雨の日と月曜日の響

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 お父さんは僕が小学生になった年に家から出ていった。お父さんがいなくなってからお母さんはとても落ち込んで、落ち込んで、でも僕のためにどうにか立ち直らなきゃいけないって踏ん張って、雨の日も薬を飲んでお仕事に行くようになった。それをさみしいと思う気持ちはあるけれど、僕とお母さんが二人で暮らしていくためには仕方がないことなんだ。なにせ僕はまだ働くこともできないし、料理もできない。  記憶の中のお父さんは周りの大人と一緒で、雨の日になるとぐったりしている僕とお母さんに甘えだと言った。時には雨の日に遊園地に連れて行こうとしたりした。遊園地なら雨の日でも喜んで行くだろうと思ったらしい。だけど、僕は泣いて嫌がった。せっかく遊園地に行くのに雨の日ではぐったりして楽しめないと思ったから。それ以来お父さんが遊園地の話題を出すことはなかった。  お父さんは周りの大人のほとんどがそうであるように、相手を喜ばせるためにしたことには素直に喜ぶべきだと思っている。遊園地へ行くことに僕は喜ぶべきで、それができない僕は悪い子なんだって。でも僕は、見返りを求める方がおかしいと思う。好きなことと嫌なことを混ぜると、好きなことでも嫌いになってしまうだってある。お父さんが遊園地に誘ったのが晴れの日だったら、僕だって喜んだのに。  お母さんはお父さんが出て行ってから、さみしそうな顔で笑うようになった。僕がお母さんが仕事に行ってさみしいと思う時よりも、何倍もさみしそうに。お父さんはなんで僕とお母さんを置いて出ていったんだろう。お母さんはお父さんのことが好きで好きで、大好きで、きっと今も愛しているのに。  僕はランドセルの底でいろんなものの下敷きになったプリントを取り出した。 「自分の名前の由来を調べて発表しよう」  プリントには今日の日付と時間が書いてある。お弁当の時間が終わって昼からが発表の時間だった。  名前はこの世で最も短い呪いなんだって、誰かが言ってた。  (りずむ)。それが僕の名前。名前の由来を聞いて発表する授業は、小学校に入って二回目だ。僕は一回目の時にお母さんに聞いた。  それは今日みたく雨の日だった。お母さんは今よりも早く家に帰ってきていて、晩御飯を作っていた。お味噌汁の匂いがしたのを覚えている。 「あなたが生まれたのも雨の日だった。だから(りずむ)って名前にしたの」 「どうして、雨の日だと(りずむ)なの?」 「雨の日は遠くの音がよく聞こえるの。澄んだ空気の中に伝う音の響きが綺麗でしょう。だから漢字を響にしたの。お父さんは雨の日に、雨粒が落ちる音のリズムが好きだったの。二人とも雨の日が好きだったから、二つの意味を込めたの」  そしてお母さんは最後にギュッと僕を抱きしめた。僕がランドセルをギュッとする時と似たような強さで。  ひょっとして、あの時お母さんは泣いていたんだろうか。今日の僕みたいに。  そのあと僕はお母さんが言った意味を噛み砕いて、原稿用紙のマス目からはみ出るほど大きな字で書いた。 「ぼくのなまえはりずむです。かん字で郷音(はみ出て二マスになってしまった)とかきます。ぼくは雨の日にうまれました。雨の日は音がひびくから、かん字は響とかきます。読みかたはりずむです。雨の日に雨つぶがおちる音のいみです。お父さんとお母さんが雨の日がすきだから、この名前になりました」  この発表をした時僕たちはまだ小学校一年生で、まだみんなよくわかっていなかった。だけど四年生になってもう一度名前の由来を発表することになって、みんな辞書で調べることができるようになったから。  教室でみんな言うんだ。僕の名前は間違ってるって。  どこにもないんだ。どんな辞書を探しても、お母さんの言う意味が。  僕の名前の由来を聞いた時に感じたうれしい気持ちまで、間違いなんじゃないかって思ってしまうんだ。  だから僕は、僕がいることも、間違いなんじゃないかって思ってしまうんだ。  お母さんは、本当に僕のこと好きだったのかな。本当はお父さんの方が好きで、お父さんと暮らしたかったんじゃないかな。  僕のせいで、お父さんは出て行っちゃったんじゃないかな。
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