ちょっと山で修行over

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ちょっと山で修行over

 しばらく創作SNS系の更新を絶っていたが、このところ思い出し思い出し更新し始めている。とりあえず、書きかけになっているものを完結させるのが目標。  とはいえ4年というのは長いものではあるけれど、自分的には創作から離れていたというわけでもなく、なんとなくではあるがただ描いていた。何か描くのは楽しい。だがどこかにアップするのが面倒臭い。だが、ただ描いているだけという状況にあると、創作のスタンスも合間になってきて、漫画なら『自分が楽しいシーンだけ描けば好い』『苦手なシーンは置いておこう、なんなら背景も要らない』『描きやすいポーズや表情だけ描いていられれば好い』という傾向になる。その状態が続くと、あまり楽しくなくなってしまう。作品として成立しないのは勿論のこと、そこから上達など望めるはずもない。上達しないから楽しくないというのではないが、何かしら攻略するものがないと励めない性分でもある。  小説なら校正もしないから日本語は壊滅的に変だろうが、その変さにさえいつまでも気づく事はないし、誤字脱字は今以上に凄まじく、永遠に未完のままだろう。漫画なら、コマ毎に曖昧な顔絵があるだけで、おそらく繋がった話にならないだろう。  一応まがりなりにも人目に晒される可能性を考えたなら、それなりの体裁を整えようと思うし、何よりも後で自分が描いたものを見返した時に満足度が全く違う。誰も読んじゃぁいないけど、それでもそう言う想定の許で描くといのは重要だ。アップしたことで、どういうわけか後々気付かされることもあったりするから侮れない。  だが、このところというか、ざっくりこの4年はずっと迷ってる感じ。ただ描いていられれば好いと思う時もあれば、どこかにアップするかしまいかと迷うこともしばしばだ。  少なくとも4年前には『しない理由』が幾つもあった。リアルが忙しい。仕事とか多方面の雑音とか、人間関係、家族の病気、猫のこと犬のこと。それでもなんとなく描き続けていた。というか描くことだけが楽しみではあった。その瞬間があまりにも純粋な喜びであったために、その状態を快適だと思ってしまったんだ。  発表の場を求めたり、誰かに見てもらえたり反応があれば嬉しいし励みになるだろうと思う時もあるけれど、反面、以前の様にコメントのレスに追われて寝る時間もなければ、創作する暇もないとなっては本末転倒に思え、それを恐れることもある。上手くやり繰りできればいいんだが、それだけやっていられれば好いという訳ではないから難しい。  上述のようにアップしたことで得られる気づきもあり、それによって完成度を上げたいという欲もある。  それで今になって、いろんなことが片付いて、手漉きになってくると、なんだったんだろうこの数年…って気になってる。描き続けていた漫画も、時間と労力の無駄にしか見えない。言わずもがな無け無しだった文章力は、更に退行している。睡眠時間を3時間にまで削って、なんのためにこんなに描いたんだろう?って脱力する。忙しくていろいろキツかった時は、描くことだけが楽しみだったのになぁって感じだ。というか、あれだけキツイ中でよく描いてたなとさえ思う。なんか今は真似できないや。  先日、ちょっと使いまわせる素材はないかと過去作を漁ってみたけど、まったく使えねえ。知ってはいたけど、それでも自分のかつての認識を遥かに上回るお粗末さに泣いた(泣いてない)。まぁ…それなりに一生懸命描いたんだけどね、と思うばかりだ。 どこでもクリエーターさん達はみんな優しいから公開すれば何かしら褒めてくれたりもしたけれど、褒められれば楽しかったし嬉しかった。今だって勿論うれしい。だけど今更ながら悟った。褒められてのびる子じゃないのね私。笑。 結局、良くも悪くも自分次第なんだな。  でも昨日のお粗末があるから今日のお粗末がある。4年前のお粗末をお粗末だと感じられる私は、4年前よりちょっとは賢くなったお粗末さんだ。 それもこれも、細々とでも描き続けてきたからだろうと思っておくことにする。まあ、無駄じゃなかったんだよ。出来るならば、今日のお粗末も一年後のお粗末さんが見た時に、泣けるほどお粗末であることを祈る。そうでなければ、甲斐がない。気が遠くなるようなお粗末の連続の先に、もうちょっとだけ賢くなったお粗末がいる筈なのだ。ぐだぐだ言ってもしょうがないので、ベストを尽くして明日のお粗末を待とう。  こんんだけ長文を綴っておいて、何をまとめたかったのか忘れた。
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