夜空に赤い風船

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 あの日、夜空に飛んだ風船は赤い色でした。 ◆ 「さて、やるか!」  八十七歳で他界した祖母の葬儀が終了し、私は祖母の部屋の遺品整理を母から頼まれた。勿論、無料で動くはずはない。時給七百円。大学の夏季休暇のちょっとしたバイトだ。  生前から祖母は綺麗好き。居室だった六畳間はキチンと片付いている。どこかから手をつけよう?と迷った末、私は押入れを開いた。綺麗好きな人に多いのかも知れないけど、祖母は、いらなくなった物をすぐに捨てる人だった。だから押入れの中の物は少ない。収納ケース四台だけってシンプルさ。定期的に掃除していたのか、埃も少なかった。  収納ケースには冬物の服がキチンと畳んで収納されている。この冬服を今年も衣替えして着て欲しかったな、なんて思ったら胸からジュクジュク水っぽい音がしたように思えた。  収納ケースを押し入れから引っ張り出すと、私は奥に四角い木箱を見つけた。「何が入ってるんだろう?」木箱を取り出しフタを開いて見ると、そこには手紙の束が入っていた。縦長の茶色い封筒。だいぶ古そうだ。束はゴムで留めてあり、年月が古い手紙から順に並んでいた。  差出人は、全て同じ。緒方一郎という男性名からだ。既に他界している祖父は井津川忠次(いつかわちゅうじ)。一番古い手紙を開いて読んでみると、緒方一郎から祖母、初音(はつね)へのラブレターであることが分かった。昔風に言うなら恋文かな?  嫌な予感が走る。(まさか、お婆ちゃん、お爺ちゃんに内緒で不倫してたんじゃ……)  祖父は、私が高校生の時に亡くなった。祖母と祖父は、喧嘩したことなどない、とても仲の良いオシドリ夫婦だったと記憶している。  手紙には年月日が記載されていた。最初は、昭和二十七年、七月十四日。 (えっと、お婆ちゃんは八十七歳で亡くなったから……) スマホで調べると、昭和二十七年、祖母は十五歳だった。手紙には、達筆な文字でこう書かれている。 『お祭りの日は凄い混雑で、わたしとあなたの肩がぶつかり、夜空に飛んだ風船は赤かった』 ーーーー  あなたの横で泣いていたのは、あなたの妹様でしたね。あの風船は、あなたが小遣いで妹様に買った風船でした。わたしは酷く申し訳なく思い、飛ばしてしまった風船と同じ色を購入し、妹様に糸を渡しました。すると、あなたは風船の代金、五十銭をガマ口から取り出し、わたしに渡そうとした。酷い口論の末、わたしはあなたに勝ちました。あなたは渋々に財布の口を閉じました。その後のわたしを、どうか許して下さい。わたしは、あなたの後を尾行し家を突き止めたのであります。  この手紙を開き、あなたはさぞかし驚いたでありましょう。しかし、わたしはあの夜、あなたに一目惚れをしてしまったのです。もし、この罪深きわたしに少しでも心の袂を許してくれるならば、どうか、この住所に手紙を下さるようお願い致します。 ーーーー 「えっ、ストーカーじゃん。キモッ」  私は便箋を封筒に終い次の手紙を開いた。 ーーーー お手紙、夢心地で拝見致しました。何と、毎朝、すれ違う女学生の中にあなたがいたとは、わたし達は毎朝、会っていたのですね。明日から、わたしの目はセーラー服の赤いリボンに釘付けになるでしょう。あの日の風船と同じ赤色。その赤に、わたしはお下げの三つ編みを探します。初音さん、あなたを探します。 ーーーー  この手紙内容からして、祖母の方が先に一郎さんを知ってたということになる。  手紙を読み進めてゆくと、コスモスの丘と呼ばれる場所で二人はひっそりデートを重ねていたことが分かった。年齢も祖母と同じだと判明した。  一郎さんの手紙が『好いています』の連発になる。それが『愛してる』になった。相当、深く愛し合っている様子。でも、二人は結ばれていない。だって祖母は祖父と結婚したんだから。  手紙を次々と読みあさっていると、原因が分かってきた。この一郎さんは、地主の長男。つまり跡取り息子。同じような家柄の娘が許嫁と決められていた。祖母は農家の娘。一郎の両親が交際を知り、猛反対していたのだ。  母にそれとなく祖母の時代の結婚を尋ねてみる。母はこう答えた。「今は恋愛結婚が普通だけど、お婆ちゃんの時代は、当人の気持ちより家と家を繋ぐ見合い結婚が多かったんじゃないかな」  なるほど、今じゃ考えられない不幸な時代だ。私は祖母の部屋に戻り手紙の続きに目を通す。すると、とうとう一郎さんは親の決めた許嫁と結婚していた。既婚者のくせに、良く祖母に手紙なんか書けるなって腹立たしくなる。だけど、彼の文字には切なさが滲んでいた。 ーーーー  初音を想いながら、祝言をあげなくてはならぬわたしをどうか許して欲しい。長き年月、初音だけを愛してきた。君想ふ心、今も変わらず。この胸を熱くするのは君の姿だけ。その長き黒髪に包まれ、ずっと夢を見れたなら死んでも良いと思えるのに。 ーーーー 「お婆ちゃん、何て返信を書いたんだろう?妻に手紙、見つかったりしなかったんかな?」  不安になってくる。気づけば手紙は、後一通。多分、さよならの文だと予想する。でも、手紙を開き私は喫驚した。予想とは真逆の文字が綴られていたからだ。 