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ジルが生きていることに男は気づいたのだろう。面倒くさそうにため息をはくと次は剣を鞘から抜くのが見えた。
「やめろ。彼は私の命の恩人だ。これ以上、痛めつけるな」
聖騎士とジルの間で、ジルを守るように両手を広げたアベルは、今まで見たこともない怒りの形相で睨みつけた。紅玉の瞳には怒りの炎が宿っている。赫く、深く、澱んだその色は美しさとはかけ離れているはずなのに目を離すことができない。
「お迎えにあがりました。アデライト王女」
赫に射抜かれた男は初めてその固い表情に動揺をみせた。また優雅な動作で膝をつこうとするが、先ほどと比べると動きがぎこちない。
地面に伏せながら別の意味でジルは驚いた。男はアベルを「アデライト王女」と呼んだ。アデライトという人物が誰なのか学のないシルヴァンは分からない。
だが、王女という単語は知っている。この国を統べる存在、聖騎士である男が守るべき存在、自分のようなスラムの犬が近付いてはいけない尊ぶべき存在。
嘘だ、と信じたいがアベルが時折、見せる仕草や言葉遣いが高貴な身分であることは薄々気が付いていた。
「もう一度、言う。彼に手を出すな」
今も自分より上背のある男を前にしているのに臆することなく、毅然とした態度で男を睨めつける。
「しかし」
「お前は、私に命じるほど偉いのか?」
周囲の気温は徐々に上がっていく。ゆらり、とアベルを中心に陽炎が立ち上る。
「ぅ、あ、べる」
痺れた舌で名前を呼べば、アベルはぱっと振り返った。
「ジル、頭は痛い?」
「……あぁ」
痛いに決まっている。腕が動かないため確認できないが、きっと血が流れているはずだ。
だって、一向に痛みは引かないのだから。それどころか意識が薄れていくのを感じる。
「ジル、お別れだ」
アベルは泣きそうな顔をしながらも、気丈に笑顔を浮かべた。共に暮らし初めて七年間、初めて見たぎこちない笑顔だ。
ジルは腕を動かそうとした。今、アベルを食い止めなければ、きっと後悔すると思ったのだ。
しかし、腕は動かない。ジルの思考とは裏腹に瞼は落ちてゆく。
「今まで俺を守ってくれてありがとう。親友でいてくれてありがとう。……裏切って、ごめんな」
霞んでいく世界のなか、アベルの頬を伝う涙が見えた。
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