*13 夕闇の告発

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*13 夕闇の告発

「獅子倉さん……」  見回りで通りかかったのか、手に懐中電灯を持った獅子倉は、教室の入り口に佇んだまま呆然と俺と狐塚を交互に見ている。  いまの会話、どこまで聞こえていたんだろう……俺との関係を狐塚に知られていることも、恐らく獅子倉の両親にも知られているだろうことも。  焦燥感と不安で吐気さえもよおしながら獅子倉を見つめると、獅子倉もまた、俺の方を不安そうな目で見てくる。しかしその眼差しから、彼が何を思っているかまでは汲み取れない。汲み取れるほどに、俺はまだ彼を知らないのだろう。  それほどに、俺は彼の心に触れられるほどの関係を築けていない――その事実が、重くのしかかってくる。  獅子倉の登場に狐塚はいよいよ調子づいたのか、嬉しそうに笑みを浮かべて獅子倉の方へ歩み寄っていく。 「いいとこに来たね、勝兄。いまね、うさちゃんの本性暴いてたとこなんだ」 「宇佐さんの、本性?」  薄く笑いながらこちらを見やり、舌を出してこちらを明らかにバカにする表情にも似た、腹立たしい目を向けてくる。  獅子倉の問いかけに狐塚はうなずき、その上で更に俺を煽るような言葉で獅子倉を焚きつける。 「そ。うさちゃんってさ、なーんにも知らなそうだってみんな言うし、勝兄もそういうのに騙されたんでしょ?」 「……どういうことだ?」  狐塚の言葉に獅子倉は眉根を寄せて険しい表情をし、問うように俺の方にも目を向けてきた。戸惑いがにじむ眼差しに、俺はどう答えたらいいのかわからない。何故なら俺は、狐塚が言うように、“何も知らなそうに見えて、その実態は違う”のだから。  でもそれは、獅子倉だって承知の上で関係を持ってきたのだし、それを部外者である狐塚にどうこう言われるいわれはないはずだ。  だから俺が抗議するように口を開きかけた時、狐塚ははっきりとした口調で獅子倉に進言した。 「勝兄、俺見ちゃったんだよ。勝兄がこの人と一緒にラブホから出てくるの」 「なっ……賢、なんでそんなことを!」 「勝兄の様子がおかしいって叔父さん達、心配してるんだよ。ヘンな女に騙されてるんじゃないか、って。だから俺、悪いけどこの前勝兄のあとつけさせてもらったんだ。で、これ見ちゃっちゃったんだよね」  そう言いながら、狐塚は例のあの写真をスマホに表示させて獅子倉の前に突き出す。獅子倉は目を見開いて画面を食い入るように見つめ、狐塚を、驚きを隠さない顔で振り返る。  狐塚は、先ほどまで俺に見せていた軽蔑するような表情ではなく、まるで獅子倉が、彼の親が言うような事態に陥っているのを同情するかのような顔をして肩を叩く。 「賢、これ……父さん達に見せたのか?」 「んー、まだだけど。だって、叔父さん達にいきなり見せちゃったら卒倒しそうじゃん」  性体験がないだけで半人前扱いするような、旧時代の価値観を持っているような親たちだ。獅子倉がようやく性体験をしたかと思ったのに、相手が男で、寄りにもよって不特定多数と寝るようなやつだなんて知ったら、確かにきっと頭に血が上るどころでは済まないだろう。  獅子倉も恐らくそう考えたのか、写真を前に無言になって立ち尽くし、呆然としている。  無理もない、親のいらぬお節介とも言える干渉で、半ばやけになってゲイ専用のマッチングアプリに登録してくるような彼なのだ。きっといまも、自分のこれまでの行動のすべてに非があると感じているんじゃないだろうか。そんなことは、決してないのに。  獅子倉は何も悪くない! そう、俺が割って入ろうとした時、そんな俺の胸中を汲むように、狐塚は知ったような顔でさらに言葉を重ねていく。 「勝兄さぁ、女の子に敬遠されるから、自棄(やけ)になって男に走っただけでしょ? そんなさ、自棄になって、こんな、勝兄が経験ないことに付け入るような人と遊んだりすることないよ。男が相手だとしても、もっとちゃんとした、いい人と付き合いなよ」  狐塚の言葉は、あまりに俺の急所を突いていて、口を開きかけたまま言葉が出てこなかった。声にもなりきれなかった吐息が、ゆるゆると口からこぼれていく。  そもそも獅子倉が俺とマッチングした理由は、“男として性体験を積むこと”であって、それが叶ってしまえば俺とそれ以上関わりを持つ必要はない。