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「旦那様、それは、優雅でロマンチックな演出をするためでございます」
「優雅でロマンチックな演出?」
「はい! 傘をよく使う東方の国では、傘をさした者どうしが細い道ですれ違うということがよくあります」
「なんと危険なことを! 広げた傘を手に持ってすれ違うなど言語道断だ! 傘を傷つけ合うのはもちろん、もし相手の体に傘が当たれば、たいへんな惨事になるではないか!?」
確かに混み合う駅の入り口で、「傘が当たった」「わざとじゃない」「服が濡れた」「もともと濡れていただろう」ともめている人たちを見たことがあったなあ――と、ケントは前世の記憶を引っ張り出しました。
だが、そういう争いを避けるための方法をケントは知っていました。
「彼の国においては、そうはならないために、『傘かしげ』という仕草があるのです」
「『傘かしげ』? それはどういうものだ?」
「傘をさした者どうしがすれ違うとき、互いに傘を反対側へ傾け、傘がぶつからないようにしたり、傘から落ちる水滴で相手を濡らしたりしないように気を配るのです」
「首を傾げるように、傘を傾げるということか?」
「さようでございます。その際、声を掛け合ったりはいたしません。互いに相手の動きを見て、絶妙なタイミングで傘を傾げるのです」
「やってみよう!」
「えっ?」
ウィルコックス氏はソファから立ち上がると、部屋の隅に置かれている傘立てから、二本の傘を取り出してきました。いずれも、一流傘店で自ら布地や持ち手を選び時間をかけて作らせた、超がつく一点物の高級品です。
そのうちの一本をケントに手渡すと、ウィルコックス氏は優雅な所作で傘を開きました。
玉虫色のつややかな布地、ブナ材で作られた重厚で上質な持ち手――、満足げな表情でウィルコックス氏はうなずきました。
「さあケント、おまえも傘を開くのだ。そして、窓の方から歩いてきてわたしとすれ違え!」
「あっ、はっ、はい!」
ケントは、超高級傘を恐る恐る開いてみました。
こちらは、少し古い傘なので、骨の当たる部分の布地がやや薄くなっています。乱暴に開けば、そこから布地が破れてしまう可能性がありました。
冷や汗を流しながら傘を開き終えたケントは、静かに窓の前に移動しました。
「では行くぞ!」
「はい」
春の庭園を描いたタペストリーが飾られた居間の中で、傘をさした二人の男が向かい合い立っていました。両者はゆっくりと前へ進み、すれ違うその瞬間にそろって傘を傾けました。
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