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俊と心音が付き合い始めて数週間。
心音は早くも俊に不満を持っている。
家が隣で生まれた日も近いため、きょうだい同然に育った心音と俊。今さら良い子ぶる間柄ではない。
不満や改善してほしい点は、その都度話し合っている。
今も俊の部屋で正座をして向かい合う、心音と俊。
「ねぇ……私、前も言ったよね?」
「……なにを?」
「どうして私が怒ってるか、わかる?」
「……いや…………?」
首を傾げる俊。
心音はため息をつき、俊をキッと睨みつけた。
「友達に私たちのこと、なにもかも話さないでって、言ったよね」
「言ったっけ?」
「言った! 前も! 言った!」
叫び、両手で赤く染まる顔を覆う心音。
せっかく、ここから片道二時間程かかる小諸駅で待ち合わせ、寒い時期はあまり混んでいないという小諸城址懐古園でデートしたというのに。それを自分からベラベラ喋るなんて信じられない。知ってる人に遭遇しないようにってわざわざ遠出をしたのに、これでは近場でデートするのと変わらないではないか。
「いや、だって相談した手前、報告は必要だろ?」
「……ちょっと待って。相談って、なに?」
「だからー、あいつらにどこか良いデートスポットないか訊いたんだよ」
「訊かないでよぉ……」
「えええ……」
「そういうのは自分で調べてほしいんだけど」
「えええ……」
「つーか、お前だって友達に相談とか……」
「…………」
ふたりの間に沈黙が流れ、心音は視線を彷徨わせている。
「……ごめん」
「謝らないで……虚しくなる……」
「……なんで俺とはこんなに喋れるのに、他のやつとはマトモに話せないんだよ」
俊はため息をついた。
「うう……」
心音は極度の人見知りなのだ。俊以外とは挨拶するのがやっと、という程の。当然、俊以外の友達はいない。いたこともない。高校デビューは、する勇気もなかった。
「私のことはともかく……ほんと、私とのこと、色々話すのやめて」
「ええーなんで?」
「なんでって……」
心音は俊を見つめた。
ただの幼馴染から彼氏彼女の関係になってからというもの、手を繋ぐことすら出来なくなってしまった初々しいふたりだが、この先、付き合っていくうちに、それなりに色々あるだろう。
そのワンステップごとに相談や報告されるなんて、まっぴらごめんだということをこの男は理解できないのだろうか。
「なぁ、なんで?」
「それはその……す……とか……そのうちするかも……だし……そういうの他の人に知られるのはその……」
心音の声がどんどん小さくなっていく。
なぜこんな恥ずかしいことを説明しなければならないのだろう。
「なに? 聞こえないよ」
「自分で考えてよ、バカッ!」
叫ぶように言ってドアに向かう心音。
「あ、おい、心音!」
俊は心音の腕を掴もうとしたが、間に合わなかった。ドタドタと階段を駆け降りる音が響く。
「なんなんだ、あいつ……」
灯油ファンヒーターが、ひとりになってしまった部屋の温度を上げていく。
「自分で考えて……ねぇ……」
眉間に皺を寄せて腕組みをし、うんうん唸っても答えは出なかった。
※
心音は困惑している。
昼休み、図書室に行こうと渡り廊下を歩いていたところ、俊の友人である瀧川に声をかけられ、中庭の隅に連れて来られたからだ。
蝋梅や梅、桜などが植えられており、人目につきにくいため、告白や内緒の話をするときによく使われる場所でもある。
同性相手でもマトモに会話したことがないというのに、今目の前にいるのは異性。しかも瀧川は心音とは正反対の、クラスの中心人物。
心音は肩を窄め、カーディガンの袖口をぎゅっと握りしめた。
何を言われるのだろう。
もう二月末だというのに、クラスに馴染めないままだから……だろうか。
もしかして、俊との交際を反対しているのだろうか。
もし、そうだとしたら、どうしよう……
逃げ出したいのを必死に堪える心音は、まるで捕らえられた小動物のように、ぷるぷると震えている。
「えーと、あの、ごめんね」
「……?」
いきなり謝られたことに驚き、瀧川に恐る恐る視線を向ける心音。
「俊と古瀬さんのこと、色々聞いちゃったけど、興味本位とか、そういうんじゃないから」
瀧川がバツの悪そうな表情をしているのを見ながら、心音は何かが解れていくような感覚を抱いた。
「あいつ、古瀬さんのことずっと好きだったんだよ。でも、フラれたら何でも話せる幼馴染っていう関係が壊れるんじゃないかって、それが怖くて古瀬さんに告白したくても出来ないって、ずっと悩んでたんだ」
心音はカーディガンの袖口を握る手に力を込めた。
俊もずっと私のことを好きだったことは知ってる。
だけど、同じことを悩んでいたなんて。
そんなこと、知らなかった……
「ふたりが付き合うことになって、俺たちもすげー嬉しくてさ。だから、ちゃんとうまくいってるかどうか知りたくて。それに、相談されると嬉しくて、つい……ごめんね。色々と」
心音は瀧川の顔をじっと見つめた。
眉を下げているが、強さを感じる眼差し。
俊のことを大事な友達だと思っているのが伝わってくる。
俊が大事にされているのを見るのは、嬉しいような気もするし、悔しい気もする。自分には友達がいないから、この気持ちが何なのか、よくわからない。
