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こんにちは。私は、初島(はつしま) みさきといいます。大学の、もうじき三年生になります。
よかったら私の話を聞いていってくださいませんか。お暇つぶしにでもなれば幸いです。
ようやく分厚いコートがいらなくなった春半ばのある日、私は男友達の自宅に招かれました。
「たこ焼きパーティーをやろう」と、みんなで集まったのです。
「ちまちま焼くの、めんどくせえなあ。買って食ったほうがいいんじゃねえの?」
ブツブツ文句を言いながらも、几帳面にひとつひとつ同じ量のタネをプレートに流し入れていくのは、日野 潮(ひの うしお)。中堅私立大学生です。
少し目つきが悪くて言動もやんちゃなんだけど、実は面倒見が良く、親切な男の子です。
ツンデレっていうのかな。少し違うかな。
「できたて熱々のたこ焼きを食べるのが、贅沢なんじゃない」
早くも固まり始めたたこ焼きを、ピックでリズミカルに丸めていくのは、|田辺 美波(たなべ みなみ)です。
涼し気な顔立ちに、オシャレなウェリントンメガネがとても良く似合っています。知的な外見どおり、いつも遊ぶメンバーの中で美波は一番頭が良くて、名門国立大学に通っています。
そして彼はみんなが集まったこの部屋――タワーマンションの一室の主でもあります。
「やっぱりガスだと早く焼き上がるなあ」
今回のたこ焼きは、カセットコンロに鉄製のプレートを乗せて焼いています。それらの道具を眺め回して「ウンウン」と感心しているのは、木下 大洋(きのした たいよう)です。
体格が良く、運動神経も抜群の大洋は、体育大学に通っています。将来は体育の先生になりたいんだって。おおらかで、ちょっと天然気味の男の子です。
「いい匂い! 美味しそう! さっ、呑もう呑もう!」
私は美波から許可をもらって冷蔵庫を開けると、中から缶ビールを取り出し、みんなに配りました。
潮、美波、大洋、私。いつもはもう一人を加えて、合計五人。この面子で、私たちは頻繁に集い、遊んでいたのです。
「そういや、今日、海人(かいと)は?」
「えっと……ちょっと、まあ……」
「なに、なんかあったのか?」
尋ねながら、潮は出来上がったばかりのたこ焼きを、私のお皿に盛ってくれました。ぶっきらぼうなんだけど、食べものとか飲みものとか、潮はいつも一番に私にくれるんです。
レディファーストなのかな? 優しいんだよね。
「――別れた」
お皿の上のたこ焼きを、専用の長い楊枝でツンツンつつきながら、私は答えました。
「えっ……」
男子三人は沈黙してしまいます。空気を悪くしてしまったと後悔しながら、私はビールの缶に口をつけました。
潮、美波、大洋、私。そしてこの場にいない海人。五人は高校時代からの友人どうしです。
男子は全員元野球部で、海人と交際していた私が、彼らの仲間に入れてもらったような形で、仲良くさせてもらっています。
「……でもどうせ、またヨリを戻すくせに」
ややあって、美波が非難がましくつぶやきました。
「そーだそーだ。もう何度目だよ、バカらしい」
つまらなそうな顔でたこ焼きを頬張りながら、潮が追従します。
「意外と明太子って合うな」
大洋は私たちの会話を聞いているのかいないのか、もぐもぐ口を動かしています。
「そんなことないよ! 今度こそ! 絶対! 別れるから!」
「そんなこと言って、もうこれで四回目じゃない」
「う……」
反論するも、美波に更に突っ込まれて、私は返す言葉を失いました。
「海人は嫌な奴になっちまった。みさきも、もうあいつに関わらないほうがいい」
今まで会話には不参加だった大洋が、ビールを煽りながら言いました。普段人のことを悪く言わない彼がそんなことを口にするので、私はどうしていいか分からなくなってしまいます。
――大洋の忠告は、きっとそのとおりなのでしょう。
私の出身校の野球部はなかなか強く、数年前には甲子園に出場したこともあるほどです。
海人はその野球部で、三年生のときにレギュラーになってから、とうとう補欠のままで終わった美波たち三人を、嘲るようになりました。
どんどんひどくなっていくその傲慢な態度を私も諫めたものの、海人は私のことも下に見ているらしく。――なにしろ彼に告白したのは私のほうからですから、だから言うことなんて聞いてくれません。
そのうえ、浮気しまくって……。当然、別れますよね。
でも海人は新しい相手に飽きると、私に復縁を申し込んでくるんです。
――明らかにバカにされている。
分かっていても許して、結局元サヤに戻る私は、本当に愚かです……。
それでまあ、恒例になってしまった海人との破局を迎えてから、もう一月経ちます。
もしまた向こうから「やり直そう」って言われたら――。
やっぱり今度もOKしてしまうかも。
――つくづく、こんな自分が嫌になる。
今の海人のことは全然好きじゃない。でも昔の、野球部で一生懸命練習して、美波たちと仲良くじゃれ合っていた彼のことは、心底好きだったんです。
その想いが、断ち切れない。
――あと、一人は寂しいから……。
ああまったく、私ってダメダメだぁ!