ーーーー  愛する初音。わたしは家も妻も、何もかも捨てる決意を固めた。この手紙より一か月後の十月二十日、コスモスの丘にて君を待つ。一緒に逃げよう。逃げて欲しい。 ーーーー  まさかの、かけおちのお誘い。まあ、さすがに断ったから、祖父と結婚したんだろうな。そう思っていた矢先、私は木箱の底に丸まった白い紙を見つけた。手に取ってみる。それは白いが色褪せた便箋だった。クシャクシャになった便箋を開いてみると、そこには一郎さんではない文字で【必ず行きます】と書かれていた。  私は再びキッチンに走り、母に便箋を見せた。 「ねぇ、この字、お婆ちゃんの字」 あっさり頷く母。 「そうだよ。確かに義母さんの字だね。必ず行きますって、義母さん、どこに行ったんだろ?」 (かけおちだよ!かけおち!) 私は心で叫んで祖母の部屋に戻った。 「でも、待って」 私はシワクチャな手紙に目線を落とす。そうだ、と思った。この手紙は一郎さんに出さなかった手紙。この手紙を郵便ポストに投函していれば、祖母は一郎さんと結婚してたはずだから。  祖母は一郎さんに、どんな返事を書いたんだろう?沸々と興味がわいてくる。手紙の住所は、最初の手紙と封筒裏に記載されている。今は夏休み。手紙の古さからして時効。もし一郎さんが生きていたら、祖母の最後の手紙を届けたい。そう思った。  手紙の束をリュックに詰め、私は電車を乗り継ぎ東京から栃木県、那須市に向かった。  今、家は取り壊されて跡形もないけど、那須市は祖母の地元。祖父と結婚し東京に移住したと母から聞いた。祖父は公務員だったので仕事関係で引っ越したんだろうと予想する。  駅に下車、スマホのナビ通りに歩いていると、段々と民家が途切れ田畑が広がった。凄い田舎。暫く歩くと、道路の右側に緑豊かな小高い丘が見えた。手紙の住所地から、かなり近い。 「まさか、ここってコスモスの丘じゃ……」  今は夏、コスモスは咲いていない。だけど私は、何かに引き寄せられるよう丘を上る。スニーカーを履いてきた自分に感謝だ。だけど運動不足みたい。坂がキツくて息があがってしまう。  所々に伸びた背丈の高い雑草を避けながら頂上付近までくると、丘の上に白いTシャツの長細い背中を見つけた。栗色の短髪。男の人みたいだ。足が自然と止まる。近づいてはいけないと思った。なぜかというと、大きく両肩が上下しているのが分かったから。  もしかして泣いているんじゃ……。そっと足を後方に引く。すると彼が振り向いた。視線がガッチリと重なり合い、彼が立ち上がった。瞳が潤んでいる。やはり、彼は泣いていたのだ。  もはや逃げても遅い。私は深呼吸してから口を開いた。 「なんで泣いてるの?」 「あっ……えっと」 彼は手の甲で涙を拭う。 「大好きな祖父が、少し前に亡くなったんだ」 「そっか……」 「君、見ない顔だね。地元の娘?」 「違う。東京からきたの」 「東京から?わざわざ、このコスモスの丘に?」  目の前で風船がパチンッて割れたような気がした。 「やっぱり、ここがお婆ちゃんのコスモスの丘なんだぁ〜」 「お婆さん?」 「うん、私の祖母も少し前に亡くなったの。それで遺品整理してたら手紙が見つかって。で、手紙を届けにきた」 「手紙?誰に?」  私は持っている封筒に目線を落とす。 「緒方一郎さんって人。この近所に住んでるみたいなんだけど知ってる?」 「緒方一郎って……」 彼は便箋を私に翳した。 「まさかと思うけど、君のお婆さんって三浦初音さん?」  名字は違うけど、同じ名前。彼は続けてこう言った。 「僕の祖父の名は緒方一郎だよ。これは三浦初音さんから祖父に届いた手紙。僕はこれを読んで泣いてたんだ」  彼の横にはダンボール箱が置かれている。遺品整理していたら、押し入れの奥から手紙の束を見つけたと彼は言った。 「その手紙、私に見せて」 私は彼から便箋を受け取り目を通す。間違いない。祖母の字だった。  その後、私達は自己紹介を交わすことになる。彼は緒方一郎さんの孫で、緒方圭人(おがたけいと)君。私と同じ大学一年生、十九歳。チャラくはないけど左耳にピアスを光らせたイケメンだった。 「井津川彩菜(いつかわあやな)さん。良い名前だね」  圭人は長くサラリとした前髪を揺らして微笑む。 「あっ、有り難う」 少しだけ頬が熱く感じる。私は背負ったリュックを肩から外し、中から手紙の束を取り出した。 「これ、一郎さんからお婆ちゃんに宛てた手紙。良かったら交換して読まない?」 「うん、読みたい」 圭人は私から手紙を受けとり緑の絨毯に腰を降ろす。そして自分の隣の箱を手で軽く叩いた。 「君も座って、このダンボールの中にお婆さんの手紙が入ってるから」 「うん」 ジーンズを履いてきたことに何となく感謝し、私は正座を崩した姿勢で座る。ダンボールから取り出した手紙の束は、古いものから順に並んでゴムで留められていた。祖母と同じで律儀な人みたい。私は、一番古い手紙から読むことにした。  空には太陽。容赦ない陽光が降り注ぐ。でも、その光から守るよう、二人は大木の影に覆われていた。緑の葉の隙間から差し込む溢れ日が、開いた祖母の便箋に文字を浮かせた。
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