Rain and Loser.

1/1
前へ
/3ページ
次へ

Rain and Loser.

 三重県の海岸沿い漁港町七五三町。完全に過疎化した町で、隣のリゾートシティ安室市とは、雲泥どころか、癪になって遊びに行く気もさらさら無い。  ただその七五三町も、幼馴染中馬亮司の親父さんが町長になって風向きが変わった。七五三町の名前だけに、七五三をフィーチャーしようかだ。もう古着になった七五三の衣装をタペストリーにソーイングして、至る商店に飾っている。  何か良さげな雰囲気、リゾート安室市から行こうかになるが、JTRAIN線は平成前と同時に廃線となっているので、気安くは来れない。そこを中馬重治町長の究極の根回しで、5年前に線路が復活し、七五三中央駅が新設された。当然駅室は、七五三衣装のタペストリーでアートハウスになり、映える仕様になった。こうして土日の観光客は格段に増えた。海鮮料理しかない町なのに。  そして、中馬重治町長の根回しの続きはある。町民人口が7千人余りなので、文化的な商店が当然の如く消えた。CDショップ、DVDレンタル店、書店。電気屋はあるがエアコン工事しか注文が来ないので、ショーケースにはテレビさえ無い。泡沫的だ。  ここに、補助金と心配りとして、俺立浪四十万の立浪古書房が誘致される。  そう俺は小学校2年迄名古屋にいて、立浪古書房もネットショップのみの経営だった。ただ、父親の立浪細波の顔の広さから、中馬重治町長にスカウトされ、七五三町で実店舗を構える事になった。  そして俺達四人、よく女性に間違えられる俺立浪四十万。美男子も訳有りの中馬亮司。ジャズダンスが得意の西条羅々。ご令嬢も男まさりの加古美輪子。何の事は無い、羅々の日々の思いつきについて来れる面々がとても長い付き合いになる。  ◇  俺達四人は、小学校、中学校、そして町内に一つしかない仏教校金剛高校に通う。1学年1学級20人。  そんな過疎学校で学習はどうするも。七五三町の補助金、タブレットカリキュラムの資格費用持ちで、不毛な名古屋進学の往復4時間通学は無事回避される。その分人生謳歌しようぜ。イエーで、羅々がダンス部を立ち上げる。さて。  俺達は高校1年のカリキュラムをこなし、給食には机を合わせ会議に入る。来月の新歓お披露目で、何を踊るか。取り敢えず掴もうで、CHEMISTRYの曲で踊る事にした。  ポツリ、窓に水滴がつく。窓の外では、不意に雨が降り始める。ここで皆がとある事情で口を噤ので、俺が止むえず繋ぐ。 「これで、桜さ、散らないかな」 「そう言えば、花見行ってないよね。行こうよ、学校帰り」羅々が燥ぐ。 「羅々さ、それ春休み行くんじゃないの」亮司は冷めてるつもりはないが丁寧におく。 「亮司はねー。七五三町は桜の名所だらけだけど、周り切れないよ。今日から、始めようよ。そう、私に着いて来れない理由ってあるの」 「俺は部分参加かな。実家立浪古書房の教科書販売手伝わないと」 「ねえ、この雨足強いよね。現在、気温15度。いい加減肺炎になるよね」美輪子がスマートフォンから顔を上げると、まなじりが哀愁を帯びる。  美輪子のそれは、決して口では言えない、七五三町の不文律がある。  先月、突然の豪雨で、陽気な漁師の一路暁さんが、漁船で足を滑らして冬の海で溺れ死んだ。三十路やや超えで、皆が酷く悼んだ。何より酷い有り様は、同い年の奥さん一路瑞稀さんで三日三晩泣き腫らした。  それで吹っ切れたとは思っていたが、一路瑞稀さんの副業のスナックゆりかごで、ママ自ら煽り飲み、真っ先につぶれて、お店の営業どころではない。そしてやむ得ず無期限の休店になった。  瑞稀さんはいつの間にか、艶やかな長い髪の毛をバッサリショートにし、俺の立浪古書房にも立ち寄る。ただ、昼間からアルコール臭が漂い、笑ったかと思えば、酷く泣き喚き情緒不安定になる。そんな時は、母牧子が白湯をどうぞと背中を撫でる。一路瑞稀さんは、大丈夫と気を取り直し店を後にする。  ただ春の、暖気が流れてきた頃に、噂そのままの出来事を聞く。