屍商人

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 ジルはそっと瞼を持ち上げた。懐かしい思い出に心を揺り動かされながらも現実から目を背けるわけにいかない。  あれから五年の歳月が経った。『ルゥルカ』の名を継いだジルは、同じく引き継いだ襤褸(ぼろ)のローブに身を包み、頭を下げた体勢を保っていた。 「顔をあげなさい」  頭上から降り落ちる玲瓏(れいろう)たる声音は、昔と変わらない。  ジルは熱くなった瞼に力を込め、涙が溢れないように堪えた。今すぐにでも駆け寄り抱きしめて、自分がジルだと名乗りたい衝動を理性のみで抑え込む。 「君の噂はよく聞いているよ」  王座に腰掛けた女王は力強くも優しい眼差しでジルを見下ろした。 「屍商人さん?」  ジルは答えない。『屍商人』は喋ってはならないと言われているので頷くだけに留めた。 「君は覚えていないかもしれないけど、私達は昔、会ったことがあるんだ」  ジルが無言を貫いても女王は気にも留めていないようで楽しげに言葉を続ける。 「……いや、覚えているから私に会いに来たのかな」  女王はジルの背後に視線を送った。  そこには先日、戦場で戦死の聖騎士長が跪いていた。その目に正気がない点を除けば、生者と何ら変わらない。戦場で負ったはずの傷も汚れもなく、門兵が驚きながら迎え入れたのも不思議ではない。 「君の望みは何だい? 金か?」  ジルは首を振る。 「わざわざ聖騎士長を届けに来たわけじゃあないだろう。君のは戦場を左右させる程に価値があるのに」  これには首を縦に。肯定の意を示す。  生者と違い恐怖や痛みを感じない屍兵は一体につき、数十万の価値がある。アベルのためなら喜んで無償で差し出すが、ジルの本来の目的はまったく別のものだ。  ジルはローブ越しに手を自分の胸に置き、次にその手を女王へ差し出した。  すると、女王はゆっくりと両目を見開かせた。 「……私の力になってくれるとでも言うのかい?」  ジルは頷く。 「ははっ、これはまた心強い味方ができた。君がいれば、私のも叶うはずだ」  アベルの目的とは何だろうか? ジルはその姿を盗み見た。あの頃の面影が残る美貌はどこか物寂しげな影がさしている。今にもその輝く紅玉から涙が滑り落ちそうだ。  次の瞬間、女王がぱっと長い睫毛を持ち上げたと同時に寂しげな色は消散していた。自信に満ち溢れた美貌を喜色に染めた女王は、輝く紅玉の瞳でジルを睥睨(へいげい)した。 「君を私の犬にしてあげる」  上から降り注ぐ言葉にジルは(こうべ)を深く下げた。  この日、屍商人は女王の犬となった。
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