篠突く雨

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篠突く雨

 私が赴任してきたこの国は、小さな国だった。  若くも政に優れた王と美しい王妃がいて、なだらかな丘の上に質素な館があった。あれは城と呼ぶにはあまりに慎ましく、砦と呼ぶには堅牢さに欠けた。雨の多い国ではあったが、民は穏やかで、よそ者の私にも優しかった。  この国に来て、二度目の雨期に入る頃。  ようやく私にも部下ができたものの、私たちの仕事と呼べるものはほとんどなかった。城下町のパトロールをしても、部下に教えられるのは人柄の良いパン屋の奥さんと、気前の良い食堂の旦那さんくらいだ。彼らに、変わったことはないかと聞けば、腹を空かせた旅人がたまに来る程度だと言う。部下は苦笑いをしていたが、我々のような職の者にするべき仕事がないというのは、喜ばしいことだった。  そんな平和な国が様相を変えたのは、一際激しい雨の降った翌日のことだった。  街の外れにある用水路で、若い男性の遺体が見つかった。  発見したのは亡くなった男性の姉で、昨晩の酷い雨を気にして、弟が水車の様子を見に行ったのが最期の姿だったという。水車の傍らの用水路で、水没した彼は苦悶の表情をしていた。水車に服がひっかかり、遺体が流されなかったのが唯一の救いだろうか。辺りを見ても、彼の足跡すら残っていない現場は、初めこそ不注意による事故ということで処理された。  だが、悲劇はこれだけでは終わらなかった。  雨が上がった翌日には、必ず死体が発見されるようになったのだ。なじみのパン屋がある大通りの路地裏、人の立ち入らない墓地の裏手など、場所も様々。事故のように亡くなった者もいれば、誰かに手をかけられた痕跡のある者もいた。共通する特徴は、被害者が若い男性であること。そして、雨上がりに遺体が発見されること。  この雨というのが厄介で、足跡などのあらゆる痕跡を洗い流すために、事件の詳細についてはほとんど何も分からなかった。小さな国といえど、手がかりのない捜査は恐ろしく難航していた。 「……かつてないほどの恐ろしい事件に、民たちは怯えています。どうか、一刻も早く解決をお願いします」 「それは、重々承知していますとも」  平和な国で、この事件を最も憂えていたのは、王妃だった。  わざわざ館へ警察を呼び立て、改めて事件解決のために尽力してほしいと頭を下げるほどだ。若い男性ばかり犠牲になっているために、被害を恐れて国を逃げ出す者も出てきたという。このままではこの国が痩せるばかりだと、恐ろしい事件に苦虫を噛んだ表情だった。そんな彼女を見てこの話をするのは心苦しかったが、足踏みする捜査の現状を簡潔に伝えつつ、念のためと前置きしてから私は重い口を開く。 「二日前の事件の日、王妃様はどちらにいらっしゃいましたか」 「貴様……!」  王妃のアリバイを聞こうとすると、噛みついてきたのは隣にいた執事だった。それを王妃が静止し、二人はまっすぐに私の目を見る。  この国の住民は、とても穏やかだ。それはこの国の長が素晴らしいことを示している、と言ってもいい。良き隣人たれという神の教えを体現しているような人ばかりなのだ。  全ての人が疑いがたく、それでいて、全ての人が被害者と何らかの関わりがあると言っても過言ではない。証拠が出てこない以上、畳の目を数え、その隙間にいる虱を一匹ずつ潰して回るような捜査をするほかないのだ。そのようなことを、言葉を選びながら丁寧に説明すると、王妃は頷いて執事に目をやる。 「……王妃様はその日、王の職務のお手伝いをされていました」 「それを、証明できる人は?」 「ずっとお部屋で王と共にいらっしゃいましたよ。私や他の従者も、時折その部屋に入ることがありました。念のためとおっしゃるのであれば、その者を呼びます」 「そうですか。ちなみに、執事さんはその日、何をされていましたか?」 「彼は優秀でとびきり忙しい人だから、彼の仕事を挙げていくと三日三晩かかってしまいますよ」  不適に笑って王妃が言う。そうですか、とこちらも曖昧に言葉を濁す。調べたところで、曖昧なアリバイ証明が山のように出てくるのだろう。それは少々避けたくて、私たちは館を後にする。  不服そうではあったが、優秀な執事殿のおかげで王と王妃のアリバイは十分すぎるほど頂けた。もちろん他の従者たちの中には、アリバイの不十分な者もいなかったわけではない。が、そんな人間はこの国にごまんといる。むしろ、きちんとアリバイを持っていてくれるだけ、微々たる捜査が進むというものだ。 「さて、どうしたものかな」  雨で洗い流された現場に足繁く通い、終わりの見えない事情聴取を繰り返す日が続く。その間にも、犠牲者はどんどん増えていった。傘を差し、喪服を着る国民の数は日に日に増えていく。