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奥城君代は一人暮らしのワンルームの部屋で、机に向って何か書いていた。
少し前までは仕事の後の夜や休日に、そうやって机に向かって熱心に創作をしていたのだが、それも次第に間遠になり意欲が枯渇したのか、書くことがほとんどなくなっていた。
そんな彼女が久しぶりに背中に集中力をうかがわせて書いていたが、それは以前のような小説ではなかった。
小説を下書きする時と同様にノートにボールペンで書いているそれは、不穏な内容の手記だった。
「中学の時、私はいじめを受けました。それは集団的なリンチといった悪質なものではなく、数人による嫌がらせのいじめでした。
そういったいじめは世の中にいくらでもあり、学校や教育委員会などに報告しても重大ではないとスルーされるのは目に見えていて、私自身でいじめを無視する努力をして、何とか乗り越えました。
しかしそのいじめ体験は思いのほか心に深い傷となって残り、私はその後遺症(トラウマ)にずっと苦しみました。
出来ることなら、いじめた人たちを藁人形で呪いたいとまで思い詰めました。
けれどもそんな陰湿な方向に走るのではなく、自分を高めることで克服しようと考えを改めました。
私は前から本を読むのが好きで文章を書くのが得意だったので、小説を書くことを始めました。
初めのうちは発表して読んでもらうことで満足していましたが、やがて認められたい、そうすることでいじめた人たちを見返したいと思いようになり、雑誌の新人賞などに応募しました。
しかしプロへの道は険しく、私は自分の力不足を痛感するに至りました。20代の半ばに小説家への夢をあきらめ、その後は一般事務の仕事をする平凡な毎日でしたが、時折過去から現在にフラッシュバックするいじめの記憶が、このまま敗北者として生き続けるのかという疑問を、心の片隅に集積させていきました。
そしてそれが平凡な日々の不満と自己否定と混ざりあって、ついに病的な形をとるようになりました。
それは、自殺願望でした。
脳に巣食って正常な心を冒していく。自殺への道筋以外、見えなくしてしまう。
もはや私の生活は、自殺を目的とし、照準をそれに合わせてしまいました。
Xデーは明後日の午後5時。
S線のK駅で。
私のパッとしない人生を、打ち上げ花火のように終わらせたい」
時刻は夜の8時半を回っていた。
夜が更けるにつれ、1人の部屋の静寂はそれ自体の重苦しい音質を押し付けてきた。
ともすると悲観的に聞こえる静寂を避けるように、君代はラジオをつけていた。
テレビもあったが、テレビの音は煩わしいので、もっぱらラジオを耳障りでない音量でつけていて、
夜中じゅうつけっ放しにすることもあった。
今、FMラジオはクラシックの時間で、クラシックの控え目な音が好きな君代にとって格好のBGMになっていた。
「パパパパ」という歌声に君代は一瞬手を止め、今日はオペラの特集なのかしらと耳を澄ませた。
曲はモーツァルトのオペラ「魔笛」より、パパゲーノとパパゲーナの二重唱だった。
2人の明るい歌声が、君代の耳の奥にしばらく残っていた。
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