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聴こえた声
「あっと、お父さん危ない!」
俺はベッドから転落しそうになった。娘に支えられ、なんとか体勢を整えるのが精一杯だった。
「ごめんなさいね、見てみてなんて私が言うから。でも意欲をもってくれて嬉しいわ、ありがとう」
娘は俺の背中をさする手を優しく強め、鼻をすすった。
「ねぇお父さん。東屋でのこと思い出さない?」
娘のその言葉を聞いた瞬間、俺の中の回路に何かが走った。長年詰まっていた鼻が通ったような、目隠しを外されたような⋯⋯いわゆる、頭の中の靄が晴れたといった感覚で、体の浮遊感すら覚えた瞬間だった。
「おい、東屋って、みなみ公園のあそこのことか」
思わず口をついてでてきた言葉に自分の意思はなく、ただ記憶の欠片がこぼれでたという感覚でそう返した。
「ええ! みなみ公園の東屋。私たちが初めて出会った場所。思い出したの!?」
娘は、幸せを滲ませた驚き顔で俺をのぞき込む。
俺は、その顔をじっと見つめ、自然発露的に名を呼んだ。
「⋯⋯艶子、か?」
途端、娘が、わぁと泣き出す。
そしてコクンコクンと大きく頷き、「艶子です。あなたの艶子ですよ」と決壊した涙顔で俺を見つめてきた。
「そうか⋯⋯、俺を呼ぶ声は、艶子だったのか」
俺はそのとき、ずっと最愛の妻を誤認していたことに気づいた。
「はい、ずっとおそばに」
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