その点で言えば、獅子倉の目標はとっくに達成されていると言える。  だとすれば、俺がしなくてはいけないことは、なんだろうか。思い浮かぶ考えに、身体の奥が締め付けられて苦しい。  獅子倉との関係を、どうするか、どうすべきか。その答えしだいでは、もう、俺は彼に触れることは出来ない。その事実が、俺には到底受け入れがたい事としてのしかかってくる。  何故なのか。それは――俺が、すでに彼に、獅子倉に恋愛感情をいだき始めているからだ。  こんなことにならないと気付けない自分の愚かさに呆れてしまうけれど、わかったところでこの事態は打開できそうにない。気付いてすぐに、息の根を止めなくてないけない恋なんだ。 「賢、僕はべつに自棄になっているわけではないし、宇佐さんもそういう人ではない」 「勝兄が、うさちゃんのこと初体験の相手だから肩入れしたくなるのもわかるし、この人一見ピュアっぽく見えるからそう言いたくなるんだろうけど、みんなが言うほどこの人かわいいうさちゃんじゃないよ?」  まあ、知っているだろうけれど、と、鼻先で嗤いながら俺の方を見やってくる狐塚の視線ににらみ返す気力もなくなってしまったのは、彼が言うことがおおむね間違っていないからだ。  しかし、獅子倉は狐塚の言葉を受けて彼をきつくにらみ返し、「その言い方は何だ、賢」と低い声で呟く。思いがけない相手からの言葉だったのか、狐塚は一瞬目を見開きたじろいだが、それでも尚、獅子倉が何もわかっていないという風に首を横に振る。 「宇佐さんは、何も知らない僕に、本当にいろんなことを教えてくれたんだ。それこそ、身をもって」 「いいように言えばそうだろうけど、要するに遊ばれてんだよ、勝兄。目を覚ましなよ。経験少ないから、そういう風に美化されてるだけだよ」 「美化などしてない!」  薄暗い教室いっぱいに獅子倉の怒声が響く。幸い教室の周囲には俺ら以外誰もいなくて、ほとんどが校庭で後夜祭に参加しているせいか、大きな声で怒鳴ろうとも外には聞こえていないようだ。  机を叩きつけんばかりに怒鳴った獅子倉の姿を、狐塚は驚いたような、呆れたような目で見てこう問う。 「でもさ、だからって、勝兄は叔父さん達にこの人のこと、恋人だとかって紹介できる? あの、頭のかったい叔父さんと叔母さんに」 「それは……」  獅子倉をこの事態に追いやった張本人である、古い価値観を持つ両親。彼らに俺との関係を恋人だとか紹介できるくらいなら、いまこうして俺と獅子倉が狐塚に目撃されたことで窮地に立たされた気分になるわけがないのだ。  それをわかっているから、狐塚は獅子倉に俺との関係を考え直せと言いたいのだろう。それは至極もっともなようであり、きっとそれは、いくら多様性がどうのといい始めた昨今であっても、未だに覆らない考えなんだろう。  俺のような人間は、獅子倉とは巡り会ってはいけなかったんだ――改めて突き付けられる、獅子倉よりも自分の身体がはるかに穢れている事実に、反論の言葉もない。 黙り込む俺に、狐塚が視線を向けてくる。その目は冷ややかで、憎しみさえにじんでいる。 「あんた、どう責任取るつもり? 勝兄は叔父さん達がすげぇ期待してる大事な一人息子なんだ。それを、あんたみたいなやつが穢す権利があると思ってんの?」 「それは……」 「まだなんか言い訳する気? そういうのさ、叔父さん達にも言えるの? 俺は勝兄を誘惑なんてしてないかわいいうさちゃんです、って」 「そういうつもりなんかじゃない!」 「じゃあなんだよ。どうこの状態のケジメつける気?」  まるでナイフを俺の喉元に突き付けるような凄む言い方に、俺はたじろぎそうになりながらも踏み止まり、小さく深呼吸する。  俺がしなくてはいけない、ただ一つのこと。それだけがきっと、これ以上獅子倉を穢さないことに通じる。 「――わかったよ。もう、俺は獅子倉さんと会わない。関係も、解消する。それならいいだろ?」  嗄れた声でそう呟く俺に、狐塚は当然だと言いたげにうなずき、獅子倉を振り返る。獅子倉は、感情の読めない目で呆然と立ち尽くしたままだ。 「獅子倉さんのやさしさに付け入って、申し訳なかった。もう、会わない」  怒っているのか、呆れているのか、一切汲み取れない獅子倉の目を見つめ、俺は深く頭を下げてそう告げ、彼らをおいて教室を後にした。
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