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「マデリン、指からなにか……」
知能と学習能力が高いらしい得体の知れない物体は私の指先を見てそう言葉を落とす。マシューは既に完璧に英語というものを使いこなしてしまっていた。マシューの肉体を持った物体が私に近寄ってきて、指先に触れようとする。皿を落としたときになにかひっかけたのだろう。かすり傷程度の傷だ。だが、今はマシューに触れられたくなかった。
「やめて」
ストップの声にマシューは体をぴくん、跳ねさせ足を止めた。私はマシューに貼り付けた笑みを向ける。夫とまったく一緒の姿形をした物体。ようやく私はこの行為が禁忌であることを理解した。地球上に地球外生命体がいる。しかも人間というものを私が覚えさせてしまった。駄目だ。猟銃で殺すべきだろうか。まだ今なら目の前の物体を殺しても夫が死んだころの私に戻れるだろうか。
「足を怪我するからあっちに行っていて。片付けるから大丈夫よ」
私は腰を折り床に膝をつく。夫が購入してきた皿が粉々に割れていた。夫はおしゃれなものが好きだった。洋服を纏いおしゃれをするというよりは皿のような陶器や有名建築家が建てた建築物を愛でることが好きだった。高価そうなこの皿も私に無断で購入してきて、少々の口論になったことを今思い出す。彼は朗らかに「でもこの皿は美しい」と少年のように瞳を輝かせるからそこでバトル終了。私は夫のあの瞳に勝てなかった。
「マデリンも怪我をするよ。僕が片付けておくから」
「……」
マシューはそう言って私と同じように腰を折った。マシューは私が『怪我』『片付ける』という言葉を使ったことを理解したようにすぐさまその言葉を会話に組み込む。やはり知能が高い。雑にガラス片を持ったマシュー。その瞬間、黒い液体がこぼれた。くちゅり、白色の皿が黒色にコーティングされていく。どうやらマシューが指を切ったらしい。とろり、流れていく黒色にマシューは困ったように首を傾げる。
「痛い?」
「……イタイ?」
「なにか感じる?」
「いや、別に」
「そっか。ガラスは触ると今みたいに切れるの。体内の血が出てくるから気をつけて」
マシューはまだ流れる黒色を不思議そうに眺めている。まるでコーヒーリキュールが床に流れ落ちるかのようだ。ぽつり、ぽつり、床を汚す。それを疑問に思っていたがマシューだがもう興味がなくなったのか、指から目線を逸らした。ガラス片を拾い集めていく。
「金継ぎって知っている?」
「き、んつぎ?」
「日本の伝統工芸よ。陶器の割れた場所を金で修繕するの」
「……壊れたものをなぜ? 新しくしたらいい」
金継ぎに目を輝かせていた夫との違いを再確認する。
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