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 聴取のため、常磐大学に来ていた門叶と錦戸は、講師陣から話を聞いたものの、どれも似たり寄ったりで確証に繋がるものはなく、小休止を兼ねて食堂で珈琲を注文していた。  十四時を過ぎると生徒の数もまばらで、二人の存在に興味を抱く視線もあまりない。  門叶は砂糖を三本も入れる錦戸に眉根を寄せながら、彼の健診結果を覗き見たのを思い出した。  赤で印字された要再検査の文字。それで本人もようやく自覚したのか少し前から禁煙を始めた。しかし、今のように糖分を多量摂取すると、今度は別の項目でひっかかるかも知れない。  門叶は老体を心配しつつ、喉まで出かかったお節介を飲み込んで愛用の手帳を捲った。 「手首を切断して持ち去るのは、証拠を隠したかったと推測出来ても、かなり乱暴なやり方ですよね」 「被害者の首からもアルコールが検出されたしな。消毒薬か何かで指紋を拭き取ったんだろう」 「完全に指紋は消えないけれど、指紋採取は無理でしたね。裏庭で見つかった血痕は被害者のものでも、側に残っていたゲソ痕は、量販店で大量に販売されてる男物の靴だったし」  それらが見つかったのは、遺体があった裏庭の場所より更に奥で、地面は雑草で埋め尽くされ、枝が幾重にも交差して鬱蒼とした場所だった。  入り込むほど陽の光は届かず、日中でも薄暗い林のようで、目的がないと足を踏み入れる人間などいないだろう。 「でもキドさん、あのゲソ痕、なんか違和感ありませんでした?」 「歩幅だろ。サイズの割には狭かった。重いもんでも持って歩いたのか——」 「ってことはやっぱり男ですよね。重い物ってのは遺体か——」  言いかけて口を真一文字に結び、門叶はさっき話を聞いた女生徒の言葉を思い出した。 「此本さんと仲の良かった女生徒が言っていた、彼女の好きな人って、不倫相手ってことですかね」 「どうだろうな」 「好きになってはいけない人って言ってたじゃないですか。しかも年上で……」  手帳を開いては閉じを繰り返し、古参に同意を求めてたが、珈琲を啜るだけで彼は何も言わない。  憶測を口にしないのはいいとしても、ちょっとくらい会話を成立させてくれてもいいのにと、やるせなく前髪を掻き上げた。 「それにさっきの女生徒が聞いたって言う、『あの人を止めないと』って千歳さんが言った言葉。彼女は誰を止めたかったんでしょうかね」  懲りずに話題を振ってみたが、「一服してくる」と、席を立って錦戸は食堂を出て行ってしまった。禁煙は一ヶ月持たなかったらしい。 「健康診断、またひっかかりますよ」  いそいそと喫煙所へ向かう背中の後を、門叶はゆっくり追いかけた。  煙草か糖分の二択なら、どっちがマシなんだろうと考えていたら、食堂の入り口で出会い頭に学生とぶつかってしまった。 「あ、すいませ——」「いえ、こっちこ——」  弾かれるよう同時に謝罪した門叶は、相手の顔を見て一驚した。それは向こうも同じで、切れ長の眸が思いっきり見開かれている。 「り……つ」  門叶が呟くと律が何か言いたげに口を半開きにし、でも直ぐにその唇は閉じられてしまった。 「……ここの学生だったんだ」 「……はい」  伏せ目がちに応える律の横にいる、不機嫌な顔の存在に気付きながらも、門叶は懐かしさを隠せずにいた。 「誰だよ、このおっさん」  問いかけても律の視線が門叶に向いていたのが気に入らなかったのか、横の彼はプイッとその場を離れてどこかへ行ってしまった。 「えっと、それじゃ——」 「あ、律。もう……大丈夫……なのか?」  去って行く背中へ咄嗟に声をかけていた。けれど律からの返事は背中越しに、頷かれただけに終わった。 「……そっか。あれから三年、いや四年は経つもんな。でも大丈夫ならいいんだ。それじゃ、元気で。また事件のことで来るとは思うけどね」 「事件? も、もしかして刑事だったの?」  律が勢いよく振り返り、瞠目している。 「そ、そう、刑事だよ。あれ、言ってなかったっけ。律も学校であんなことがあっちゃ落ち着かないだろうけど——」 「あ、あの!」  てっきり素性を伝えていたと思っていた門叶の言葉は、縋るように叫んだ律の声で遮られてしまった。 「あの……あの時は……迷惑かけてすいませんでした。ちゃんとお礼も言ってなくて、俺——」  つっかえていたものを吐き出すような口調で、深々と頭を下げる律にホッとし、門叶は以前より少し高くなった肩に手を置いた。 「……よかったよ、元気そうな顔が見れて」  気不味さはあっても成長した姿を嬉しく思い、門叶は律に別れを告げると食堂を後にした。  門叶を見送りながら、律は何もかも失った春の嵐の夜を思い出していた。  漆黒の闇に吸い込まれるよう、風に攫われてしまった桜の花びらたち。  律の全てと言ってもいいほどの、愛しい存在を奪って行った日に見た桜嵐(おうらん)の景色は、何年経っても鮮明に覚えている。  儚げな花びらが舞う空を思い出していた律は我に返り、湊の姿を探して横に座った。 「悪いな」と言ってトレーをテーブルに置くと、不機嫌顔でカレーを頬張り、「さっきの刑事だろ。なんで?」と、湊が目も合わさずに聞いてくる。  無視されて腹を立ててるのか、湊が面白くなさそうに舌打ちをして睨んできた。 「どう言う知り合いだって聞いてんだ。何で刑事がお前のことを呼び捨てにしてんだよっ」  怒鳴ったかと思うとすぐ目を逸らしてしまう湊に苦笑した。  きっと、この後は唇を尖らせる。ほら、やっぱり……。  予想通りの湊を微笑ましく思い、口元にくっ付いている米粒を取ってやった。 「……あの人とは、俺が高二の時に知り合ったんだ」  門叶とぶつかってしまったドアの辺りを眺めながら、律はポツリと言った。 「高二? 刑事と? 俺、初耳だけど」 「話す必要もないと思っていたからな」 「何だそれ。で、親し気に名前で呼ばれてる理由ってなに」  カレーをたいらげた湊が荒々しくスプーンを皿に投げ、腕を胸の前で組んで踏ん反り返っている。全身で怒っていることを示してくるから、今日まで封印していた自身の愚行を話すことにした。 「……俺、自殺しようとしたのを助けられたんだよ、あの人に」 「自殺? お前が? マジで言ってんのかっ」  驚いた湊がようやくこっちを見た。  湊が瞠目するのも無理もない。高校からずっと一緒で、お互いのことを何でも知っている、湊はそう思っていたはずだから。  律は、落莫(らくばく)する心を隠すよう、「本当だ」と言って一笑した。 「……お前、それって——」  言いかけた言葉に律は無言で肯定を示した後、ラーメンを啜った。  ちゃんと言え——。湊の全身がそう言ってきても、律は黙っていた。  溜め込んだ感情を口にすれば、治りきってない傷口のかさぶたは簡単に剥がれてしまうのを知っているから……。
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