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*12 いがみ合いの果てに突き付けられる秘密
苛立ちが押さえきれずつい口走ってしまい、獅子倉と狐塚から凝視されている。二人とも、「お前何言ってるんだ?」という顔だ。
口出した結果、そっと姿を消すわけにもいかずそのまま立ち尽くしていると、狐塚があからさまにバカにした様子で進言してくる。
「うさちゃんまだいたの? 持ち場戻りなよ」
「それは君だって同じだろ。シフトじゃないとは言え、遊び歩いてるのはクラスメイトに反感を買うのでは?」
「べつに俺午前中働いたからいいんだよ。うさちゃんこそ仕事サボる口実にしてない?」
「君と同じにしないで欲しい」
言葉が目に見える色や形をしていたなら、きっといまの俺と狐塚のそれは互いの間でぶつかり合って、激しく火花を散らしていたんじゃないだろうか。
はっきりと言葉にされたわけではないが、明らかに狐塚は俺を敵視している。理由はきっと、獅子倉に関係しているのだろう。俺が獅子倉の傍にいるだけで、こんなにも噛みつきそうなのだから。
ギスギスした空気になってきたのを、獅子倉も察したのかどうかはわからないが、俺と狐塚の間を割って入るようにこう切り出した。
「お気遣い有難いが、見回りはひとりで行く。賢も宇佐さんも、それぞれの持ち場があるんだから」
そうだろう? と言いたげに狐塚と交互に顔を覗き込まれ、俺と狐塚は口をつぐむ。その眼差しのあたたかさに一瞬胸が鳴るも、それでも狐塚への苛立ちは抑えきれないので、獅子倉に見えない角度でにらみつける。狐塚もまた同じように俺を忌々しそうな目で見ていた。
獅子倉は気付いていないのか、じゃあまた、と俺の方に会釈をし、狐塚には手を挙げて挨拶するようにして去っていってしまった。校舎一階の生徒用玄関前のエントランスという、人が多く行きかう場所に俺らは放り出されるように残された。不機嫌で生意気な生徒と共に。
先程よりも見るからに狐塚は不機嫌そうな顔をしているが、それでも何か含むような表情をしている。
「……何か言いたいことでも?」
「残念だったね、勝兄に相手にされなくて」
「お互い様だろ」
これ以上こいつと顔を合わせていたくない。並んで立っているだけで苛立ちが止まらないのだから、心身によくないに決まっている。
そう考えながら背を向けて職員室に戻ろうとした時、目の前にスマホが行く手を阻むようにかざされた。誰かが無断で写真でも撮ろうとしているのかと一瞬身構えるも、画面に映し出されていたのは俺のいまの顔ではなく――見るからに歓楽街と思われる中を、並んで歩いている俺と、獅子倉の姿だった。
あまりに想定外のものを見せつけられ、目の前のそれがすぐに自分たちの姿だと把握できなかったほどなのだが、理解した瞬間、驚きと焦りで叫びそうになった。辛うじて口許に手を宛がって堪えたが、写真を見せつけてきた相手は腹を抱えて笑っている。
「マジ、ウケんね。これガチのやつなんだ? ねえ、淫乱うさちゃん」
ニヤニヤを通り越して邪悪さしかない笑みを浮かべながら、狐塚は俺にスマホをひらひらと見せつけてくる。慌てて取りあげようにも狐塚の方が俺よりもはるかに背が高く、悔しいが指先すら届かない。それさえも、こいつはおかしそうに笑っている。
「これ……どうして……」
「知りたい?」
「だって、それは……」
「じゃあ訊くけどさ、あんた、やっぱ勝兄と付き合ってんの?」
「いや、そういう、ワケでは……」
「じゃあなに?」
ここでもし、嘘でもそうだ、と答えられていたなら、俺の立場が少しは良くなっただろうか。そんな無駄なことを今更に考えてみても、俺と獅子倉の間にあるのは体の繋がりでしかなく、しかもそれは褒められるような出会いがきっかけではない。
しどろもどろになってうつむく俺の様子を、狐塚はスマホの画面表示をそのままに腕組みし、見下すように眺めている。
「ここじゃ言えないような関係なんだ?」
「…………」
「ま、この写真見るからに、こういうとこで大っぴらに言えるような感じじゃないもんね」
わかっているなら、どうしていまそれをここで見せてきたんだ、と言いたいのに、言葉が、声が出ない。だらだらと冷や汗が出て、自分がとてもマズい状況であることは確かだ。
狐塚はそれを見透かしているのか、スマホを制服の胸ポケットにしまい、数歩俺の方に歩み寄って来て耳元でこう言った。
「あんたが知りたいこと教えてやるから、放課後、ウチのクラス来なよ」
「……それまで、さっきの写真は」
「言わないでおいてあげるよ、一応ね」
「一応……」
不安の残るような言い方をされたけれど、あの写真データが彼の手許にある以上、下手に声を荒げたりしない方がいい気がする。悔しいけれど、生徒である彼に従うしかない。
「……わかった。放課後、行く」
