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 7年前に出会い、史子の日常をひっ掻き回したSEのトッチャンボーヤこと津村達樹の姿は今も強く、深く、彼女の記憶へ刻まれている。  細身で背が高く、意外とルックスも悪くないのに、社内の友達など誰もいない。  ひどく無口で引っ込み思案、基本的に人づきあいが下手くそ過ぎるタイプだ。言い換えれば、典型的な陰キャ。  なのに史子の何処が気に入ったのか、仕事を口実に恐る恐る近づいてきたかと思えば、蚊の鳴くような声で話しかけてきて……。  正直言って、第一印象は最悪だ。  顔を真っ赤にし、緊張に両頬をピクピク痙攣させつつ、一言話す度に舌をかみかける様子は挙動不審者そのもの。おまけに、荒目の鼻息で下心見え見え。  あんた、どんだけ女に慣れてないのよ?  優しくするにも限界があり、罵倒と大差ないセリフを何度言わずに呑み込んだか分からない。だから無視していても良かった。  相手にさえしなければ、それで良かった。  良かった筈だった。  親しく言葉を交わし始めたのは何がきっかけだったっけ?  忘年会ですぐ隣に座り、延々と愚痴を聞かされた記憶なら、うっすらとある。  史子も相当酔っていたし、あくまで大人として、社会人としての礼儀で相手をしただけだと思う。  でも、慣れというのは恐ろしいもの。  津村のあまりの真剣さに、袖にしたら可哀そう、と思う気持ちがいつの間にか生じていた。  何かと不器用で徹頭徹尾しょ~もない反面、裏表のない真っすぐな物腰に何時しかほだされ、つい笑ってしまった隙にデートへ誘われて、何となくOKする流れができた。  かくして、二人の交際が始まったのだ。史子の好みのタイプとは正反対なのにも関わらず……。 「そいつ、最初のデートで、その安物指輪をあたしにプレゼントしたのよ。信じられる? いきなり指輪」 「うん、確かに……重いかも」 「その辺、全然わかってないのよね。あなたは綺麗だと思います、って、言い終わるまで五回もかんでた。言うに事欠いて、さ。自分のルックスがどうか、な~んて、あたしが一番良く知ってるわよ!」 「いや、それは……」 「常識として間違ってンだ、まったく」 「ウブな彼、だったんですね」 「い~え、ど~しよ~もないボクネンジンです。キジン、ヘンジン、ウチュ~ジン」 「フフッ」 「でも、あたし、自分から誰かを好きになる事はあっても、真剣にコクられるのは初めてだったから、やっぱり……」 「嬉しかった?」 「まぁ、そりゃ……一応……」  史子がほんのり頬を染めて俯くと、ウサギこと亜理紗は繊細そうな笑顔を見せた。  平凡な顔立ちだからこそ、その澄んだ瞳は率直な思いを映し、清楚な美しさを際立たせている。  彼女のお陰で場内の客も、今は静かに史子の話へ耳を傾け、殺伐としかけたムードが和らいだようだ。  アライグマ・田宮、トラ・純司、ネコ・咲枝にせよ、ひとまずツッコミを控え、様子見モードに入っていた。  その傍らでは、キリンの神父が何となく居心地悪そうに下を向き、カメの奏者も鍵盤上の指を休めている。 「つきあい始めて、三年経った頃、そろそろ結婚しようか、ってムードになったの。私、33才で女の大厄だったんだけど」 「……大厄って何?」 「あ~、今の若い子は知らないか……まぁ、その……おみくじの大凶をまる一年引きっぱなし、みたいな」 「……運が悪くなる年?」 「まぁ、そんな感じ。実際、ついてなかったわ。新型感染症絡みの経営不振で勤めていた会社が自主廃業しちゃった」 「えっ!?」 「別にあいつのせいじゃないのにさ。プロポーズ直後だったから、変なプレッシャーが掛かったのかな? あの根性無し、柄にも無い無茶をしたの」  フンフン頷きながら徹也が史子の指輪を台座へ戻すと、今度は俯いていたキリン神父が横から手を伸ばす。何のつもりか、安っぽい銀の光沢を感慨深げに眺め、天井からの光にかざして凝視する。  その仕草を横目に、史子は亜理紗へ向けて言葉を継いだ。 「彼の昔の知り合いがね。似たようなドン詰まりの境遇で、一緒にパソコン教室を開かないか、と持ち掛けてきたのよ」 「今時、パソコン教室?」 「高齢者対象って言うけど、うまくいく訳ないよね。で、案の定、達樹がサラ金に借金して投資したら、相手はお金を持ち逃げした」 「うわっ!?」 「私も借金の連帯保証人になってたから、きっつい取立てを食らい……最後は母さんに泣きつくしかなかった」 「彼氏はどうなったんですか?」 「改めてお金を稼ぎ、私を幸せに出来る日まで合わす顔が無いってさ。プィッと何処かへ消えちゃったわ」 「……ショックだったんですね、その人も」 「今頃、何処でどうしているやら?」 「……もし戻ってきたら、どうします?」 「色々考えてる」 「色々?」 「八つ裂きにしてやろうか、それともナマスに刻んで荒川へでも放り込んでやろうか……」  グッと声のトーンが沈んだ。  溜めに溜めこんだ史子の怒りが溢れ、そのド迫力に圧倒されたのだろう。  ギョッとした様子のキリン神父は指が強張り、つい持っていた指輪を床へ落としてしまう。慌てて拾い上げた途端、今度はその肩口が台座の端っこに当って大きく揺らいだ。 「わっ、やばいっ!」  これまた大慌ての徹也が台座へ飛びつき、倒れる寸前、身を呈して支えきる。  たかが手作りの祭壇一つ。  そのモーションは余りに大袈裟すぎると史子には思えたが、何故か酷く青ざめた亜里沙の口からも細い吐息が漏れる。  やはりホッとした様子のキリンが銀の指輪を安定した台座へ戻し、玉代の結婚指輪と並んで其々が淡い光を放った。
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