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最近
このところ、いろんなことが漸く片付いて「このちょっとの時間に何をしようかな?」と思うことが増えてきたので、この隙に少し記録をつけていく。
そうしようと思うに至ったのは、どこかに記録しとかないと忘れることが多いから。諸々の効率化のため。
一方で、以前よりも自由に使える時間が極端に少ない傾向にある。そんな中でも手持ち無沙汰な時間と余裕がちょいちょい出てきたので、また何か書いていきたいなと思ったりもするから。
何か書き留めておくにしても、何もここでなくともとは思うんだけど、ブログやらプラットフォームやらのアカウントを今更態々作るのも面倒だし、そこまで大袈裟なものでもないし、ここならどこからでもいろんなデバイスで接続可能で見返しやすいし、いい感じに細々と潜っていられるので。
ではなぜ公開状態にするかといえば、このところ『最後まで考える』ということをあまりしなくなったと思うから。
単なる独り言でも、単に頭の中に置いておくのと、書き留めるのと、それから最終的に客観的に読める程度まで纏めるのでは、頭の使い加減がまるで違う。
頭の中にある内は、それらは単なる瞬きに過ぎず、書き留めるに至って漸く言語として意味を成し、文章として綴ることで大袈裟に言えば初めて理屈として形を成し、人目に触れる可能性のある形態に至って客観性を帯び、読み返せるる状態にすることによって、時にそれらから再考に値するかもしれない価値というものが生まれる…かもしれない。等と考えてみたりする。
というのも、先日ある試みを計画し進めていく段階で「そうだわ、これ十年前にも同じ事考えてて、しかも結論も付いてたんだった」と思い至ることがあったから。思い出すまでに結構甚大な時間と労力を無駄にした。記録大事。ちゃんと付けとかないとこうなる。こういうことも今ちゃんとメモっとかないと、何年後かにまた同じことするからな。
ただ、前述の事柄に至っては、結論は十年前と同じなんだが、多少の外的要因によるデータの蓄積と更なる経験則が加わったために、前回の結論に沿った幾つかの変更と修正によって別の案が導き出せたので、全く無駄ではなかったが、記録があれば、もう少しは時間が節約できただろう。
そういうのも含めて、小さくではあるけれど、創作日月誌の続きとして、ここに24年度からの日月誌を置いておく。
繰り返しになるが、これは独り言である。自分の足しになることしか書かないと思う。
人生は単純に計算しても三万日もない。今現在の私に残されている日数は、ざっくりとその半分程だと見積もれるが、それだって実際のところ確実にあるものだと保証されているわけではない。明日終わるかもしれないし、そうでなくても今と同じに健康で、比較的望むままに動き過ごせるだろう日数は見積もりよりも更に短い。かなりシビアなタイムスケジュールが必要になる。ウロウロと述懐している余裕はない。如何にそれらの時間を楽しむかを考えた時、考えておかねばならない言い訳が幾つか必要なのだと考えた。
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