結果不慮の豪雨で死んだ一路暁さんを、奥さん一路瑞稀がどう悼んでか、雨が降ると、赤い雨傘にサンダルに全裸で、海岸沿いを練り歩く。赤い雨傘で顔は見えないが、その伸びやかな肢体は、瑞稀さん意外誰がいるかで、初回で露見された。  それは止むえず、心がどうかしてるかだが。七五三町全員が、一路瑞稀さんのその心の傷を知っていたので、いつか正気を戻すだろうと静観していた。  ◇  低気圧のせいか、俺の持病の喘息がぶり返した。このまま授業を受けてもどうなのかで、2時限で早退した。  こんな澄んだ町なのに、喘息なんてどうしようもないなと、雨が小降りの中、海岸沿いを歩く。海に、小さくても雨の降る音が唸る。やや波高の海に視線を投げてみる。俺もサーフィンしたいなだが、医者からプールは良いが海は禁じられている。万が一の発作の為だ。  でも、亮司と羅々のサーフィンを見ていると、心が晴れやかになる。俺は、美輪子も行きなよと促すが、私は四十万のお目付け役だからと、置かれる。  そう言えば、美輪子は看護婦志望だっけ。俺は、何になりたいのだろう。視線はずっと遠くの岸を眺める。  カツカツ、軽快なサンダルの足音が響く。不意に振り向くと、山側にいる、赤い雨傘に全裸の女性が、濡れたサンダルで歩いている。  顔は傘で見えないが、何故か俺は臆する事なく、心配が募って、今出せる精一杯の声で話しかけた。 「あの、風邪引きますよ」 「ありがとう。四十万ちゃん」  赤い雨傘に全裸の女性は俺に振り向く。傘の陰で口から下だけど、その均整の取れた肢体、浴衣になると特に艶やかで情緒に溢れる肢体は、七五三町に一人しかいない。一路瑞稀さんだ。  そしてそのまま、赤い雨傘の陰から、口元が見えた。笑ってる。どうかしている笑いではなく、口元に慎ましさが見てとれた。一路瑞稀さんは正気だ。こんな寂しい雨の中で、確かに、一路暁さんを悼んでいるのだろう。雨になると漁師はやたらと船を出さないので、きっとこのコースをデートしていたのだろう。 「俺も、心配してますから、」 「ありがとう。四十万ちゃんは優しいのね」  赤い雨傘の女性の声は涙声になり、また歩み始めた。  皆が、止めない理由が分かった気がした。こんな雨の日に一人で家にいたら、心が張り裂けてしまうだろうから。  その滑らかな背筋と、痩身でも揺れるお尻の線、何よりはその美しい均整の取れた脚の線を見つめている。  これが思春期で初めて肉眼で見た女性の裸であり、俺は生涯忘れられない肢体に囚われる。そう深く刻まれる事になる。  ◇  またある日の小雨の午後。学校は半ドンで、まあ漫然と美輪子と和気藹々と下校する。  不意に、不思議な空気感が伝心する。何だろうか、この男子故の鼻の奥がくすぐったいそれは。  いやと、右奥に視線を澄ますと、漁師小屋の雨の中軒下で、全裸の一路瑞稀さんが膝を着き、筋骨隆々の漁師ダンさんのペニスを咥えている。ダンさんはフーフーと息遣いも荒い。   こういう大人は何か嫌だ。俺は居た堪れず走り抜けようとしたら、咄嗟に美輪子に捕まった。身体冷えちゃうでしょうと囁かれながらハグされた。確かに寒い。互いの傘が路面に落ちて、俺は、美輪子に濡れた髪を撫でられ、唇が迫る。これってあれか、ファーストキス。   美輪子のそれはとても柔く、この触感の例えが見つからない。俺は、あまりの衝撃で逃げようとしたが、美輪子に腕を強く引かれ、ずっと見つめられる。 「四十万、逃げないで、こういうの癖になるよ」 「そうじゃない」 「いいから、いて、ここに」  美輪子の両腕が俺を逃さないように、がっちり掴んでる以上、俺は路面に落ちた傘を拾い、あいあい傘をするしかなく、軽く15分は抱擁された。  苦痛ではないが、何か気の利いた事を、美輪子に言うべきなのだが、さて。そうしている間に、ダンさんと一路瑞稀さんは消えていた。何か損したのか。ここで思春期男子だったら、こっそり覗くのも大人の仲間入りの準備ではなかったかもと、やや思う。いや、美輪子の頭が視界上に入るから、まあ気遣いはずっとあるしかになる。  そして、俺の境界に入って来た美輪子は、天真爛漫のままで、違う美輪子にはならず、ざっくばらんに会話している。