信にかわった。  ―― 彼女は、あの孤児院にいた、歌が好きな少女…… 『こもりうたのノーラ』 だ。  ヴィロルフは、本名をヴィロルフ・スヴェン・フォン・ブライトシュタットという。ブライトシュタット公爵家の長男であった。しかし、愛されなかった。  幼いころから、あまりにも強大な魔力の片鱗を見せるようになった彼を、両親は愛するよりも恐れたのだ。  愛されない子どもが他人を大切にすることを知らないのは当然。ヴィロルフは敵対する者を容赦なく攻撃するようになり、 『氷の悪魔』 と忌み嫌われる子どもに育った。  そして弟が生まれた時点で、彼は病気で死んだことにされ、姓を変えて多大な寄付金とともに孤児院に預けられたのだった。  孤児院で彼は初めて、他人から愛され、他人を大切にすることを学んだ。  ことに彼が慈しんだのが、ノーラ・ユィンだった。神秘的な黒い髪と瞳、透き通った歌声と笑顔。  ノーラに精神支配の魔力があることに、ヴィロルフはすぐに気づいた。魔力持ちは魔力持ちを感知するのだ。  精神支配 ―― ことばだけなら、いかにも恐ろしい。けれどノーラ自身は、他人を思い通りに支配しようなんて全然、考えていないことを、ヴィロルフは知っていた。  ―― いたいのいたいの、とんでいけ  ―― もう泣かないで、笑って  ―― みんな楽しく、うたいましょう  ―― おやすみなさい、いい夢を……  歌をとおして発現されるノーラの魔力は、いつも、とても優しかったのだから。  それでも、もし、国にばれれば。  ノーラは危険な特殊魔力の持ち主として、生涯、閉じ込められるだろう。  好きな歌を好きに歌うことなど許されず、利用されるだけ利用されるに違いない ―― それこそ、人を思いどおりに動かし、傷つけるために。  ヴィロルフはノーラの魔力を誰にも気付かれぬよう、封印することに決めた。そのころにはヴィロルフはすでに、己の魔力の使い方を熟知していたのだ。   毎日ノーラの髪を編んであげながら、その脳内の奥深くにある魔力野を、ヴィロルフは慎重に封印していった。イメージの扉をつけ、鍵をかけ、幾重にも鎖を張り巡らす。  勝手なことをしている自覚が、なかったわけではない。だがヴィロルフにはほかに、ノーラの自由を保障する方法を思い付けなかったのだ。  幸いなことに、魔力が使えなくなっても、ノーラの歌は変わらなかった。  ノーラが歌が好きなのも、ノーラが歌うとみんなが優しい気持ちになれるのも、そのままだった。  それからしばらくして、ヴィロルフは孤児院を出た。大陸の魔法学院の奨学生になったのだ。そのさらに1年後、ノーラもまた孤児院を出て、練習生(子ネズミ)として歌劇場の一員になったのだった。  ―― 長くなったが、そういうわけで。  友人のアレクシスが、ノーラの魔力の効果を精神支配だと見抜いたとき ―― ヴィロルフはこの友人に事情を洗いざらい話し、彼女のことを国には内緒にするように脅迫したのだった。 「長年、離れている間に封印が弱まったんだ。俺が機会を見て、封印をかけなおせば問題ない」 「とはいっても、今のきみに、彼女との接点はないだろう?」 「接点なら、これから作ればいい。なるべく早くする」  ヴィロルフは友人を拘束していた魔力の枷をはずし、ためいきをついた。 「アレクシス、あんたを殺すってことになると、さすがの俺も後味が悪い…… だから頼む、見逃してくれ」 「うーん、そうだな…… じっくり煮込んだスープと焼きたてパンで手を打とう」 「俺を甘くみるなよ?」  ヴィロルフの声が怒気をはらみ、凍てついた風がふたりの間を吹き抜けた。 「…… ついでに新鮮なサラダと鶏肉のソテー・レモンソースがけとチョコレートケーキが、この俺に用意できぬとでも?」 「いいや、とんでもない」  アレクシスは、降参の印に両腕をあげて見せたのだった。  こうして、初日の舞台がはけたあと。  ヴィロルフは魔法で姿を周囲と同化させながら、ノーラをストーカー…… ではなく、なんとか接点を作ろうと見守っていた。  パトロンらしき紫スーツの男が得意満面にノーラをエスコートし馬車に乗せたときには、とりあえず男を瞬殺しそうになったが、耐えた。  そのまま、ふたりのあとをつけ、何度も破壊衝動を抑えつつ食事を見守り、爆発寸前になりながらふたりが入っていった部屋をにらみつけ ――  どのタイミングで紫スーツを消してやろうかと思案していたときに、部屋のなかで急速に、ノーラの魔力が高まったのである。 (ここでやっと冒頭に戻る)  まずい、と判断したヴィロルフは、砕け散った封印を己の痕跡として転移魔法を使った。  一瞬でホテルの部屋に転移し、窓から落ちかけていた紫スーツを間一髪で救う。いつ消そうかとは考えていても、ノーラが疑われてしまうような状況で消すわけにはいかないからだ。  腹いせに紫スーツを魔法ではぎとり素っ裸にして全身にルーン文字で落書きをし、床に転がすと……  ヴィロルフは、気を失っていたノーラを横抱きにして、己の城へと帰っていった。 
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