34. 置手紙

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34. 置手紙

 夜も更け、セリオンからスースーと寝息が聞こえてきた頃、ソリスはそっと毛布から身体をすべり出した。  小さく揺れる暖炉の炎でセリオンの可愛い顔が浮かび上がり、しばらくじっと見入るソリス――――。  この数カ月、セリオンのおかげで夢のような暮らしができた。釣りに狩りに冒険に美味しい食事、それはまさに天国だった。  でも、そろそろ卒業しなくてはならない。女神に自分らしい生き方を見せつけて仲間を生き返らせてもらうのだ。全て終わったら三人でまたここで暮らせるようにセリオンに頼みに来ようと思う。その時は……、正直にアラフォーのおばさんで来よう。落胆されてしまうのは仕方ないが、それでもセリオンは自分を捨てないと思う、多分……。いや……さすがに無理かな? でも、もう嘘はつけない。ソリスは覚悟を決めた目でジッとセリオンを見つめると、最後にほほに軽くキスをして裏口からそっと家を抜け出した。 『ちょっと旅に出ます。必ず帰ってくるから待っててね。ありがとう。親愛なるセリオンへ』  テーブルには置手紙をしたためておいた。          ◇  満月が高く上がる中、ソリスは近くの街リバーバンクスへと急ぐ。途中、翠蛟仙(アクィネル)に解呪してもらおうかとも思ったが、さすがに深夜にいきなり訪れて頼むのは無理がある。それに、困難の多い少女の姿で生きざまを見せた方が、女神にアピールできそうであり、あえてこのまま街を目指すことにした。  数カ月暮らしたおかげで、何となく南の方向に街がありそうなのは分かっている。ソリスは月夜の森の中を魔法のランプを片手に獣道を行く。途中、沢を渡り、崖を降り、道なき道をかき分け、空が明るくなるころ、ようやく道に出た。 「はぁ……、なんて山奥なの。セリオンはどうやって街を往復していたのかしら……?」  レベル125の脚力をもってしても厄介だった山行に、ソリスは首を傾げた。  街道を進んでいくと、やがて川沿いにそびえ立つ立派な城壁が見えてきた。リバーバンクスだ。ソリスは初めて訪れる街に心を躍らせ、久々に感じる文明の息吹に胸が高鳴った。  日の出前だというのに城門には多くの荷馬車が行列を作っている。かなり貿易が発展している街なのだろう。  城門では衛士(えいし)が入城者のチェックを行っていて、ソリスはちょっと緊張した。持っているギルドカードの年齢は三十九なのだ。こんなのは使えない。ソリスはドキドキしながら自分の番を待つ。  しかし、九歳の女の子に警戒心を抱くはずもなく、衛士は(あご)をしゃくって「さっさと通れ」とうんざりした様子で指示し、次の人の書類に目を通し始めた。  胸をなでおろしたソリスは、急いで立派な石造りの巨大な城門をくぐっていく。  そして現れるリバーバンクスの活気あふれる街並み。多くの人が元気に行きかい、馬車がひっきりなしに走っている。真っ直ぐに街の中心部まで続く石畳の大通りの両側には、三角屋根の大きな木造の建物が並び、その屋根から向かいの屋根まで道の上にロープが渡してあり、そこから垂れさがる赤い三角旗が風に揺れて、街の活気を一層引き立てている。  遠くに見える遠くに見える高い尖塔は、教会だろうか? 豪奢な彫刻が施され、この街のシンボルとして堂々と威厳を放っていた。 「ほわぁ……、見事ねぇ……」  数カ月間、山奥で暮らしてきたソリスはそのエネルギッシュな街に圧倒されてしまう。  と、その時、いきなりドン! と後ろから男にこずかれる。 「おい、なんでこんな所でつっ立ってんだよ!! 邪魔邪魔!」  転んでしまいそうになるのを何とかこらえたソリスはムッとして、男を探したが、すでに人混みの中へと消えていってしまっていた。 「な、なんて奴なの!」  憤慨(ふんがい)するソリスだったが、次々とやってくる人混みに揉まれ、慌てて小路に逃げ出した。 「もうすっかり田舎者だわ……」  ずっと四十年近く街の暮らしをしてきたというのに、もうすっかり街での暮らし方を忘れてしまったらしい。ソリスはふぅとため息をつき、目の前にあったカフェにトボトボと入っていった。  天井の高い、広々とした窓から差し込む陽光が、歴史を感じさせるカフェの内部を照らしていた。店内の家具は深みのあるブラウン色で統一されており、レンガの壁が優雅さと温かみを融合させている。  壁の黒板には手書きのメニューが書かれており、ソリスは何を頼もうかとしばし悩んだ。 「あら、お嬢ちゃん、どうしたの?」  カウンターの中から気さくなおばちゃんが声をかけてくる。 「あー、ハムサンドとホットコーヒーを一つ……」  ソリスはトコトコとカウンターまで行くと背伸びして銀貨を置いた。 「コーヒー……? 飲めるの?」  おばちゃんは怪訝(けげん)そうにソリスの顔をのぞきこむ。確かに九歳の子供が頼む物ではなかったかもしれない。しかし、セリオンのところにはなかったので飲みたかったのだ。 「だ、大丈夫です。薄めでお願いします」 「あらそう? じゃあ少し待っててね」  おばちゃんはニッコリとうなずき、コッペパンを切り開くとオーブンに放り込んだ。  ソリスは朝日の差し込む窓際の席に座り、外を眺める。  仕事に向かう多くの人達が足早に石畳の道を歩いていく。みんな眠そうに、でも食べていくために自分を押し殺し、暗い顔でひたすらに足を進めていた。  スローライフをしていた身からすればひどく滑稽(こっけい)に見えたが、思えば数か月前まで、自分もこうやって仲間と一緒にダンジョンへと歩いていたのだ。今ではもう遠い昔の話のようでうまく思い出せなくなっている。  ソリスはふぅとため息をつくと目を閉じ、静かに首を振った。 「おまたせ~」  おばちゃんがハムサンドとコーヒーを持ってきて、丁寧にテーブルに並べる。 「あっ! ありがとうございます。美味しそう!」  お腹がペコペコだったソリスはすぐにかぶりついた。  こんがりとトーストされたパンにハムと野菜が芳醇なハーモニーを奏でる。そして追いかけてくるチーズの旨味――――。 「あれ……?」  頼んでいないチーズが入っていたので、ソリスは驚いておばちゃんを見上げた。 「オマケだよ! お嬢ちゃん、親御さんは?」  おばちゃんはニッコリと笑う。 「え……? あっ! 親は……居ないんです……」  ソリスは一瞬何を聞かれたのかピンとこなかった。親のことなんて最後に聞かれたのは二十年以上も前のことであり、アラフォーにもなった今では親なんてもうどうでも良くなっている。  孤児院の院長によると、自分は早朝に孤児院の前にバスケットに入れられて捨てられていたそうなので、顔どころかどんな親なのかもわからないのだ。子供の頃は親を恨んだりもしたが、今となっては、親にもいろんな事情がある人がいるので気持ちは分からないでもない。産んでくれただけ、殺さずにいてくれただけでも感謝はしたいと思うくらいだった。
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