雨の日と月曜日の響

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 ぽつりぽつりと、ビニールが雨粒を弾く音がする。寝転がった地面の、土の香りが匂い立つ。僕は目を開けた。透明の雨除けのビニールに水滴が落ちては集まって、雨水がビニールに弛みを作っているのが見えた。  葡萄畑と民家の間の、一メートルもないようなその隙間が僕の秘密基地だ。葡萄畑には雨除けのビニールが掛かっていて、ついでに僕の秘密基地の上にも掛かっている。それは葡萄畑の持ち主の人が好意で掛けてくれた訳ではなくて、作業をする時に通路として使うから。  だから本当は僕の秘密基地は僕だけのものじゃなくて、本当は葡萄畑の人の土地だ。僕はいつも他人の私有地に侵入していることになる。だけど僕の居場所は家でも学校でもなく、両手を広げたら塀に手が付いてしまうほど狭い、この場所だと思う。  僕は秘密基地に寝そべった。ビニールの向こう、遠くの方で葡萄畑の持ち主の人が仕事をしている声が聞こえる。葡萄畑の持ち主の人は僕の同級生のお父さんだ。苗字しか知らない。葡萄畑の持ち主の人は、僕のことを目にしても何も言わない。またいるな……と言う目で見るだけで、私有地に侵入していることを咎めることもない。それがまるで野良猫に接するみたいで、僕は心地がよかった。  僕はランドセルをギュッと抱えて丸くなる。頭がズキズキする。天気が悪い日に頭が痛くなることを、気象病って言うらしい。気圧の低い日の僕はきわめて動物的だ。身体の少なくとも半分が地面に接していないと、生きていけない。だけど周りの大人はそれを僕の甘えだと言う。  病院の先生が言うには、自然界だと気圧に弱い生き物の個体は雨の日には洞窟の奥とか森の中とか、落ち着く場所でゆっくり過ごすらしい。だから僕が気圧に負けてしまうのだって、自然なはずなのに。  どうして人間は、全員がずっと元気な想定で計画を立てるんだろう。学校とか、仕事とか、どうしてほとんど毎日行かなきゃいけないんだろう。毎日行かなきゃついていけないのは、しんどい。雨の日にはいつも頭が痛くなってしまうお母さんも、今は薬を飲んで仕事に行っている。  最近のお母さんはずっと疲れている。お父さんがいなくなって、働きにいかなきゃいけなくなったから。毎日僕より早く起きて、僕より遅く寝る。  お母さんは毎日朝ごはんとお弁当を作って、働きに出る。僕が学校をサボって、こんなところでゴロゴロしている間にも。お母さんは仕事中携帯の電源を切っているから、学校から連絡がいっても出ることはない。学校に行く途中でおなかが痛くなったから帰ってきたの、と留守電を入れておけばいい。  僕はスマートフォンを開いた。時間は十一時四十五分。もうすぐお弁当の時間だ。水色のお弁当袋に、お母さんの努力が詰められている。僕はお弁当箱を開ける。お母さんが作った味が毎日違う卵焼きと、赤いタコさんウインナー。マヨネーズのかかったブロッコリーと、日替わりで詰められる冷凍食品。僕は坂道を落ちて行かないように、弁当袋の上にそっと蓋を置いた。  お母さんのお弁当が美味しいかと聞かれると、少し困る。毎日食べているとちょっと飽きがくるし、毎日味の違うよく分からない何かを食べるよりは、冷凍食品の方が美味しい気がする。でもあったかい晩御飯の方が好き。たまにハズレの日もあるけど、それでも残すとお母さんが心配するから、僕は()()()で箸を口に運んだ。  空になったお弁当箱を袋に戻して、僕は横になった。昔は雨の日になると、お母さんと一緒に一日中ベッドで過ごした。狭いシングルベッドに二人寝転がって、雨音と一緒にお母さんが歌っているのを聴くのが好きだった。僕が帰りたいのはあの頃の狭いベッドの中だと思う。お母さんのいない家はがらんとしていて、なんだか居心地が悪くなる。この秘密基地の距離感は、あの狭いベッドと、とてもよく似ている。  目を閉じて雨音に耳を凝らす。ビニールに当たった雨粒が弾けて流れていく音がする。今日は小雨だから音も小さい。大雨の日は濁流のようにビニールの上を流れていく。時々葡萄畑の持ち主の人が、思い切り叩いて溜まった水を落とすのを見掛ける。もしその場に通りがかったら、車が水溜りを跳ねるどころではないくらい、濡れてしまうだろう。  僕は鼻歌を歌う。お母さんがよくベッドで歌ってくれた曲。でも僕は曲のタイトルも、歌詞の意味も知らない。それは外国語の歌だったから。だから僕は音とリズムだけをとる。  お父さんがいなくなった、あの日からずっと。お母さんが歌うのを、僕は聴いていない。
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