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知奈と自分に言い聞かせるように唱える。逃さないように知奈の腕を力いっぱい掴む。知奈は嫌々と踏ん張ろうとするけど、引き摺ってでも海へと連れて行く。
今なら、勢いで飛び込める気がした。
「やだぁ!」
しかし、知奈は子供みたいなわめき声を上げて、わたしの腕を振り払った。
はっと振り向く。知奈は涙をいっぱいに溜めた目でこちらを見ていた。いつもの泣き虫な顔じゃない。まっすぐに睨んでくるその目からは抵抗の意思が感じられた。
知奈と出会ってから、初めて見る顔だった。
わたしの頭が急激に冷えていくのを感じる。
こんな顔をさせたかったの?
初めて会った時、困っている知奈が可哀想だったから、わたしは手を差し伸べた。これまでだって、家で居場所が無くて困っているから、知奈と一緒に居た。
知奈に優しくすることで他人からよく見られたいだとか打算的な部分もあったかもしれない。でも、それもいつしか、友達として当たり前の事になってて。
今日だって、友達として知奈を助けたくて人殺しまでしたっていうのに。
その結果が、知奈にまで嫌われるの?
違う。
「逃げよう」
「え?」
もう知奈の本性が黒いのかどうかなんて、どうでもいい。ただ、知奈を信じていたくなった。もう疑いたくなかった。
「一緒に逃げよう。こんなとこで、あんな人間のせいで死にたくない、でしょ? わたしも。だから、逃げよう。どこまでも」
わたしの提案に、知奈はぱあっと光が差したような笑顔でブンブンと何度も頭を振って頷いた。あの日と同じ笑顔。
どちらともなく、真っ黒な海から離れる。飛び込むのはあんなに躊躇していたのに、離れる足取りは一瞬の迷いもなかった。
どこまで行こうか。
ずっと遠くまで。
二人で働けばお金はどうにかできるかな。
住み込みで働けるところを探そう。
一緒に暮らそうね。当たり前だよ。
家賃も大変だし。
これからはずっと一緒。
うん、ずっと。
幸せになろうね。
うん。うん。
繋いだ手をブンブンと大きく振りながら、歩幅も広く駅へと向かう。これからの明るい未来を夢想しながら。
明るくしていないと、前からも後ろからも迫ってくるであろう不安に押しつぶされてしまいそうだったから。
わたしはさっきよりも繋いだ手に力を込めた。痺れてしまうくらいにぎゅうっと。
「ねえ知奈」
「ん?」
「もし逃げたり、裏切ったりしたら、わたし死んでやるから。幽霊になってからも、知奈が死ぬまで恨み続けるから。あなただけが幸せになろうだなんて、許さないよ」
わたしは自身の中に溜まっていた黒い感情を呪詛の言葉に変えて吐き出した。
わたしの未来は知奈に握られている。どこまで逃げたとしても、知奈が警察に通報すればわたしは捕まってしまう。一緒に逃げる知奈も何かしらの罪には問われるかもしれない。でも、人殺しとして捕まるのはわたしだけ。
わたしだけ破滅するのなんて絶対に嫌。知奈のために人殺しになったんだから。
だから、知奈を呪いの言葉で縛りつける。どこまで効果があるのか分からない。ただの気休めかもしれないけど、口に出さずにはいられなかった。
知奈を信じたいなんて言った矢先に這い出てくる、わたしの黒い部分。
「……分かってる。裏切ったりしないよ」
知奈は一度深く呼吸をしてから、唇を緩めて諦めが混じった声で呟いた。その声からは少しも驚きは感じなかった。
「これからよろしくね。知奈」
「うん。こちらこそ。杏香」
わたし達は街灯が少なくて薄暗い道を、手を繋いで歩いていく。
きっと、罪を犯したわたし達に明るい未来なんて存在しない。
二人で進む、真っ黒な破滅への道。
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