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彼女が持つ赤い傘
雨上がりの彼女は目立つ。そして目を引く。
ずぶ濡れなのに、持っている赤い傘は濡れていない。拭いた様子はない。傘としての役割を放棄しているようにも思える。
彼女は自分が濡れているのを気にしている様子はない。
決まった道順を歩いて、決まった場所で立ち止まって・・・。傘を前に出す。彼女にだけ見えている者に話しかけてから、傘を大事そうに抱えて決まった道順で帰る。
雨上がり、彼女が持つ”赤い傘”だけが濡れていない。
僕は、彼女に話しかけることにした。僕の想像が間違っていることを・・・。祈って・・・。届かない祈りだとわかっていても・・・。
「ねぇどうして傘を差さないの?君が濡れてしまっているよ?」
「え?だって、傘が濡れたら抱えられないよ?」
「そうだね。でも、傘は君を濡らさないようにするものだよね?それにさっきまで雨が降っていたよね?」
「そう?気が付かなかった?今は、あの時と同じ雨上がり?」
「え?」
「ありがとう。教えてくれて!私、今が雨上がりだと気が付かなかった!」
彼女は僕に笑いかけてからいつものように歩き始めた。
僕は慌てて彼女の後を追った。確かめなければならない。彼女のためではない。僕のためだ。わかっている自己満足なのだと、彼女からしたら迷惑なことだろう。わかっている。わかっている。わかっている。でも、もう・・・。止められない。
彼女はいつもの場所で止まって、来た道とは違う路地の先を見つめる。
「まい。お姉ちゃんに傘を貸してくれてありがとう。もう雨も上がったから、大丈夫よ」
彼女は、見えない誰かに話しかけるように傘を差し出す。
誰も受け取ってくれないとわかると、彼女は持っていた傘を大切に抱えてから、いつもの道に戻る。
「その傘は、妹さんの物なの?」
「え?」
「だって、さっき、お姉ちゃんに貸してくれて・・・。と、言っていたよね」
「そう。私の妹。優しい妹。私が傘も持っていないからと、パパに買ってもらったばかりの大切な傘を貸してくれた・・・。まいに、返さないと、いつまでも、まいとパパとママが帰って来ない」
「・・・」
「ママに買ってもらった、私の傘は学校で盗まれちゃった。だから、まいが傘を貸してくれた。私が濡れて風邪をひかないように・・・。だから、傘を畳んで、まいに返さないと・・・。あの日と同じ雨上がりの今日なら・・・。ほら、あの日と同じで虹が出ている!まいとパパとママが来る!」
道路に飛び出そうとしている彼女の手をとっさに握ってしまった。
「危ないよ」
「どうして?」
「・・・。そうだ。大切な妹さんの傘が車に轢かれたら壊れてしまうよ。大切な物なのでしょ?」
「え?あっ・・・。うん。そう。まいが欲しがった私の傘と同じ”赤い傘”。パパがまいに買ってくれた。私にはもう何も残っていない。この赤い傘だけが・・・。だから、まいに返さないと・・・。あの子、意地っ張りだから・・・。もう大丈夫だと知らせないと、受け取ってくれない。私は大丈夫。濡れても風邪なんか・・・。だから、まいに返さないと・・・」
「・・・」
「ねぇ。私、大丈夫だよね?笑えているよね?パパもママもまいも居なくなっちゃったけど、私、大丈夫だよね?」
握った手を握り返されてしまった。
僕には答えられない。
彼女から父親と母親と妹を奪ったのは、僕の父だ。
事業に失敗したと思い込んだ父は、母と兄を殺して、帰宅した僕を殺して自分も死のうとした。僕は、殺されたくなくて必死に逃げた。父は、僕を車でひき殺そうと無謀な運転をした。
ハンドル操作を誤ったのかよくわからない。雨上がりで路面が濡れていて滑ったのではないかと警察は言っていた。
僕は父親が運転する車から逃げることができた。でも、代わりに姉を迎えに来ていた、一組の家族の両親と幼い子供の命を奪った。
僕が逃げ出さなければ、彼女の両親と妹さんは死なずに済んだ。
僕が、彼女の両親と妹さんを殺した。
僕の贖罪は終わらない。僕の行為は善行ではない。ただの自己満足だ。
彼女が、雨上がりに妹さんに傘を返せるまで、僕は彼女と一緒に過ごすことを決めた。彼女が望んでいるのかわからない。でも、僕にできるのは、彼女の話を聞くことだけだ。
雨上がりの虹が奇麗でも、彼女の目には映らない。
彼女の目には、雨上がりに両親と一緒に彼女を迎えに来る妹さんしか映っていない。
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