この棲み分けって何だろう、理性と情感は別ものなか。このもどかしさ、これはこれで酷く混乱している。  俺がちょっとでも強張ると、美輪子はその都度背中をポンポンと押す。姉、母親、親友、恋人、そして腐れ縁、いや言葉が悪いから運命の恋人に変えられるに違いない。美輪子さ、逃げるに逃げられないだろう。あいあい傘にポト、またポトと、雨音が響く。ここは黙って聞いておこうか。  ◇  一路瑞稀さんの雨の行幸は4月に入っても続いていた。  そして不幸が訪れる。始業式前に、一路瑞稀さんが漁港南部方面の丘の三号溜池、雨上がりの明朝に、全裸の溺死体で発見された。  その後、地方局発のメディアによると、警察発表では、婦女暴行に抵抗した末の絞殺であるの、二段階発表でしめやかに終えた。  父細波曰く。 「悲しみの全裸行幸は、体液が残っていない事も有り、目下捜査中だろう。こうなると迷宮入りはほぼだな」 「いや、誰が犯人なの」 「さあな、体液が残っていない以上、七五三町の男女全員。いや、最近では安室市からも興味本位な連中が流れて来るので混迷が深まるな」 「動機は何なの」 「四十万が浮かぶのは。瑞稀さんの哀れさだろう、それで十分だろう」  父細波は、これ以上は大人の世界だと、語尾が強くなったことで悟った。父細波には、全裸の一路瑞稀さんを見たとは、断じて話していないが、俺の雰囲気で悟ってるようだ。  ◇  金剛高校の始業式が始まる。簡潔に、女子一人で登下校しないで、近所で付き添う様にして下さいを念押しされた。事件の事はかなり端折って良いのもかの正義心が沸いた。でも、それを口にしない。やや大人なんだなは、不思議なモヤしか残らない。  その登下校命令が出て、律儀な俺は1時間早く起きて、羅々と美輪子の家に立ち寄っては一緒に通う。  父細波曰く、一路瑞稀さんの事件は迷宮入りなので、卒業迄登下校はこれか、話題持つかなと、新聞紙全部読み漁ってからの登校になる。ネット配信時代に何をアナログだが、新聞の必要な情報しか知らないので、羅々と美輪子にヘエーと感心はされる。  そして校内では、一路瑞稀さん絞殺で女子に暗い影を落とす。殺された事より、生きている間に、もっと丁寧に接するべきだったとの嘆きだ。愛し過ぎる事で、心のバランスが崩れる。愛って、そんなに凄まじいもの、女生徒が都度瞳が潤んでいるのを見かけて、深く察した。  いつもの昼の給食時間になる。恒例の、俺のパンの半分を亮司にお裾分け。これは、亮司が小学校時代に実の母親から虐待を受けて、碌な食事を与えて貰えなかった名残りと習慣だ。  亮司は、当然俺より身長が高くなり、身体能力も高い。しかもきっちり女性受けする顔に仕上がってる。ありがとうの滅多に見せない顔も実にポイントが高い。  そして、俺が半分のパンを差し出すと。亮司の右手が伸びる。その指は全指脱臼して包帯が巻かれている。亮司曰く、自宅のあの大きな庭のバスケットコートで、バスケットボールの目測を見誤って、全部指をやってしまったらしい。でも、バスケット部に助っ人ってあったかな。  その、俺との亮司との間に手が伸びる。美輪子の右手だ。美輪子はどうしたのか、亮司の右手を思いっきり掴む、くっつと亮司の顔が痛さで歪む。 「ごめん、亮司らしくないから、冗談だと思ってた」 「俺だって、心が無い事だってあるよ」  その亮司のもう一つの不思議は、女子らしくないショートヘア女子だけを警戒しない事だ。美輪子はその一人だ。長い髪は、どうしても虐待していた母親を思い出して萎縮してしまうらしい。  そこ迄、産みの母親を毛嫌いするかだ。亮司の今は、成長してやや薄れているが、亮司の身体の至る所に、燃えた煙草を押し付けた箇所が溢れている。  亮司と美輪子との間に居た堪れない雰囲気が強まる。  亮司、女性とは…。亮司は、それ以上言うなと視線を閉ざす。そんな感情の綾が、高校生になっても、またここで現れるのは、亮司、一体どうしたんだ。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加