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1. 九死に一勝
「みんな……、絶対に仇を討ってみせるからねっ!」
金髪をリボンでくくったアラフォーの女剣士ソリスは、幅広の大剣を赤鬼に向け、鋭い瞳でにらみつけた。
磨かれた銀色に蒼の布が映えるソリスの鎧は、胸元がのぞき、魔法による高い防御力と女性の優美さを見事に融合させている。腰を覆う蒼い裾は、ふわりと揺れるたびに彼女の内に秘めた力強さを感じさせた。長年の手入れで磨かれた革ベルトには、熟練のしっとりとした光沢が宿っている。
グォォォォォ!
ダンジョン地下十階のボス、赤鬼はそんなソリスをあざ笑うかのように、にやけ顔で吠えた。身長三メートルはあろうかという筋骨隆々とした怪力の赤鬼は、丸太のような棍棒を軽々と振り回し、ブンブンと不気味な風きり音をフロアに響かせている。
こんな棍棒の直撃を食らっては、どんな鎧を纏っていても一瞬でミンチだ。ソリスは慎重に間合いを取る。
この地下十階の広大なフロアは、まるで荘厳な講堂のように広がる石造りの地下闘技場だった。苔むした石柱が立ち並び、かつての戦士たちの魂が今もなお息づいているかのような重厚な空気が漂っている。石柱に設置された魔法のランタンたちが柔らかく石壁を照らし、光と影が織りなす幻想的な風景が広がっている。
グフッ! グフッ!
赤鬼はソリスを闘技場の隅に追い込むように、棍棒を振り回しながら距離を詰めてきた。
そうはさせじとソリスは、棍棒の動きを見ながら横にステップを踏み、タイミングを待つ。前回、女ばかりの三人パーティで挑んだ時に、攻撃パターンは把握済みなのだ。
アラフォーともなると力も衰えてきて、同じレベルでも若い者からは大きく見劣りをしてしまう。しかし、そこは豊富な経験でカバーしてやると、ソリスは意気込んでやってきた。
ウガァァァ!
しばらく続いた鬼ごっこ状態に業を煮やした赤鬼が、大きく棍棒を振りかざしながら一気に距離を詰めてくる。
ここだっ!
待ち望んでいた一瞬が到来した――――。
ソリスは猫のように軽やかなステップで地を蹴り、迫り来る棍棒をぎりぎりで掠めるようにして避けると、ギラリと輝きを放つ大剣で一気に腕を斬り裂いた。
グハァ!
赤鬼の呻きと共に鮮やかな赤い血が飛び散る。
ひるんだ赤鬼に千載一遇のチャンスを見たソリス。
「死ねぃ!!」
ソリスは全身全霊をかけ、疾風の如く赤鬼の胴へと突きを放つ。失われし仲間たちの名誉を背負う、魂の叫びの一撃だった。
剣気で光り輝く大剣はまっすぐに赤鬼の躯へと滑り込む。
かつて仲間のフィリアが『ほれぼれするでゴザルよ!』と、おどけ気味に褒めてくれていた自慢の突きだった。
決まった――――!!
ソリスがそう思った瞬間――――。
いきなり視界が暗闇に沈む。ゴスッ! ゴスッ! と身体が砕ける衝撃が襲ったのだ。
へ?
何が起こったのか分からなかった。
ゴフッ!
