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聴こえる声、見える風景
目の前には、幼い俺の娘がいる。
その娘が、窓辺の椅子に深く腰掛けたまま俺に言った。
「お父さん、小鳥たちの声が聞こえてきたよ」
窓に目を向けたまま、儚げに伝えてくる娘の言葉に俺は返す。
「そうか、雨が、上がったんだな」
ここしばらく、雨が降っていた。
小鳥たちは木陰で雨宿りしながら、今かまだかと晴れ間がくるのをひっそり待っていたのだろう。
日差しと共に、まだ雫が垂れる雨の中をはしゃぎ始めた小鳥たち。娘は、その楽しげな鳴き声が嬉しいのだと言う。
「お父さん、私、小鳥のさえずりが好き」
厳密に言えば、さえずりは雄鳥の求愛や縄張り宣言の長く鳴く声を言うのだが、娘に聞こえているのは⋯⋯おそらく地鳴きと言われる短い声のものだろう。
「そうか、お前にはどう聞こえているんだ?」
あえて会話にのってやるのが、俺の示す愛情表現である。
今、小鳥の声などどこからも聞こえていない。
娘は、聞こえぬものを喜んでいるのだ。
「私には、幸せの声にしか聞こえないよ」
曖昧ではあるが、娘がそう言うならば、それが正解なのだろう。雨だってまだ止みきってはいない。小鳥だって鳴いてはいない。
娘の幻聴が進んでいる証拠だ。
ただ、その中に幸せという言葉が織り交ぜられているのは、ある意味救いではある。
病気の進行に並行してひどくなる幻聴や幻覚が、娘の心を蝕むものになるかと思っていた。だが、存外、悪いものにはなっていないようで安心する。
俺にとっても、それは救いのひとつであった。
それが娘の心の平穏を保つものであれと、俺は毎日、娘の相手をしていた。
「お父さん、空がどんどん明るくなってきたよ」
娘は窓辺のカーテンに手を伸ばし、俺に振り返って続けた。
「止みかけの雨って、やっぱり好き。希望に満ちてるって感じがしない?」
──止まない雨はない。
よく耳にする言葉だ。
──明けない夜はない。
これもまた同じく。
今の俺にはどれもが、すべて、哀しい⋯⋯。
「お父さんも見てみてよ。スズメさんたち楽しそう」
窓の外を指差す娘は、どこまでも弾んで美しい。
会話に合わせてやるのが愛情表現だと言ったが、俺が暗くしていては愛情も何もありはしない。
しっかりしないとな。
「どれどれ見せてみろ」
娘の幻聴や幻覚にとことん付き合おうと、俺は身を乗り出した。
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