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焼いてしまえばOKです。
1996年1月9日。東京足立区で事件は発生した。
逮捕されたのは、過去に冤罪のヒーローとも呼ばれた男だった。男の名は、角脇紳助だ。同棲していた島田優樹菜が料理を作らず家でゴロゴロしているだけの態度に腹がたっていた。「食事ぐらい作れよ」「だるっ」。その態度に角脇の怒りの沸点が暴発した。角脇の右手にバットがあった。そのバットを取ると寝そべって菓子を貪る優樹菜の後頭部に目掛けて叩き下ろした。怒りに常軌を逸していた角脇は、何度もバットを叩きつけた。最初の数発で怒りが増幅し、さらに力が籠った。優樹菜の頭から鮮血が流れ始めて事の重大さに我に返った。「どうしよう。こんな女のためにまたあんな辛い思いをしないといけないのか」。角脇には過去に連続殺人の疑いを掛けられ、過酷な取り調べを受けた経験があった。動くかなくなった優樹菜を見て、贖罪ではなく、厄介なゴミに見えた。粗大ごみは、小さくして処理すればいい。角脇は息絶えた優樹菜の頭にビニール袋を被せ、流血に気を配りながら裏庭に運び出した。
燃やしてなくなれば全てOK。そこでノコギリで体の部位を小さく解体し、焼いた。燃え切らない部位を布団に包み、人気のない山の駐車場に放置した。
角脇紳助と島田優樹菜は公園で知り合った。ベンチに座っていた薄汚れた優樹菜に島田が声を掛け、ホームレス状態だった優樹菜を自宅に招き入れたのが最初だった。
優樹菜は宿賃と食糧費代わりに自らの肉体を与えていた。その行為も息をするようなものになると紳助は夫婦気取りになっていた。一方、優樹菜は、体を与えることで全てを賄っていると考えていた。そのすれ違いが犯行に至る発端だった。
角脇には連続殺人の犯人として捕まったことがあった。1936年6月、茨城県で6人兄弟の次男として生まれた。兄弟全員、父親が違う。紳助は父親の顔も知らなかった。救いだったのは母親の実家は裕福だったことだ。母親は甘やかされて育った。子供を授かり、男に逃げられる。母親からすれば子供が男との別れの原因を作った思うようになったのか育児放棄のように子供に無関心だった。紳助は野菜や米を盗んでいた。達成感の歪んだ形だった。中学は二年で退学した。家の事情で茨木から東京に引っ越してきたその直後、16歳の頃、無免許運転で逮捕された。その後、火事場泥棒や窃盗、放火や強姦など様々な犯罪を繰り返す。このころには罪悪感そのものがなくなっていた。その結果、14回逮捕され、刑務所を出たり入ったりを繰り返していた。
疑われた殺人事件の最初は1968年7月、東京足立区で26歳の女性が暴行を受けたのち、焼き殺されたものだ。事件後、角脇が犯人だと密告電話があった。しかし、証拠がなく逮捕には行き当たらなかった。次は、1973年1月のことだ東京都北区で女性がアパートで絞殺され部屋が放火された。事件後、角脇がバールを持って歩いていたのが目撃されていた。次に1974年2月、東京都杉並区のアパートが放火され、22歳の男性と67歳の女性が亡くなっている。次は、1974年7月、千葉県松戸市で21歳の女性が暴行され焼き殺されている。現場近くで角脇が目撃されている。その頃、松戸市では30歳の主婦や19歳の女性が絞殺されているが犯人は捕まっていない。次に21歳の事件の四日後に東京都葛飾区で48歳と58歳の料理店店員が暴行され、焼き殺される事件が起きている。次は、埼玉県草加市のアパートで22歳の女性が暴行され部屋に放火されている。最寄りの駅で角脇が目撃されている。また、事件前に他のアパートの女性宅に忍び込み、騒がれ逃げていた。この犯人はアパートに住む若い女性を暴行し、放火している。放火すればすべてがなくなると思い込んでいる節がある。次に東京都足立区で24歳の女性が暴行後焼き殺されている。現場から逃げる角脇らしき男が目撃されているが決め手に欠けていた。最後に埼玉県志木市のアパートで21歳の女性が暴行され焼き殺された。ただ、この事件では犯人の血液型が他とは違い模倣犯の疑いが持たれていた。
これらの事件を総称して「首都圏女性連続事件」と呼ばれた。似た事件の多くで角脇の血液型と残された型が同じだった。当時の判定では特定迄できなかった。角脇は窃盗事件で逮捕された。前科に強姦・アパートの放火歴があったこと、梯子を使って部屋に侵入していること、被害現場の地理に詳しい事、アリバイがないことから角脇は殺人事件でも疑われた。警察は、二件の事件を中心に角脇を追及した結果、被害者の所有物が自白から見つかったことから、再逮捕にされた。
マスゴミは似たような事件も角脇が関わっているのではないかと騒いだ。角脇は、殺人はやっていないと人権団体に訴えた。
第一審は無期懲役の判決が言い渡された。第二審で、角脇は警察に自白を強要されまた、遺体の写真に顔を押し付けられたり、髪をひっぱられたりされたと訴えた。高等裁判所はその主張を認め、自白の信用性が乏しいとして無罪判決を言い渡した。自白から被害者の所持品が見つかったことは何故か軽視された。後日談として担当した弁護人は接見している間に疑い始めていたと述べている。この弁護人は弁護士会から戒告処分を受けている。弁護人はあのとき角脇を弁護し無罪になったことで島田優樹菜さんが亡くなったと苦しんでの告白だった。一事不再理があるから再度角脇を追及できない。
角脇は別の窃盗罪と暴行事件で懲役6年を言い渡された。しかし、連続殺人事件で16年拘留されており、角脇は刑務所には入ることはなかった。さらに残りの10年間に対し冤罪で拘留されていたとし、3650万円が支給された。
角脇は釈放後、冤罪のヒーローとして講演を行っていたが、お里が知れると言うのか釈放の一年後には窃盗を働いている。角脇はこの件で二年間、服役している。出所後、島田優樹菜さん殺害を起こしている。出所後、優樹菜さん殺害の間に公園で遊んでいた5歳の女の子に対し、首を絞めたり、口を塞いだりし、ぐったりしたので放置して立ち去った。少女は発見され、救助された。この事件では角脇が公園から少女を連れ出した目撃証言を得られており、猥褻目的誘拐罪と殺人未遂で逮捕されていた。
島田優樹菜さんに残されていたDNAが角脇の者と一致した。
警察は、慎重に事を進めた。逮捕前日に角脇の自宅を捜査した。その結果、裏庭の地中から優樹菜さんの頭蓋骨と犯行に使用されたノコギリ、冷蔵庫から優樹菜さんの陰部が見つかった。角脇は、逮捕された。
頭蓋骨は地中で骨にして家族に届けるつもりだったと語ったが単なる証拠隠滅だ。陰部に関しては自慰行為使えたらと保管していた。
第一審で無期懲役が言い渡された。角脇は控訴したが棄却され、無期懲役が確定した。無期懲役である以上、今後、角脇に若い女性が襲われることがないことが唯一の明かりだ。
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