大量の血を吐いたソリスは、鼻にツーンと生温かい血が流れ込んできているのを感じる。
ぼんやりと戻ってきた視界――――。
そこにはこぶしから血を滴らせている赤鬼が勝ち誇ったようににやけていたのだ。
赤鬼は棍棒を握るのをやめ、素手でソリスの身体に重機のような強烈なパンチを叩きこんだらしい。
棍棒を手放して素早さを出した赤鬼のとっさの判断力の勝ちだった。
ソリスは起き上がろうと思ったが、身体の骨があちこち折れてしまっていて、激痛に翻弄され、また床に転がってしまう。
ふぐぅ……。
この時、イヴィットの矢が空を切る音が聞こえた気がして一瞬ハッとするソリス。
しかし、そんなはずはないのだ。イヴィットはもう喪われてしまったのだから。
「イ、イヴィットぉ……」
今まで何度も窮地を救ってくれたイヴィットの矢はもう飛んでこない。ソリスは喪われた仲間の存在の大きさを痛感しながら、這いずる腕に全身の力を込めた。
ニヤリと嗤いながらそんなソリスを見下ろす赤鬼。
赤く張りのある肌をした鬼神が、その巨体をゆっくりと動かす。
その目には冷酷な光が宿り、唇には残忍な笑みが浮かんでいる。棍棒を振り上げる腕の筋肉が盛り上がり……、次の瞬間、恐ろしい破壊の音が静寂を引き裂いた――――。
骨の砕ける音と肉の裂ける音が、不協和音となって空間に満ちる。その音はまさに絶望そのものだった。
ソリスは、全身が燃え上がるような激痛の中、己の運命の終焉を悟る。
悲壮な覚悟を胸に挑んだボス戦。前回の敗北を徹底的に分析し、全財産をつぎ込んだ増強ポーションで攻撃力も限界まで高めた。体調も驚くほど良く、老いゆく身体を考えれば、戦うのは今しかなかった。
分の悪い賭けなのは百も承知である。それでも、仲間の無念を晴らすと決めた以上、わずかでも勝ち目があるのであれば挑まねばならなかった。それがアラフォーまで二十数年間仲間と一緒に冒険者として人生を紡いできたソリスの矜持である。
しかし、運命に挑むこの壮絶な決意に対し、幸運の女神はほほ笑まなかった。
仇討ちの夢は砕け、無様な最期を迎える冷酷な運命に打ちひしがれながら、ソリスの意識が薄れていく……。
「フィリア……、イヴィット……、ゴメン……」
世渡り下手な三人娘はパーティーを組み、身を寄せ合いながら一緒に暮らしてきた。先日、二人が赤鬼に殺され、そして、最後の一人も仲間に続いて黄泉への旅に出ることとなる。
――――はずだった。
シャラーン……。
どこからか聞こえてくる神聖な響き……。
グチャグチャとなったソリスの骸が黄金色の輝きを纏い始めた。
赤鬼はその見たこともない不思議な輝きに後ずさり、首を傾げる。
骸から黄金色に輝く微粒子がフワフワと立ち上り始めた。
『汝に、祝福あれ……』
死の最期の瞬間にそんな言葉が、ソリスの耳元でささやかれた気がした。
え……?
『レベルアップしました!』
なぜか意識がはっきりとしてくるソリスの頭の中に、電子音声が響き渡る。
はぁ……?
ソリスは何があったのか分からなかった。赤鬼の圧倒的な力の前に砕かれたはずの自分が、今、新たな生命力に満ちている。理解を超えた現象に、ソリスの魂は静かに震えていた。
「ど、どういう……こと?」
ソリスは身を起こして自分の両手を見た。
全身を砕かれてグチャグチャになったはずの身体が、まるで蝶が蛹から羽化するように、新たな身体を得て蘇っている。以前にも増して軽やかに、生命力に満ちあふれていたのだ。
ガァァァァ!
赤鬼は殺したはずの剣士が起き上がったことに不快感を感じ、突っ込んでくる。
「ヤ、ヤバい!」
大地を蹴る足に力が漲る。ソリスの身体が弓のように跳ね上がり、風を切る棍棒の軌道から、まるで舞うように身をかわした。
理解を超えた出来事に戸惑いながらも、ソリスの魂は激しく震える。奇跡とも呼べるこの瞬間を生かす以外ないではないか。
床に転がってしまった大剣に向かって、ソリスは疾風のごとく駆け出した。その手は、運命を掴むかのように伸びていく。
しかし――――。
激しい衝撃が全身を貫き、ソリスはあと一歩というところで大地に叩きつけられた。
見ればガランガランと棍棒も一緒に転がっている。なんと赤鬼は狡猾にも棍棒を投げてきたのだ。
くぅぅぅ……。
体を立て直そうとした瞬間、視界が闇に包まれた。意識が霧の中へと溶けていく――――。
巨大な赤鬼の蹴りが、ソリスをまるでサッカーボールかのように宙に舞わせたのだ。壁に叩きつけられ、天井で弾かれ、床に落ちるソリスの身体からは赤い雫が散っていった。
ゴフッ……。
盛大に血を吐いてこと切れるソリス。蘇生の奇跡も虚しく、ソリスの身体から生命が滴り落ちていくのを今回も止められなかった。
しかし――――。
『レベルアップしました!』
またも不思議な電子音が響き、ソリスの身体に新たな生命の輝きが宿った。
ソリスは驚きに目を見開き、蘇った自分の手のひらをじっと見つめる。
「これは……一体何なの?」
戸惑いの声が漏れる。まるで全身の細胞が目覚めたかのように、体中に溢れんばかりの活力が満ちていた。
グガァァァァ!