「みさき?」
自己嫌悪の沼にズブズブ沈み込んでいた私に、心配顔の潮が声をかけてくれます。
「あ、ごめん。ボーっとしてた。食べよう食べよう!」
私は楊枝を握り直すと、すっかり冷めてしまったたこ焼きを口の中へ放り込みました。
海人と私の関係について思いを巡らせると、いつも落ち込んでしまいます。でも彼とつき合って、良かったこともあるんです。
それは美波たちと知り合えたこと。
美波たちはみんな個性的で、一緒にいて楽しいの。でも三人とも格好いいのに、なぜかフリー、もしくはカノジョができてもすぐに別れてしまうんです。不思議だな。
みんなで作ったタコ焼きは、とても美味しかったです。チーズ、チョコ、紅生姜が、特に美味しかった。皆さんも試してみてくださいね。
ひととおり食べて呑んでから、私は台所で後片付けに励んでいました。
運ばれてくる食器を、片っ端から洗っていきます。といっても食洗機があるし、軽く汚れを落とすだけだから、全然大変じゃないのですが。
「僕がやるよ。みさきは座ってて」
「ううん、いいよいいよ。そんなに多くないし。美波こそ、座ってて」
気を使ったわけではなく、素敵なこの台所に立つと心が踊るのです。
私の実家の台所は狭いし古いし、一昔前のレンジやら炊飯器が並んでいて、庶民的過ぎる。それはそれで使い勝手はいいのですが……。洗練されたデザインのシンクやガステーブル、最新の料理家電が並ぶ美波のおうちの台所とは比べようもありません。
「じゃあ、食洗機に入れるの、やるよ」
美波は私が軽く洗った食器を、ビルドイン式の食洗機の中にテキパキと並べ始めました。
お客様――自分で言うのもおこがましいのですが、一人にしないでくれるのも、美波の優しさなんでしょう。
「最近どう? 新しいバイトには慣れた?」
「うん。みんないい人たちでね、同い年のコと友達になったんだよ~!」
「みさきは陽キャだからな。誰とでも友達になれて、羨ましいよ」
「美波だって、陽キャっていうか強キャじゃん。頭いいしお金持ちだし、イケメンだし。漫画みたい」
「うーん……。でも主人公にはなれない設定なんだよなー」
くだらない話をしながら、二人で洗いものを続けます。
たまり場になっているこのマンションは、元々美波とご両親が住んでいたのです。美波の親御さんは今アメリカに職場を移し、あちらで暮らしています。美波だけ日本に残り、一人暮らしをしているというわけです。
「みさきー! こっち来るとき、アイス持ってきてー!」
台所の外から、潮のぞんざいな声が飛び込んできます。
「はーい!」
ちょうど洗いものも終わったし、潮と大洋がいる居間へ戻ろうかなと思ったところで、しかし美波に呼び止められました。
「みさき。今回は本当に、海人と別れるの?」
「えっ……」
潮に言われたとおり、アイスを取ろうと冷蔵庫の前にいた私は、振り返って、美波の顔を見上げました。
さっきの話はもう終わったと思っていたのに。なんで今更、そんなことを聞くんだろう?
美波は唇を真一文字に結んでいました。
――真剣に問われている。適当なことは答えられない……。
改めて考えてみます。
海人と別れる。それは、もう海人には会わないということです。
私にできるんでしょうか? 耐えられるんでしょうか?
ああ、未練たっぷりで嫌になります。どんなにいじめられても、必死に飼い主のあとをついていく、犬みたい……。
情けないという自覚があったから、私は黙って俯いてしまいました。私の脆弱な本心などお見通しのように、美波は静かに私の前に立ち、そっと頬に手を置きました。
こんな風に触られることは初めてで、びっくりして美波の顔を覗くと、メガネの奥の瞳が切なげに揺れています。なぜだか、私の胸はぎゅっと締めつけられました。
「海人はきっと、君のこと、好きじゃないよ」
「……………………」
そんなことは分かっていたけれど、はっきり言われると傷つきます。やっぱり第三者からも、そう見えているんだ……。
そうです。海人が私にちょっかいを出してくるのは、惚れた者の弱みにつけ込めるから。気楽に雑に扱って、壊れても気にしなくていいから。それだけなんです……。
「僕、みさきが不幸なのは嫌だ」
まるで氷室にいて、寒さに耐えているかのように、美波の声はかすれていました。そして、整った顔が近づいてきます。
本当は抵抗すべきなんでしょう。だって、美波は友達の一人なんだから。大事な人だけど、こういうことをする間柄じゃない。
――でも私は瞼を閉じて、そのまま彼の口づけを受け止めました。
どれくらい唇を重ねていたでしょうか。数秒のはずですが、とても長く感じました。
心臓が激しく鳴っています。
だけど、不快ではなかった。嬉しかった。
するとドカドカと粗雑な足音が近づいてきて、私は咄嗟に体を引きました。でも美波は私の肩に手を回し、抱きすくめて、離すまいとします。
「みさきー! アイス、まだかよ!」
潮の声です。
「だめ……!」
嫌だったわけじゃないんです。ただ、他の友達に見られるのが気まずくて、なんとか私は美波から唇を取り戻しました。でも体は密着したままです。そこに丁度現れた潮に、私たちは見つかってしまいました。
――何をしていたかは、一目瞭然です。
「なにやってんだよ! 美波!」
潮は顔を真っ赤にし、私たちに向かって怒鳴りました。
「……潮には関係ないだろ」
美波はどこか挑発的な表情と声色で吐き捨てると、私をそっと腕から解放して、わざわざ潮の目と鼻の先を通り、台所を出ていきました。それを潮が追いかけます。
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