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 美波家の居間には、三人は優に座れる大きな造りのソファが二脚、向かい合わせに置かれていて、その間にはシックなデザインのガラステーブルがどっしり鎮座しています。  先ほどまで楽しんでいたたこ焼きパーティーの残り香がうっすら漂う、そんなくつろぎの場所には不似合いなピリピリひりつく態度で、美波と潮は対峙していました。 「てめえ、勝手に何やってんだよ!」  潮が怒鳴ると、美波は当てつけのようにドサッと大きな音を立てて、ソファに腰を下ろしました。  潮はなぜか怒っているけど、美波もなぜか怒っているみたい。  私はどうしたらいいのか分からず、オロオロするだけでした。 「なに? みさきにキスするのに、おまえの許可を取る必要があるわけ? 無理矢理したわけでもないのに?」 「てめえ……!」    挑発的な物言いをする美波の胸ぐらを、潮が掴みます。火花が散るかのように剣呑に、二人は睨み合いました。  修羅場。しかし張り詰めた空気をぷつりと切るように、素っ頓狂な声が掛かります。 「えっ?」  今まで友人二人のやり取りをボケっと眺めていた大洋が、顔を上げました。 「なになに? 美波とみさきが、キスしたの?」  大洋は、私と美波の顔を交互に見比べました。  いやそんな、改めて言われると、恥ずかしいんですけど……。でも今はそれどころではありません。潮たちを止めないと、殴り合いでも始めそうな勢いです。 「もうやめなよ! 潮! だいたいなんであんた、そんなにキレてんの!?」 「っ!」  混乱していたから、私もついつい強い口調になってしまいます。責められた潮の顔は、怒りでますます赤くなりました。  ――いけない。  導火線に火が点いたダイナマイトのような潮を、とにかく落ち着かせようと、私はなるべく穏やかに話しかけました。 「ね、潮、落ち着いて? みんなでアイス食べようよ」 「うるせえな! アイスなんかで誤魔化されるか! みさきもみさきだ! 簡単にキスなんかさせやがって! この尻軽が!」  えっ、私が悪いの?  そのうえ、「尻軽」……。なだめようと思ったのも束の間、潮の言い草にカチンときて、私も感情的になってしまいます。 「ハァ!? てか、美波の言うとおりだよ! 私が誰とキスしようが何しようが、勝手じゃない! 潮のお許しを得ないといけないわけ!?」 「……!」  思えば、私と潮はいつもこう。遠慮がない分、すぐにケンカになってしまうのです。  言ったそばから、ちょっと言葉が過ぎたかと後悔しました。だけど、どうして潮はこんなに激昂してるんだろう? 「みさきなんて……みさきなんて……! おまえ、なんにも分かってない!」  潮は悔しそうに唇を噛んで、私を睨め上げます。その目が、一瞬揺らぎました。  ――こういう場面、小さい頃に遭遇した気がする。  友達どうしで口論になって、絶対引かない相手に散々ひどいことを言って。だってその子は強いから、それくらい大丈夫だと思っていた。  でも、鉄壁だと過信していたその子の心は、突然崩れたのです。そして、大声で泣き出す。つまり、追い詰め過ぎた。  そんな状況と今は似ている、と思いました。――まずい。  だけど潮はさすがに泣きはせず、その代わり、美波を離してつかつか近寄ってくると、私の肩を強く掴みました。 「いた……っ!?」 「美波とするんだったら、俺とだっていいよな……!?」  何を言っているのか。潮の主張を理解する前に、彼の顔が間近にありました。  唇同士が触れて――でも全く意味不明です。  なんで? どうして? だって、私たちは友達だったじゃない。  足元がボロボロ崩れていく気がしました。  私が知っていた世界は消え去ってしまい、じゃあ私がいる「ここ」はどこなのか――。 「みさき……」 「潮……」  口づけを解いた潮の表情を伺えば、やっぱり泣きそうなまま。  いつも意地悪で、私をいじめることはあっても、いじめられることはなかった潮。強気で不遜な彼がそんな顔をしてるのは初めてで、私は何も言えなくなりました。  そして潮は、やっぱり爆弾だった。続けて、爆発したのです。 「みさき……。俺、ずっとおまえが好きだった。高校んときから、おまえだけが好きだった……!」 「――なにそれ!?」  私は絶叫してしまいました。だってそんな態度、少しも見せなかったじゃない。  アワアワと狼狽えていると、今度は後ろからすごい力で引っ張られました。倒れかけた背中を、広く逞しい胸板に支えられます。肩を持たれて、ぐるりと百八十度回転させられて、そして後頭部をがっちり、大きな手でホールドされる。ここまで私は、川の中を転がる石のように、勝手に動かされています。  ――誰に?  なにが起こっているのか。声を出そうとしたその口を、塞がれます。寸前に見た顔は、大洋のものでした。  ――今度は大洋か。  これだけ異常事態が続くと肝が座るのか、驚きはさほどありませんでした。でも、苦しい。  だって大洋は万力のように、私の体を締め上げているのです。唇同士を繋げたまま、ギリギリと抱かれ続けて――。 「んーーーー! んーーーー!!」  このままでは、酸欠か全身骨折で死んでしまう。  私は手足をじたばたさせてもがきますが、大洋はぴくりとも動きません。 「てめえ、大洋! 力まかせにすんな!」 「みさきが死んじゃうだろ!」  潮と美波が駆け寄り、なんとか大洋を引き剥がしてくれました。  私は必死に肺へ酸素を送り込んで、ようやく落ち着いてから、三人の男子を見回しました。  潮、美波、大洋。  これはどういうことなのか。 「まさかとは思うけど、気づいてなかったのか? 俺たちの気持ち」  冗談めかして潮は問いかけてきましたが、私はしっかり頷きました。途端、三人ががっくり肩を落とします。  いや、確かに、好意は持たれていると思っていました。だって、嫌いな相手とちょくちょく遊んだりしないだろうし。  私だって、彼らのことがとても好きです。でもそれは、友情の範疇のことで。  だって私には、海人という彼氏がいたのですから。 「みさきは、僕たちのうちの誰かとつき合うことは、考えられない?」  そう尋ねる美波は、いつもの物腰柔らかな彼に戻っていました。 「……ごめん。それはちょっと」  私は首を横に振りました。だって今まで友情を育んできた人たちを、急にそういう対象になんて、思うことはできない。 「でも、キスはしてくれたよね?」 「それは……! 強引だったじゃん!」 「嫌だった?」 「……………」  私は黙ってしまいます。  美波のときも、潮のときも、大洋のときだって、驚いたけれど、嫌ではなかったんです。恋人としてどうこうというのはともかく、三人のことは好きだから。  だからもしかしたら、将来、彼らに恋をすることもあるかもしれない。  ――でも。 「でも……。三人の中からっていうのは、決められないよ」  誰か一人を選んで、あとの二人を傷つけるのは、絶対に嫌です。それだったら今のまま、三人で仲良くしていたい。  私の自分勝手とも言える答えを聞いて、潮が不貞腐れたように吐き捨てます。 「やっぱり俺たちじゃ、海人に勝てねえのかよ」 「ちが! 違うよ! 大体、海人は……!」  言い終わる前に美波が近づいてきて、私をふわりと柔らかくハグしました。 「ねえ、みさき。ダメだって決めつけないで、考えてみてくれないかな。僕たちはみんなみさきのことが大好きだし、海人なんかよりは絶対に、君のことを幸せにするよ」 「……………………」  頬で美波の胸の温もりに触れていると、泣きたくなってしまいました。  ――「好き」とか「幸せにする」なんて、生まれて初めて言ってもらったんです。  愛されるって、すごく嬉しいことなんだ……。 「でもやっぱり私は、誰か一人なんて選べないよ……」  彼らの気持ちは本当にありがたくて、勿体ないけれど。  潮、美波、大洋の誰かを悲しませるくらいなら、一人でいたほうがマシです。  自らのわがままゆえに招いた悲劇に浸りかけていると、視界がまたぐらりと揺れました。 「オレらのことが好きなら、別に一人に絞らなくていいじゃん!」  横から手を伸ばしてきた大洋が、美波から私を取り上げ、ぎゅっと抱き締めます。 「ちょっと悔しいけど、オレ、潮とも美波とも気が合うし、ノープロブレムだよ!」 「そ、それってどういう」 「みさきは、オレたち三人全員とつき合えばいいってこと!」 「は!?」  とんでもない提案をしておきながら、大洋はニコッと顔いっぱいに、邪気のない笑みを浮かべています。 「や、そんなの無理だって!」 「大丈夫、大丈夫。習うより慣れろだよ」  大洋は私の両頬を持って背を屈め、キスを迫ってきます。 「ちょ、ちょっと待って……! 潮! 美波! なんとか言って!」 「……………」  接近してくる人懐っこい顔を手で阻みながら、なんとか目だけで潮と美波の様子を伺います。だけど二人は何事か考え込んでいるようです。  いや、あの、それはあとでしてもらって、大洋を止めて欲しいんですけど……!  やがてほぼ同時に、潮も美波も決意に満ちた凛々しい顔を私に向けました。 「そうだな。おまえらと一緒なのは、かなり引っ掛かるけどよ」 「海人にみさきを独り占めされるよりは、ずっといいよね」 「!?」
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