次は自分や自分の家族が犠牲になるのではないかと、怯えて気を病んでしまうものも出てきた。パトロールの際に懇意にしていた食事処は、店を閉める日が増えていった。  まるで出口のない、迷路のような日々。  そんな日々が突如瓦解し、陽の光が差し込んだのは、水車の事件が起こってから半年ほど経った頃のこと。  ある雨上がりの日。その日見つかった犠牲者は、若い女性だった。  公園にある木の根元で発見されたその女性は、連続する事件の最中で夫を失った人だと発覚した。木の枝に縄をつるし、自ら命を絶ったようにも見えたが真実は意外にもすぐに発覚した。雨宿りができそうなほどの大きな木のおかげで、女性の遺体からは証拠が見つかったのだ。  ようやく犯人の手がかりが見つかった、と喜んだのも束の間、我々警察は絶句する。証拠の品が指し示した犯人は、王妃だった。 「けれど確かに、王妃様にはアリバイがありました。それはあなた方も確認したはずでしょう」 「しかし、現場に残された足跡の他にも、王妃様が犯人だと裏付ける証拠があります」 「一体どんな証拠が」 「それは後にお知らせするとして。……王妃様の衣服の中に、返り血のついたものがあるでしょう。証拠隠滅のために捨てたとしても、それができる場所はこの館以外にはありません」  良き隣人である民たちには、例え王妃と言えどかくまうようなことはできない。隣人の隣人が、怯えてこの国を追われているような状況でそれは難しいはずだ。そして彼女には優秀な執事がついている。証拠の隠滅など容易くはできないだろう。総出で館を捜索すれば、何かしらの証拠が見つからないはずがない。返り血のついた衣服、あるいは、凶器などが。  静かに聞いていた王妃は、ふっとため息をついて残念そうに笑った。笑って「ままならないものね」と白状をする。 「王妃様、おやめください!」 「いいのよ。……慣れないことは、するものじゃないわね」  王妃によれば、事件の全貌はこうだ。 「犠牲となった男性たちは、私が愛した人たちばかりだった。どれだけこっそり逢瀬を交わしても、この国はすぐに雨が降り、雨が止めばその人は殺されていった。……私が手をかけたその女性は、彼女の夫が私と会っていたことを知っていたのです。だから、私を恨んでいたのでしょう。抵抗しようと突き飛ばしたところ、彼女は動かなくなってしまった」  この自白に困り、声を上げたのは私の部下だった。「殺されていった」?その言い分ではまるで、今までの殺人では別に犯人がいて、今回だけは王妃自身が手をかけたように聞こえるのだ。であれば、この事件はまだ終わらない。捜査は続行されなければ。だがそれを伝えると、王妃は首を横に振った。 「その他の殺人については、そうですね……空腹な旅の人たちに、食事を提供する代わりに私がお願いしたんですよ」 「王妃様!」 「道理がわかりません。どうして、愛した人を殺すよう依頼をする必要があるんです」 「さあ……なぜでしょうね」 「この国で一番、民が死ぬことを憂えていたあなたが、何故」 「愛は、時に人を狂わせることもある、ということでしょう」  王妃は必死になって供述を止めさせようとする執事の手を取り、最後まで笑っていた。執事は我々に向かって何か言おうとして、それも諦めうなだれてしまった。これ以上彼女を庇えば、共犯を疑われる可能性も出てくる、と伝えると、王妃は首を振って我々の追求を止めさせた。 「これは私一人のやったこと。他の誰も関係はないの……巻き込んで申し訳なかったわね」  結局、部下の疑問は謎のまま、最期の事件の犯人は王妃ということで結論づけられた。難航していた他の事件の調査については、王妃の自白通り、彼女に雇われた国外の人間の犯行という形で片付けられてしまった。  そうして王妃は、この国の希代の悪女として死刑となった。  証拠不十分な点については我々にとっても不満な点はあったが、一番反対の声を上げていたのはあの執事だった。だが噂というものは残酷で、彼もまた、王妃の今までのアリバイをでっちあげて証言していたのだろうと言われており、その声が国民に届くことはなかった。  事実、王妃が処刑された後、事件はぱたりと止んだのだから、それが全てだった。 「……けれど、私にはずっとひっかかっていたことがあってね」  一歩間違えば、館の従者たちは共犯者に仕立て上げられていたところだった。そのため王妃の刑に異を立てる者は、やはりあの執事以外いなかった。長年のパートナーだった王でさえ、彼女に裏切られていたばかりか、国民と逢瀬を繰り返していたと聞かされては、彼女を庇うことはなく「残念だった」と酷く肩を落とすばかりだった。  ……アリバイと言えば、王妃のアリバイを真っ先に証言したのは執事だった。勿論他の従者たちにも証言はもらったが、そんな彼のアリバイは、あるようで全くなかった。  