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 夫と目の前のマシューの違いを知れば知るほどなにかが壊れていく感覚がする。足先が冷える。だが、知ってしまったドス黒い欲望を抑えることは今更できるはずもなく、私はガラス片を拾い集めているマシューの指先に自らの手を重ねていた。黒色の箱だったときと同じく冷たいマシューの手。ひんやりと冷えている。マシューが流す黒い体液で私の手は真っ黒に汚れていく。この黒い体液は触れてよいものなのだろうか。わからないが、どうでもいい。たしかに夫とはまったく違う目の前の物体。でも、たしかに夫と同じなのだ。姿形、声色、それが似ていればもう私の心の隙間は埋まってしまうのだ。 「マシュー……」 「なんだい、マデリン」 「会いたかった」  黒色で汚れる私の指先。それを気にしない私はそのままその手でマシューの頬に触れる。手と同じく温度のない頬だった。血液が流れていないことを実感する。私は再度震える声で「会いたかった…」と呟く。 「マデリン…私も会いたかった」 「…う、ん。そうだね」  この物体を殺すべきだと考えた先ほどの私が木っ端微塵に壊れる。私はマシューを手放せないだろう。この汚れた黒い欲望を持つ私はマシューを殺せない。夫を愛しているから。  私はマシューに近寄り、優しく唇にキスを落とす。喪服を着たときのことを思い出した。私は夫が埋葬されるまえに夫の唇にキスを落としたのだ。マシューの唇はあのときの夫と同じ冷たい唇だった。 「寝室に来て」 「……」 「知らないなら教えるわ。お願い……」  私の心に棲まうドス黒い欲望。この物体が夫ではないと理解しながら、夫と愛し合ったベッドに誘っている。寂しくて、悲しくて、たまらないのだ。目の前には夫と同じ物体。ならもういいじゃないか。どろり、真っ黒な歪な感情が私を恐ろしい場所に向かわせていた。相手は地球外生命体だ。そんなものと愛し合う。私は恐ろしく惨たらしいことをしようとしている。  「愛してる。マシュー」 「僕も愛しているよ。マデリン」  マシューは黒色の液体が纏わりつく私の手を握り締めた。そして私がしたように、私の唇に自らの唇を重ねたのだ。冷たいキス。人間の温度ではないキス。でも夫の外見をした物体から「愛している」と言われ、キスをされれば私の瞳からは涙が溢れ出る。あぁ、夫が帰ってきた……。  私は黒色の手でマシューを寝室に案内した。私はマシューの首筋や体に巻きつき、丹念にキスを落とす。服を脱ぎ、服を脱がせる。  白色のベッドはマシューの体液で真っ黒に汚れていく。私の中に吐き出された精液のようなものも光を吸収した完全なる黒色だった。
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