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これから見ていく風景
どうやら俺は事故に遭い、昏睡状態だったらしい。
半年ほど前にようやく目を覚ましたが、頭を打った衝撃で記憶障害が起きていたようだ。
長い長い夢をみていた。
俺たち夫婦の娘はすでに成人しており、離れたところで暮らしている。娘には何の病気もない。単に俺が幻覚を見ていたのだ。そばにいるのが幼い我が娘だと思いこんでいた。
妻に促されてのぞいた窓の外は、雨上がりの、まだ雫が舞う幻想的な景色に見えた。
そこで俺の中の停滞していた雨が、今、本当に止んだのだと認識した。
「お父さん、よく頑張ってくれたわ。でももう、頑張らなくていいのよ。あとはゆっくりゆっくり、進めていきましょう」
艶子の言った「頑張らなくていい」の言葉に俺の目からも涙が溢れ出る。それを艶子に伝えた。
「ただいま。お前も頑張らなくていいんだ。ありがとう」
二人して幸せの涙を流しあう。
そしてティッシュを片手に艶子が言った。
「お父さんあのね。記憶がなくてもあなたの声は私にとってずっとさえずりだったの。大好きな声で話してくれるだけで、それは幸せの声だったのよ」
ああ、そう言えばさっき言っていたな。それは俺のことだったのか。
だったらその通りだ。俺から伝える言葉は全てが求愛だ。
「だったらずっと鳴いてみせようか。ホーホケキョって」
「そうね。またみなみ公園の東屋に行って鳴いてもらおうかしら」
齢も重ね、若さはない。
だが、二人の失われた時間を取り戻すには、まだ遅くない。
それが二人らしければ、共に老いるのも楽しそうだと、俺は胸の中で静かに思った。
(愛)
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