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*11 お祭り騒ぎの狭間からこぼれた感情
それから半月ほどして、文化祭が開催された。
通常であれば、生徒に直接授業などで関わることが殆どない、俺のような事務員なんかは、学校の管理上仕方なく文化祭中も校内に在中はするものの、模擬店などに顔を出すことはほとんどないらしい。
だけど、日頃“うさちゃん”なんて俺を慕ってくる生徒たちには関係がないようで、いくつかの模擬店のチケットをもらった……というより、仕事机に置かれていたのだ。
「さすが、宇佐さんは生徒たちに人気がありますねぇ。羨ましい」
「はあ、でも……俺は先生ではないし……」
「いいじゃないですか、生徒たちの気持ちですよ。長居したりしないのであれば、顔出してきたらどうです?」
保護者を含めた外部の人も多く来るし、なにより生徒たちも売り上げが伸びたら嬉しいだろうし、と、年配の教師に言われ、結局昼食を食べに行きがてら顔を出すことにした。
校内は校舎内も中庭も人であふれかえっていて盛況だ。数か月コツコツと準備をしてきただけあって、各クラスとても出し物や模擬店が凝っている。
「1-Cのたこ焼きいかがっすかー。大きいタコは入ってるよー」
「矢木高カレーは2-Dでしか食べられないよー! 何と一皿ワンコイン!」
男子校だからか、食べ物系はガッツリ系が多く、イベント系は定番のお化け屋敷から、中庭では大掛かりなジェットコースターのようなものまで展開している。
「あ、うさちゃん! 来てくれたんだ!」
「何かチケットもらっちゃったから。なにが食べられるの?」
「ウチは焼き鳥だよ。なにがいい?」
チケットをくれた3-Bというクラスに顔を出すと、文化祭の準備期間に顔なじみになった生徒たちが出迎えてくれる。3-Bは渡り廊下付近で焼き鳥屋をやっていて、香ばしいにおいがテント内に広がっている。
焼き鳥屋とは言え、高校生が扱うので当然一緒に取り扱う飲み物はソフトドリンクだけなのだが、用意してくれた焼き鳥は素人が焼いたにしてはかなり美味かった。
「美味いよ、焼き鳥」
「マジで? やったー。うさちゃんお墨付きって看板に書こうぜ」
「そんな宣伝効果はないよ」
「あるって」
俺が苦笑しながら「ないよ」言い返していると、「みんなのかわいいうさちゃんが美味いって言うだけで箔がつくんだよな」という、褒めているようだけれど、どこか棘のある言葉が背後から聞こえてきた。
イヤな感じだな、と思いながら振り返るのと、俺と話をしていた生徒の一人がその名を呼ぶのはほとんど同時だった。
「賢もそう思うよな? ほらぁ、やっぱ効果あるって、うさちゃん」
「や、でもさ……俺は、ただの事務員だし……」
「ただの事務員がこんなに生徒に好かれることもないと思うけど?」
「そーだよ、うさちゃんはかわいいんだからさ!」
生徒の強引な言葉にたじろぎつつやんわりと断っているのに、狐塚は焚きつけるようなことばかり言う。俺が強く生徒に言い返せない様を楽しんでいるのか、ニヤニヤとした目で俺を見ている。その目つきがものすごく不愉快で、本当に腹を立ててしまいそうなのをグッと堪えるしかない。それさえも、狐塚にはお見通しなのか、何もわかっていないもう一人の生徒を唆すような言葉を続ける。
「いいじゃん、イベントなんだから楽しく盛り上がったら」
「そうそう。書かせてよ、うさちゃん」
「そ、そういうわけにはいかないだろ。先生方だっていい顔はしないだろうし」
「そっかなぁ。じゃあ俺誰か先生呼んでくるからさ、賢、うさちゃんおもてなししといて!」
「オッケー」と狐塚はその生徒をひらひらと手を振って送り出し、何か企むような目で俺の方を振り返る。今日までに数度彼とすれ違う程度の接触はあったけれど、いずれも良い印象を受けていない。
だからなのか、周りに人がいる中とは言え、この場に狐塚と二人きりにされるのはなんとなくいやな気分だった。
それが顔に出ていたのか、狐塚がくすくすと笑いながら呟く。
「みんなのかわいいうさちゃんって言う割に、感情ストレートに出し過ぎじゃない?」
「べつに俺はアイドルじゃないからいいだろ」
「って言うかオトナなんだからさ、軽く受け流せばいいじゃん。ダサッ」