彼は優秀で忙しい人だから。  そう証言したのは王妃だ。他の従者たちもその認識だったが、彼がいつ、どこにいるのか・何をしているのか、誰もそんなことすら把握していなかった。彼のことだから、きっとどこかで忙しなく働いているのだろう。そんな信頼だけで彼は疑われることなく、きちんとスポットライトを当てれば、穴だらけのアリバイが浮かび上がっていた。 「でも、じゃあ、執事が犯人だったってことですか?」 「であれば、王妃が犯人ではないと主張できるのは彼だけだろうね。けれどそうすると、王妃を庇うほどに彼は、自分で自分の首を絞めることになる。誰か別の犯人が捕まれば、彼は逃げおおせるんだから」 「……王妃様を、庇いたかったとか?」 「それなら、自分が犯人だと自白すればよかったんだ」  実際、王妃を逮捕したときに彼は何かを言いかけていた。だが彼はそうしなかった。言いかけて、けれどそれを苦々しく諦めたようにも見えた。彼は王妃に忠実で、身分さえ違えなければ王妃のパートナーであってもおかしくない、と国民や王にまで噂され、信頼されていた執事だ。何か考えがあってのことかもしれない。だが、真実は依然見えてこない。 「噂と言えば、執事さんと王妃様をモチーフにした、恋愛小説が流行ってましたね」 「それがどうした」 「僕、あれ好きなんですけど、あれが事実を元にしていたとしたら……なんて」 「馬鹿を言うな」  平和でふやけた部下の意見に、思わず眉をしかめる。不服そうな部下をよそに、その馬鹿げた話からもしも、が頭をよぎった。そういえば、いつだったか館へ行ったとき、彼はこんなことを話していた。 「王妃様に心奪われた男が数知れないことは、俺も知っていました。王妃様がそんな男達に、慈悲を与えてくださっていたことも。けれど男の欲望は、そんな一度の逢瀬で満足するものではないでしょう?実際、最後の犠牲者だったあの女性も、夫について俺に相談をする始末でしたので……」  そのときはまだ、飽きた男のしつこさが殺害の理由なのかとも思えた。男をとっかえひっかえする、希代の悪女と呼ばれたのもそのためだ。だがもしも、彼女にアリバイのない、最後の殺人だけしか犯していないとすれば。国外の犯人をでっちあげ、真犯人を庇ったとしたら。そしてその理由が、案外うちの部下を馬鹿にできないものだとしたら。 「……だとしたら、一体何だというのだろう」  今更、終わった事件を蒸し返したところで判決は覆らないし、彼女の魂も戻らない。推理が限りなく真実に近づこうとも、肝心の証拠もない。だからこれは、あくまでも私の妄想にすぎない話ではあるのだが。  もし、王妃と執事がお互いを想っていたのだとしたら。  たとえば、今までの若い男性が殺されてきた、事件の真犯人が執事だとすれば。一度の逢瀬で満足しない男達への嫉妬に駆られた、優秀な彼の犯行だとすれば、一度として証拠が出なかったのも頷ける。もっと言えば、証拠の残された詰めの甘い、最後の殺人こそが、それまでが王妃の犯行ではないことを裏付けることにもなる。  そして、王妃の一度きりの犯行の理由も、嫉妬からくるものだとすれば。  夫を亡くした妻が、彼女の執事に相談という体で色仕掛けでもしていたらどうだろう。身持ちの堅い彼のことだ、仕事の一環として、王妃のためにそつなく誠実にこなしていたに違いない。そんな彼の対応に、王妃が嫉妬をしていたとすれば。 「愛は、時に人を狂わせることもある、ということでしょう」  そうであれば、彼女の最後の言葉も理解できる。いや、理解とまでは言わないが納得ならばできる。王妃を愛した執事は、王妃に群がる男たちを手にかけ、執事を愛した王妃は執事にすり寄る女を手にかけた。そこまで考えて、私は首を振る。……仮にそんな真実があったとして、やはり矛盾する点はいくつか残っている。執事は己の愛した王妃が、自分を庇ってくれたことに甘んじているし、何より王妃が執事を愛していただなんて、その行動からは考えがたい。 「もし、王妃様と執事が本当に想い合っていたとして。じゃあどうして、王妃様は別の男と逢瀬なんかするんだ」 「えー、そんなこと聞かれても……。あ、でもあるんですよ。執事が王妃様に、嫉妬するシーンが」 「だから、小説だろう?」 「でも、そのシーンは、王妃様が実際におっしゃっていた台詞から思いついたらしいんですよ」 「……へえ?」  私が小説に興味を持ったと思ったのか、懐から小さな本を取り出した部下が嬉しそうに該当するページを指し示す。そこにあった台詞は、やはり私の理解の範疇を越えた、手に負えないものでしかなかった。 「私が彼から視線を逸らしたときほど、彼の瞳が色濃く燃え上がったことはないの」
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