赤鬼の咆哮が大地を揺るがす。またも立ち上がってくるソリスに赤鬼は怒りに燃え、襲い掛かってきた。
うぉぉぉぉぉ!!
ソリスも負けじと大地を震わせんばかりの雄叫びとともに、巨大な剣を掲げる。赤い悪鬼への怒りが血管を駆け巡り、仲間への想いが胸の内で燃え上がった。今この瞬間、すべてを懸けて立ち向かう執念がソリスの瞳に宿る。
理性など吹き飛び、ただ一心に、魂の炎を燃やし尽くさんと赤鬼へと突進した――――。
しかし、赤鬼も死に物狂いだった。何度殺しても死なない理不尽なチート剣士に対して不屈の闘志を燃やし、予想だにしなかった底力を見せていく。
結果、赤き悪魔の前にソリスは何度も殺されていった。棍棒で吹き飛ばされ、足で踏みつぶされ、首を引きちぎられ、次々と凄惨な死を遂げるソリス。
だが、何度殺されても終わらなかった――――。
『レベルアップしました!』
「今度こそ! うぉぉぉぉりゃぁぁぁ!」
決意の炎を燃やした碧い瞳で大剣を高々と掲げ、ソリスは巨大な筋肉の塊である赤鬼をにらみつけた。
ウガァァ! ウガァァ!
疲れも見えてくる中、赤鬼は必死に棍棒を振り回し、ソリスに襲い掛かる。
『次に大振りした時がチャンス……』
逆に余裕ができていたソリスは虎視眈々とその時を待った――――。
「ここよ!!」
ソリスは獣のような直感で棍棒を躱し、閃光のごとき剣戟で赤鬼の腕を両断した。
「ギュワァァァァ!」
激痛と共に噴き出す鮮血に、赤鬼の瞳から余裕が消え失せる。
永遠とも思えた殺されるばかりの苦痛の果てに、ついにその瞬間が訪れた。ソリスの胸に激しい鼓動が響き渡る。
「仲間の無念! 受け取れぇぇぇ!」
刀身の剣気が閃き、赤鬼の胴体を一刀両断に切り裂いていく――――。
ゴ……、ゴフゥゥゥ……。
苦痛の呻き声とともに、巨大な赤い体がゆっくりと大地に崩れ落ちていく。
ソリスはその光景を見ながら、まるで現実離れした夢のようで実感がわかなかった。
自分たちを壊滅させた伝説の赤鬼が、今やただの肉塊と化し、足元で息絶えようとしている。その光景はソリスに少なからぬ混乱を呼んだ。
「や、やった……の?」
ソリスは肩で息をしながら、倒れた赤鬼オーガを見つめる。あれほど強かった怪物の痙攣する姿に、言い知れぬ戦慄と興奮が全身を駆け巡っていく。この未知の状況に、ソリスの心臓は狂おしいほどに高鳴っていた――――。
赤鬼は徐々に透けていき、やがてすうっと消え、後には真っ赤にキラキラと輝く魔石が転がっていく。
うぉぉぉぉぉ!
ソリスは両手を掲げ、吠えた。ついに念願の宿敵赤鬼を倒したのだ。かけがえのない仲間たちの命を奪った憎っくき赤鬼を、この手で討ったのだ。
「フィリアぁぁぁ! イヴィットぉぉぉ! 見て、やったわよ!! うっ……、うっ……、おぉぉ……」
ソリスはあふれ出る涙をぬぐいもせず、号泣しながら倒れ伏せる。奇跡的な勝利を手にした。それはまさに最高の一瞬――――なのだが、勝っても仲間は戻ってこない。その冷徹な現実がソリスの胸を締め付ける。
うっ、うっ……。
止まらない涙――――。
ソリスは床に倒れ伏せたまま、涙枯れ果てるまで苦い勝利の味わいに耽る。広間にはソリスの嗚咽がいつまでも響いていた。
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