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「お嬢様、おみあしを」
跪いた彼は、椅子に座る私の膝にそっと手を沿わせ、スカートをたくしあげた。
びくん……
大きなてのひらから伝わる熱に、反射的に身体が震える。
「そう緊張なさらないでください、ノーラお嬢様」
整った野性的な顔立ちのなかで、狼みたいな灰色の瞳がくすりと笑んだ。彼の手のぬくもりが、なにもつけていない膝を優しくなでまわす。
「お膝にはクリームをしっかり塗っておきませんと。万一、ささくれなどありましたら、絹の靴下が破れてしまいますので 「もう、がまんできない!」
私は勢いよく、立ちあがった。
不意をつかれた男の顔が、こっちを見てる…… いやちょっと待て。
そこで目を潤ませるのは、ずるい。
彼は短い銀の髪をかきあげ、切なげにためいきをつく。
「まだ、俺という執事にお慣れいただけないとは 「いや、あんた 『最凶魔法使い』 でしょ」
「こちらの仕えかたが、足りぬせいなのでしょう 「いや、むしろ仕えてとか言ったことない」
「これからもいっそう、心を込めて誠心誠意、お仕えするようにいたしますので、どうかお嬢様……」
彼は立ち上がると、私を軽々と抱っこして座り、膝の上に置いた。だからやめれ、言うてるやろが。
もがいてみるけど、がっちりホールドされていてびくともしない。
彼はその姿勢のまま、絹の靴下の片方を手にとり、私の耳に口をつけてささやいた。
「はやく靴下をはかれませんと、夜会に遅れてしまいますよ」
「…… なんで、こうなった……」
「なにをいまさら」
冷たい灰色の瞳が、またかすかに笑む。
と、同時に、ルーン文字の螺旋が私と彼のからだにまといつくように、浮かび上がった。
「この俺との契約結婚に同意したのは、ノーラ・ユィンお嬢様。ほかならぬ、あなたではないですか」
「うう、たしかに……」
「ではお嬢様、はやくおみあしを」
指先が優しく脚をなぞる感触が、なんだかゾクッとしてしまう。
ほんと、なんで、こうなった……
なすすべもなく靴下をはかせてもらいながら、つい思い出すのは2ヵ月ほどもまえ……
私に、歌劇女優人生初の主役が舞い込んできたときのことだった。
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