笑いながら煽るようなことを言ってくる狐塚の態度が癪で、つい、「すべてのオトナがスルースキルあるわけじゃないよ」と、にらみながら言い返すと、狐塚はスッと俺の方に音もなく近寄り、耳元で囁いてきた。
「そうみたいだね、ホントは淫乱なうさちゃん」
「……は?」
悪口にしてはタチが悪くて、それでいて俺のもうひとつの顔を的確についている言葉に、俺は思わず狐塚の顔を見上げる。十数センチほど高い位置にある、獅子倉によく似ているが悪意に満ちた目を細めている狐塚の表情は、何かを知っている含みのある笑みを浮かべている。
何か、ものすごくイヤな予感がする。これまでに彼から感じていた中でも飛びぬけて不愉快になるものだ。
それでも声を荒げることなくいられたのは、ここが職場である学校内だからだろう。
「……なにが言いたい」
普段出すことがない声色で狐塚をけん制したけれど、彼はやはりニヤニヤと笑うばかりだ。
狐塚はニヤニヤした笑みを引っ込め、急にひやりとする笑みに切り替えて答えた。
「ここでそれ言っちゃっていいなら言うけれど?」
「…………ッ」
「どーする? みんなのかわいいうさちゃん」
語尾にハートマークさえチラつく、煽るような言い方に噛みつかないように堪えていたら、「おーい、俺めっちゃいい人連れてきたー」と、先ほど、看板の許可を得に教師を捜しに行った生徒の声が聞こえてくる。
俺と狐塚がその声の方に顔を向け、そして、俺は言葉を失った。
生徒が連れてきた教師もまた、俺と、きっと狐塚の姿を見て驚きを隠せない顔をしている。
「じゃーん。見てよ。獅子倉先生見つけちゃった! 獅子倉先生がオッケーしてくれたら、絶対大丈夫っしょ」
寄りにもよっての人選に、俺は逃げも隠れも、それどころか言い訳すらできず、ひとり気まずい想いを抱えたまま、その場に立ち尽くしていた。その様子を、狐塚にまたニヤついた顔で見られているのを感じながら。
「宇佐さん本人の気が進まないみたいだから、やめた方がいいんじゃないのか」
生徒が期待を込めて連れて来たのに、堅物が服を着たようである獅子倉は、あっさりとその期待を裏切るようなことを口にした。これはこれである意味期待を裏切っていない気もするのだが、生徒が望んでいた答えでないことは確かなので、獅子倉を連れてきた当の生徒はあからさまに肩を落とす。
「獅子倉先生が言うんなら仕方ないんじゃない?」
「だよなぁ……すんません、あざっした。うさちゃんも、来てくれてありがと」
「ああ、うん……力になれなくて悪かったね」
誰が悪いというワケではないが、俺が謝っておかないと収まりがつかない雰囲気のような気がしたので、おずおずと頭を下げて俺はそのクラスを後にした。
自然と、用済みになった獅子倉とも連れ立って歩くことになったのだが、何故か、その隣には狐塚が並んで歩いている。
「君のクラスだろ、行かなくていいの?」
「俺シフトいまじゃないもん。それよりさ、勝兄、いま暇でしょ? 一緒に回ろうよ」
明らかに俺に対してとは違う、甘えた口調で獅子倉に話しかけ、更には腕を組むような仕草までする狐塚の態度に、俺は苛立ちが一瞬で頂点に達しそうになる。
しかしだからと言って、俺も負けじと獅子倉の腕を取るわけにはいかないだろう。べつに俺たちはそういうことをして許される中ではなく、言ってしまえばただのセフレなのだから。
獅子倉はと言うと、狐塚の誘いに腕を組みながら考え込み、「そうだなぁ」などと呑気に言っている。
「見回りをしなくてはいけないからな、一緒に見て回るわけでは……」
「模擬店の中まで見るのだって見回りになるじゃん」
「それもそうか……」
もっともらしい理由を述べられ、獅子倉は納得しながら狐塚と腕を組んだままの格好で中庭を進み、やがて校舎内へ入る。普段の倍以上の人であふれかえる校内の様子は、確かに事細かに目を配るには店の中に入らなくてはならないだろう。
だからと言って、それを何故、狐塚と一緒に、ということになるのか。二人は縁戚関係にあるとは言え、いまは学校にいて、教師と生徒の間柄のはずだ。こんな一般の来校者のように校内を歩いていいわけがない。
「見回りなら、獅子倉先生ひとりで行った方が身軽なのでは? 生徒が付きまとっても邪魔だろうし」
無意識に俺は、いつの間にか口を開いて二人に向かって言ってしまい、獅子倉と狐塚がゆっくりとこちらを向いた。
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