幼馴染はキスがしたい!

1/1
前へ
/1ページ
次へ
美紅(みく)? 寝てるのか……」  颯汰(そうた)は、自分のベッドの上で無防備な姿を晒す幼馴染の顔を覗き込んだ。 「……んぅ」  唇をもごもご動かす美紅だが、起きる気配はなさそうに見える。 「…………はぁ」  ため息をついた颯汰は、毛布をそっと彼女にかけた。ベッドを背にして床に座り、参考書を開く。   「む、むう……」    数分後、聞こえてきた声に颯汰が振り返ると、不機嫌そうに頰を膨らませている美紅が睨んでいた。   「お、起きたか」  「なんで、なんでぇ……」  冷蔵庫に入れておいたプリンを食べられてしまったような、悔しさと恨みが滲み出ている目で颯汰を見ている美紅。 「眠気を我慢するより、適度な昼寝をした方が効率上がるからな。十五分経ったら起こそうと思ってたんだが」 「そうじゃない!」 「え?」 「もういい!」  美紅はベッドから降り、床を踏み鳴らしてローテーブルの前に座った。    「なんだよ。嫌な夢でも見たのか」 「もういいから! 勉強しよ。教えて!」 「ん。どこがわからないんだ?」 「えーと……」    教科書の解説を聞きながら、美紅は唇を尖らせつつ颯汰を見ている。  一方、美紅の視線に全く気が付いていない颯汰。どう教えたら美紅が理解出来るか、そのことに集中しているのだ。  美紅は、そっと唇の下の窪みを右手の中指でなぞった。  せっかく可愛い色付きグロスまでつけたのに。こうもスルーされると、やっぱり私って色気ないのかな、って思っちゃうよ……    自然な血色感で、ぷるんとした艶の濡れた唇になれるというリップグロス。 『カレにキスされちゃう魅惑のリップグロス』とSNSで多くのインフルエンサーに取り上げられている商品だ。  アルバイトをしているとはいえ、高校生のお財布から出すにはちょっとお高いそれを、勇気を出して買ったというのに!    颯汰は、私とそういうこと、したくないの?   「美紅、聞いてるか?」 「えっ、あ。うん」 「じゃあ、この問題解いてみてくれ。今の俺の話を理解していれば解けるはずだ」 「うん」    真面目に聞いていなかったので理解もなにもないのだが、それを言うと面倒なことになる。美紅は勉強モードに表情と頭を切り替えた。      「…………」  問題を解く美紅を見つめる颯汰は、内心動揺している。  今日の美紅、いつもと違うよな……    ぷるぷるの濡れた唇……  なんというか、美味しそうだな……  颯汰は首を振った。    いやいやいやいや、今日の俺はどうかしている。  さっきだって、ベッドに寝転んでいた美紅に対してあらぬ妄想を……うわあああ!  颯汰は無表情で美紅を眺めているが、心の中では頭を抱えてゴロゴロ転がっていた。    幼馴染の颯汰と美紅が付き合いはじめて半年と四日。   ふたりは、まだキスをしていない。    「お、終わったぁ……」 「おー、お疲れ……」    どうにか本日の予定分を終わらせ、同時に大きく息を吐くふたり。   序盤は雑念が多く進みが悪かったため、予定より少し時間がかかってしまった。もう夕方だ。 「颯汰、ありがとう。私ひとりだったら解けなかったよー。試験もいけそうな気がしてきた!」 「それは良かった」  目が合うふたり。  数秒間の沈黙。  美紅の唇が何かを言いたそうに動き、きゅっと結ばれる。    「……えーと、じゃあ、帰るね……あっ!」  気まずさに耐えられなくなった美紅は、立ち上がったものの、バランスを崩してしまった。 「美紅!」 「……!」  至近距離で目を丸くして見つめ合うこと数十秒。   「な、な、な……」 「うお……マジで……?」    颯汰が美紅を支えようとしたものの、支えきれず、そのまま床に倒れ込んでしまった。  そしてその際、お互いの唇が半分ほど触れ合ってしまったのだ。     「………………」 「ご、ごめん、美紅! 本当にごめん、ごめんなさい」  顔を真っ赤にして唇を震わせる美紅に、平謝りする颯汰。 「……な、なんでぇ……」  美紅が涙をぽろぽろと流し始めた。  それを見て、切腹を決意した武士のような顔になり、土下座をする颯汰。 「なんで、なんで謝るの……」 「いや、だって、事故とはいえ、あんな……嫌だっただろ? だから……」 「ソータは、ソータは、わたしとキスするの、いやだったのっ……?」    幼い頃のような発音で名を呼ばれた颯汰は、思わず顔を上げ、美紅の手を握りしめる。   「そんなわけない! あ、いや、キス自体は、したいかしたくないかで言えば、したかったけど、その、こんな事故みたいな形になって、申し訳ない気持ちでいっぱいというか」 「……したかった?」 「あー、うん……」 「なによそれぇ……」 「なによそれって何……」    美紅はこれまで悩んでいたことを、ぽつりぽつりと話した。    周りの彼氏持ちの子たちに聞いたんだけど、みんな付き合ってすぐとか、遅くとも四ヶ月後にはキスしてるんだって。  でも、私たち、クリスマスも何もなかったし、付き合って半年経っても、一度もそういう雰囲気になったことがないし。私に色気がないからだと思ってた。   「あー、いや、その……したいと思ってるよ。マジで」 「じゃあなんで……」 「こういうのは、自然な流れに任せたかったというか……」 「顔を近づけてみたり、上目遣いで覗き込んだり、うたた寝してみたけど、颯汰そんな素振り、まったく、これっぽっちも、見せてくれなかったじゃん!」 「さっきの、狸寝入りだったのかよ……」 「突っ込むところ、そこじゃない!」 「付き合って何ヶ月とか、何かのイベントだからじゃなくて、俺と美紅のタイミングでしたかったんだよ」    わめく美紅をなだめる颯汰。  頭をそっと撫でられた美紅は、頰を膨らませつつも満更でもない表情をしている。    「そんなの……」 「もっといいタイミングがあるかもって、ためらってばかりだったことは認めるし、謝る」 「なにそれ、ひどい……ためらった結果がこれだよ。初めてのキス、こんな事故みたいなのじゃなくて……ちゃんとしたのが良かったのに」 「……初めて……あー、えーと……うん。ごめん」 「謝らないでよ!」 「……ど、どうしたら……」  颯汰は狼狽え、美紅は視線を逸らしている。 「今、して」  颯汰の方を見ないまま言う美紅。頰は膨らみ、赤く染まっている。   「へっ?」  「だから、今して!」  今度は颯汰の目をまっすぐに見つめながら言う美紅。   「いや、流石にそれは……」 「じゃあ、いつなの? 何年何月何日何時何分何十何秒?」  「地球が何回まわった時、って小学生みたいなこと言うな」  颯汰のツッコミに、美紅は笑い出した。 「な、なんだよ」   彼の肩に手を置く美紅の顔は真っ赤だ。  そして、それを見る颯汰の頰も染まっていく。    「今度、したいと思った時に、して」 「じゃあ、今だな」 「え、ちょっと……」      颯汰に背を向け、色付きリップグロスを塗り直す美紅。  彼女を横目で見ながら、颯汰は息を吐く。    「四歳の時のキスは覚えてないか……」    その呟きは彼女の耳に届くことはなく、防災行政無線のチャイムの音にかき消されていった。        
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加