不安と怒りと絶望が入り混じり、混とんとしている感情が爆発しないように堪えながら俺はそれだけを呟き、狐塚から離れて歩き出す。
すれ違いざま、狐塚は俺にだけ聞こえる声で呟く。
「ヒトの大切な従兄に発情してんじゃねーよ、淫乱ウサギ」
これ以上の侮辱があるだろうか。悔しさで拳を握り締めつつ歩みを速め、一秒でも早く狐塚から離れたい一心で地を蹴って進む。だけど同じくらい、言葉は悪くとも彼が言い表している俺の実態を的確に形容されて、言い返せないでもいる。
悪態をつきたくとも、自業自得が招いた顛末とも言える事態に、俺は数時間後にどう向き合えばいいのだろう。
涙すら出ない最悪の事態に、俺は唇をかみしめて自分の持ち場へ戻っていった。
それから放課後まで、どうやって仕事をしていたのか思い出せない。とにかく狐塚からの挑発とも取れる言葉と、去り際の捨て台詞に苛まれて仕事に集中できなかった。
珍しくミスを連発する俺に、「宇佐さんも文化祭に浮かれたりするんだね」なんて苦笑されたほどだ。
そうしてどうにか文化祭が終焉し、後夜祭の準備に生徒たちが騒々しく取り掛かっている中、教師に混じって俺も校舎内の見回りに駆り出される。その時間を使って、狐塚のクラスに向かうことにした。
「へえ、来たんだ。逃げるかと思ってたのに」
ひと気のない教室へ入ると、先に待っていた狐塚が誰かの机に座っていた。俺が入って来るなりそう言って、挑発的に片頬をあげて笑いかけてくる。
苛立ちを煽るような態度と言葉にムッとしつつも、俺はむやみに声を荒げたりしないようにゆっくりと彼に近づいていく。
「当たり前だろ。君が何をするかわからないんだから」
「例えば、クラスのメッセージグループに曝すとか?」
全く笑えないことを、くすくすとおかしそうに狐塚は言い、再びスマホにあの写真を表示してみせてくる。俺は慌ててそれに飛び掛かるように手を伸ばすも、ひょいと高く腕をあげられていとも簡単にかわされてしまう。
「消せ! いますぐ!」
「それが人にモノを頼む態度?」
「そういう問題じゃないだろ! こっちにだって事情があるんだから!」
「だれ彼構わず発情するウサギは黙ってろよ。俺の大事な勝兄を穢しやがって」
「穢してっていうわけじゃ……」
心底侮蔑するような言葉に、俺は伸ばしていた腕を強張らせ、うつむく。
性体験がない、恋人すらいたことがない獅子倉の、ある種の弱みとも言えるところに付け入ったように関係を持っている現状を、獅子倉を穢していないと言い切れるだろうか? 体だけで繋がっている関係を、純粋な人間関係だとみてもらえるだろうか?
――そんなこと、あり得るわけがない。それは、先入観で勝手なことをよく言われている俺が一番わかっている。
「大っぴらに言えないことしてることを穢してないとでも言うのか?」
「それは……」
「みんなはあんたの事、処女童貞なんて言うけどさ、俺はちゃんと知ってるんだからな。あんたが、どうしようもない淫乱で、真面目で純粋なところもある勝兄に色目使ってること」
「色目なんて使ってない! ただ、」
「ただ、なんだよ? 付き合ってるわけでもないのに、エッチするような場所に二人でいるっていうのは、どう言い訳が成立するって言うんだよ。それがあんたの言う“事情”とでも言うのか?」
「俺はただ、獅子倉さんに……」
何と言えば、わかってもらえるだろうか。しかも相手は未成年で、どこまで真相を明かしていいかもわからないし、話すことを許されるかもわからない。
ためらいと迷いで脳内が混乱する中、俺は絞り出すようにこう発していた。
「俺はただ、獅子倉さんに……知ってもらいたかっただけだ」
「知ってもらうって何を? あんたが淫乱でテクニシャンだってこと? それで同僚に手を出すってどういう思考回路してんだよ」
「それは、たまたまで……」
「そんな偶然起こるわけないだろ。俺が高校生のガキだからってバカにしてんのか?」
「じゃあ! なんでそんな写真、君が持ってるんだよ!」
ここに来た本来の目的を口にすると、狐塚はそう訊かれるのを待っていたとばかりに、滴るような笑みを浮かべ、答える。
「叔父さんたち……勝兄の親から訊かれたんだよ。“最近勝兄の様子がヘンだから、なにか知らないか”って。勝兄、明らかに最近変わったからね、妙だって思われたんだよ。調査費名義で小遣いももらったからさ、尾行してったら……ってワケ」
「そんな……」
我が子にそこまでする獅子倉の両親に恐ろしささえ感じながら、俺は探り当てられてしまった獅子倉との秘密の理由をどう説明していくかに頭を抱えそうだった。
あまりのことにその場にうずくまってしまいそうだったその時、がらりと教室の引き戸が開き、誰かが入ってくる気配がする。
「こら誰だ、教室に残っているの……は……」
野太い声が響き、顔をあげると――驚いた顔をしている獅子倉が、佇んでいた。
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