瀧川は俊と心音の交際がうまくいくことを願っているだけだという。つまり、ふたりの味方ということだ。
そんな人に、こんな風に謝られるのは、よくわからないけど、違う気がする。
何か言わなければならないだろう。
だが、何をどう言えばいいのか、心音にはわからない。
応援ありがとう、は違うし……
「……ぁ……ぁの…………」
心音が金魚のように口をパクパクさせていると、何者かに腕を引かれた。
その人物はバランスを崩しかけた心音を支え、瀧川と心音の間に割り込むと、庇うように心音の前に立った。
「おい、何やってんだよ!」
「俊……!」
友達に向けるとは思えない表情で、瀧川を睨んでいる俊。
「ちょっ、俊、そんな怒るなよ。お前たちの付き合いについて、色々聞いてたことを古瀬さんに謝っていただけだって!」
「……そうなのか?」
俊の問いに、心音はこくこくと頷いた。
「……なら、まぁ……いいけど……」
ぶつぶつ言いつつ、俊は口をへの字にしている。
「ま、そういうことだから。これからは陰で見守らせてもらうよ」
そう言って瀧川は俊の肩を叩き、逃げるように去ってしまった。
「……本当に、あいつに何もされてないんだな?」
「うん」
「そっか」
俊は普段の顔つきに戻り、微笑んだ。
「でも、怖かっただろ?」
まるで幼い子にするように、心音の頭を撫でる俊。
いつもは嬉しいはずなのに、妙な居心地の悪さを心音は感じた。
あぁ、そうか。
俊に甘やかされるのは昔からだし、それをずっと嬉しいと思っていた。
でも、それだけじゃダメなんだ。
「……ねぇ、俊」
「うん?」
心音は、自分がこんなことを思うなんて信じられないと思いつつ、息を吐いた。
「あのね……私、瀧川くんに、失礼な態度取っちゃったかも……」
「あー……じゃあ、代わりに謝っておく」
なんでもないことのように言う俊。
いつもなら、この件はこれで終わりだ。
だが────
心音は俊のパーカーの裾を掴んだ。
このままでは、ダメだってこと、自分でもわかってる。
俊以外とも会話出来るようにならなければ、いつか絶対困る。
心の隅で、ずっと思っていたことだけど、向き合うのが怖くて、見ないふりをしてきたことだ。
「じ、じぶんで……謝る……」
勇気を出した心音の一言に、俊は目を見開く。
「えっ……おい、無理すんな。それに瀧川はこんなこと気にするような男じゃない」
「でも……!」
「心音が謝る必要はない」
「でも、だめなの!」
「心音?」
俊は心音を見つめた。
心音が自分から俺以外の人と話そうとするなんて。
それ自体は喜ぶべきことだ。
だが、なぜあいつ?
まさかと思うが、あいつに惹かれたとか?
いやそんなまさか……
「あとね……私と、どこ行ったとか、それくらいなら、あの人たちに、話してもいいよ」
「えっ?」
「でも、詳しいことは、話さないで」
俊は俯く心音の顔を覗き込んだ。
本当に、何があったのだろう。
もしかして、今ここにいる心音は偽物なのではないだろうか。
「……えーと、なんでそんな心境になったのか、聞いていいか?」
恐る恐る、心音の手を握る。
本物なのかどうかを確かめるように。
「だって、私たちのこと、ずっと前から、見守ってくれてたっていうから……その……なんか、うまく言えないけど、ありがたいなぁって、思ったの。だから……」
ずっと不安だった。
私なんかが、俊と付き合っていてもいいのかって。
俊以外の人とマトモに話すことも出来なくて、人付き合いが出来ない欠点だらけの私は、俊の彼女に相応しくないんじゃないかって。
本当は、ずっと自分を変えたかった。
でも失敗した時のことを考えたら、どうしたらいいのかわからない。怖い。
変えようと思って変えられるなら、とっくに変わってる。
変わりたいなら変わらなきゃとか、そんなことを言う人は、失敗することが怖くて、最初の一歩を踏み出すことができないこの気持ちが、わからないんだって。失敗は成功のもとなんて、言うだけなら簡単だって……
行動しなければ失敗も傷つくこともない。言い訳ばかりして、殻に閉じこもっていた。
でも、私たちのことを見守ってくれている人がいる。
少し恥ずかしいけど、嬉しくないわけではない。
俊と私がうまくいってほしいと思ってくれている。
その気持ちに応えたいと思った。
自分のなかにある気持ちと合う言葉を慎重に選びながら、心音は今の思いを声に乗せていく。
その間、俊は何も言わずに心音を見つめ、耳を傾けていた。心音の手を自分の体温で温めながら。
「……わかった。じゃあ一緒に『これからもよろしくお願いします』って言いに行こう。な?」
「……うん」
学校では見せることのない心音の笑顔に、俊は目を細めた。
正直言って少し寂しいし、こんな可愛い笑顔を他の誰かに見せたくないけど、心音が自分以外の誰かと話せるようになることは、間違いなく良いことなのだ。
そして、変わりたいと自分で思えるようになったことも。
だけど、この手を握るのは、俺だけがいい。
この手はこのままずっと離さないでいたい。
「……行くか」
「うん」
手を繋いで歩き出したふたりの足音に、昼休み終了五分前を報せるチャイムが重なる。
風が吹き、咲いたばかりの蝋梅が揺れた。
春はすぐ、そこまで来ている。
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