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やわらかで暖かななにかに、包まれている。
ラベンダーとミントの爽やかな香り。
どこかで鳥が鳴いてる。
暗闇の世界に、ちらちらと赤が躍る…… これ、知ってる。まぶたを透かす木漏れ日…… 朝の…… って。
起 き な き ゃ 遅 刻 !
ぱっと目を開くと、私は知らない部屋にいた。
昨晩行ったホテルの部屋かと一瞬、思ったけど、ベッドの天蓋の色が違う。壁紙の色も、かけられている絵も、ほかの家具も…… もっとシンプルだけど、上品だ。
「ここ、どこ」
「俺の城だ」
低く包み込むようでありながら、爽やかさもある、男らしい声。見れば戸口に、知らないひとがいた。ぴったりとした黒のジャケットとトラウザーズが、細身のシルエットを作っている。銀色の髪と狼みたいな灰色の瞳、ちょっと懐かしい。
孤児院でよくお世話してくれた、お兄さんと一緒だ…… あのお兄さん、たしか、ローフって言ったっけ……
って、それはともかく。
「で、あんた誰。私はどうして、あんたの城にいるの? あと早く行かなきゃ、遅刻する」
まくしたてると、狼みたいだった目が、子犬みたいに丸くなった。
「少し、変わったな…… 昔はもっと、おっとりしていたと思ったが」
「当然でしょ。昔って、いつの話…… え、と、もしかして」
ある可能性に思い当たって、つい、どもってしまった。
「もしかして、本当に、ローフ兄さん?」
「久しぶりだな、そう呼ばれるのは」
優しく細められた目は、たしかに、幼いころ私の歌を 『こころにひびく』 と言ってくれたときと同じだった。
「詳しいことは朝食をたべながら話そうか、ノーラ」
ローフ兄さんが言うなり、なにもなかった空間に、食事をのせたテーブルが現れた。野菜のたっぷり入ったスープからは、まだ湯気がたっている。
「魔法みたい……」
「魔法だからな。じゃ、こっち座って」
黒いシルエットが近づいたと思ったら、からだがふわっと浮き上がる…… なに、いつの間に横抱きし慣れてる人になったの、ローフ兄さん。
そのまま運ばれて、テーブルの前に座らせられる。
ふたりきりの朝食が、始まった。
「温めたミルクに蜂蜜4杯、パンにはさむのは厚焼き卵とバター、スープの具は少なめ…… だったな」
「そのとおりです。よく覚えて、いらっしゃいましたね……」
「逆に、なんで忘れると思うんだ?」
「いや普通に…… だって口調が乱暴になってらっしゃるし、なんか、大陸最強の大魔法使い様とか名乗ってらっしゃるし……」
つい先ほど、横抱きにされながら 『いまさら要らんと思うが』 とサックリされた自己紹介が衝撃的すぎて、ナチュラルに敬語が出てきてしまう。あと 『私なんかのことを覚えてくださってるわけが…… そう、ただの気遣いで覚えているフリをされてるだけ!』 という卑屈なこころが前面に出てしまう。
しょせん私は、安物かつ小者 ―― 買ってもらった主役で調子にのって舞い上がっちゃった、その程度だし。
「あっ、そうだ。あの、ザルベルト様…… えーと、紫スーツのひとは? 私、彼に薬盛られたところまでは、覚えているんですけど」
「薬だと……? やっぱり、消しとけばよかったな」
ぼそりと呟くと、ヴィロルフは、ざっくりと昨晩からこれまでの経緯を説明してくれた。
「早い話が、やつの記憶のなかでは、全身に落書きされてイッたことになっている…… 恥ずかしすぎて誰にも話せないはずだし、ノーラへの支援も、そうすぐには、やめられないはずだ。周囲にばらされると、困るからな」
「なるほど…… で、もうひとつ。私が精神支配の魔力を持っている、って、どういうことなの? それでザルベルト様を殺しかけた、って?」
「そのままだ。どうやら、意識的に歌を使うことにより、効力が発現するようだな。俺がノーラの魔力を感知して現場に転移したとき、ザルベルトは自分から窓の外に落ちようとしていた。ちなみにパンツ一丁だった (嘘) 」
「な、なんて恐ろしい……」
「そのとおりだ。正直に言えば、ノーラの魔力は、野放しにするには危険 ―― そこで、だ」
ヴィロルフが何もない空間に手をのばして引っ張る仕草をする。一瞬で、ヴィロルフの長い形のいい指の先には、数枚の紙が握られていた。
テーブルの空いているところに、それを広げる。一番上の紙に書いてある、文字は……
「婚姻届……?」
ヴィロルフは真剣な声と表情で、私に問うた。
「最善の方法は、契約結婚だが…… どうする、ノーラ?」
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