黒い穴

1/1
前へ
/5ページ
次へ

黒い穴

「おや? 何だアレ?」  ◆◆◆ 「またお前のミスかよ。何度目だよ、これ? ほんと、使えねえな、お前!」 「もうー、迷惑なのよねえ。キミのせいで全体の効率が下がっちゃうのよ。勘弁してくれない?」  職場の仕事がトラブルで止まった。同僚は口々に俺のせいだと言う。 「す、すみません」  俺は謝ることしかできない。口答えをすれば、「言い訳するな!」と怒鳴られる。  システムの不備だろうと、前任者の引継ぎ不足だろうと、すべて俺の責任にされるだけだ。 「謝って済むことかよ! とにかく自分でリカバーしろよな。俺たち『働き方改革』で残業なんかしねえからな」 「当然! 今日は予定があるんだから、定時で帰らせてもらうわよ」  自分たちの仕事が遅れていたことを棚に上げて、業務の停滞をすべて俺のせいにする同僚たち。  結局俺1人が居残って、同僚の分まで仕事を挽回することになった。 「何でいつもこうなるんだろう……」  俺はいわゆるコミュ障だ。30歳を過ぎているが、未だに他人とまともに会話することができない。敵対的な会話ができないのだ。攻撃的な言動をぶつけられると、精神がそのストレスに耐えられない。  毒を伴う議論を続けるくらいなら、謝ってしまった方が楽だ。というか、謝るしか選択肢がない。 「この会社も辞め時か」  俺は唇をかみしめた。  こんな調子で安定した生活を送れるわけもなく、俺はあちらからこちらへ仕事を渡り歩くフリーター生活を送っていた。  ◆◆◆  ある日、ワンルームマンションの部屋に黒い穴が開いた。  朝起きて背伸びをしている時に見つけたそれは、ベッドのヘッドピースの上にあった。  直径20センチほどの黒い穴が、何もない空間(・・・・・・)に浮かんでいる。 「えー? 煙……じゃないよね。穴なの、これ?」  穴はただ真っ黒で中の様子が見えない。視点を変えようと穴の周りを移動してみると、どこから見ても正面であることに気づいた。 「あれ? てことは、これって『穴』じゃなくて『球』なの?」  だが、それはのっぺりとしていて立体には見えない。というか、そもそも「実体」があるものには見えなかった。やはり、「穴」だとしか思えなかった。 「まさか、ブラックホールってことはないよね。霊穴とかも勘弁してくれよ?」  俺は怖くなって黒い穴から一歩離れた。  自他ともに認める心配性である俺は、気になりだすと物事を放っておけない。  強迫神経症というのだろうか。その上コミュ障でもある俺は、まともな就職をとうに諦めた。 「危ないもんだと困るなあ。このまま放ってもおけないし……」  唸った俺は、掃除用のフロアワイパーを持ち出した。この部屋で一番長いものがこれだったのだ。  穴にワイパーの先を押しつけると、何の抵抗もなく穴の中に消えていく。明らかに穴よりも横に広がっていたワイパーのヘッドが圧縮されるように歪んで、すっぽり穴に入ってしまった。 「嘘? ヘッドがなくなっちゃった」  驚いて引き戻してみると、ワイパーのヘッドは元通りについていた。 「えー? 何これ? 4次元ポケット?」  ワイパーを眺めまわし、恐る恐る指先で触る。常温だ。何も変化がない。 「ふーん。これはまいったな。……とりあえず朝飯にするか?」  俺は混乱した頭を冷やすために、一旦穴から離れて朝食を取った。食事をしながらも、つい目が穴の方を向いてしまう。 「悪いことばかりとは限らない。この穴が何かの役に立つかもしれないからな。じっくりこいつのことを調べてみようか」  引越しする金がない俺は、この部屋に住み続けるしかない。だから、得体の知れない穴のことをこのままにはしておけないのだ。  安全なのか、危険なのか。役に立つのか、立たないのか。納得がいくまで検証してやろうという気になっていた。幸か不幸か、今日は仕事がない。好きなだけ「黒い穴」の検証に時間をさける。 「――とりあえず、ベッドは穴から離しておこう」  俺は50センチほどベッドを引っ張って、穴から遠ざけた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加