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*15 からませたしかめあう想い
文化祭が終わると、学校は途端に秋の実力模試や資格試験期間に入る。要するに、イベントで緩んだ心を引き締め直すアメとムチなのだろう。
その期間に入るとぱったりと職員室を訪れる生徒の数は減り、教師たちはテストの処理や資格試験申し込みなどで慌ただしい日々が続く。だから、もう半月ほど俺と獅子倉は、セックスはおろか、顔もろくに合わせていない。
「べつに、逢えないからってどうというワケではないんだけれど……」
そう言いながら、俺はぼんやりスマホを眺める。以前ならいついつにどこで待ち合わせよう、という獅子倉からの連絡のメッセージが入っていたのに、それが皆無なのだ。
文化祭のあの夜以来、獅子倉とはちゃんと顔を合わせて話を出来ていない。まるでプロポーズのようなことを言っておきながら、俺のことをほったらかしなのだ。忙しいのは重々承知しているけれど、だからって連絡の一つもよこさないのはどういう了見なんだろうか。
「釣った魚にエサをやらないタイプなのか? それとも、付き合うっていうのがどういうことか知らないとか?」
まさかそんな、三十も越していてそこまで無知ではないだろう……と、思いたいところだが、獅子倉は俺と出逢うまでは年齢イコール恋人いない歴だったのだ。知らない可能性の方が高いと思った方がいいかもしれない。
「……そこまで俺が手解きしてやらないといけないのか?」
若干引きながら呟いていると、「宇佐さん、お客さんですよ」と、不意に声をかけられた。慌ててスマホをしまって顔をあげると、職員室の入り口に獅子倉がいつもより若干緊張した面持ちで佇んでいる。
職員室なんて教師なら自由に立ち入ればいいだろうに、何をそんな遠慮した態度で、しかも入り口なんかに立っているんだろうか……そう思いながら歩み寄っていくと、「ちょっと、向こうで話をしてもいいですか」と、言うのだ。
「ここじゃなくて?」
「ちょっと、込み入った事なんで」
緊張した面持ちではあるが、いつもの石像のような厳つさは崩れていない。だから余計に彼が切羽詰まっている感じが伝わって来て、俺は戸惑いを覚える。
一体何の話だというのだろうか、と問うより先に、獅子倉は俺の腕をつかんで廊下を突っ切っていく。思いがけない獅子倉の行動に、俺は腕を振りほどくこともできないで、ただ連行される。
連行された先は、昔喫煙室として使われていた校舎裏のスペースで、人通りはあまりない場所だ。
勤務時間中にわざわざこんなところに連れて来たからには、それなりに重大な何かを伝えられるだろうと察した俺は、急激に押し寄せてくる緊張にじわりと手に汗がにじむ。
そっと俺の手を離した獅子倉は、もう一度辺りを見渡してから大きく深呼吸してから口を開いた。
「宇佐さん、今度の土曜日、僕の両親に会ってもらえませんか」
「え、会う、って……それって、つまり……」
「僕は、あなたとの関係を、両親に告げ、できたら認めてもらいたいと思っています」
「や、え……でも、俺で、いいの?」
「いいから、いま、そう言ってます」
あの夜に告げられた時から、いつかこの日が来るだろうとは思っていたけれど、それがひと月もしないうちに訪れるなんて思わないだろう。正直、まだずっと先だと思っていたから、覚悟なんてものはカケラもない。薄々わかっていながら、心のどこかでまだ獅子倉の気持ちの本気さへの高を括っていたのだろう。それが突然現実となって目の前に突き付けられ、怖気づいてしまっている。
「そんな、急に……最近、連絡もなかったのに……」
「急な感じになってしまったのは、すみません。でも、両親には僕らのことをある程度説明はした上で会ってもらうようにはしています」
「説明? どういう?」
まさか、マッチングアプリで偶然引き当てた淫乱に、筆おろししてもらったのが縁だ、とか言ったのだろうか? と、目を見開いて、思わず食いつかんばかりに問うと、獅子倉は若干俺の勢いに仰け反りながらも、落ち着いて答えた。
「まず、僕が女性よりも男性が好きなようだ、と言う話をしました。僕の両親は頭が固いので、そこからまず話をしなくてはいけないと思ったので」
狐塚が言っていたことを思い出す、あの頭の固い獅子倉の両親にどう俺との関係を説明するのだ、と。
そもそもの話からした上で、それから俺との関係を両親に説明し、その上で俺と対面して欲しい、という流れに持っていくために、あの日からの日々を費やしていたのだ、と獅子倉は言い、そして。こうも言った。
「宇佐さんのことを僕が勝手にすべてお話していいかわからなかったので、やはり、どうしても、両親と会ってもらいたくて……その上で、僕が、宇佐さんを生涯のパートナーにしたい、とも伝えた方がいいかなと思って……その……連絡をしていなくて、すみません」
「……なるほど、そういうことだったのか」
「すみません、やっぱりどうしても急な感じになっちゃって」
ひと息に事情を説明しても尚、俺の反応がわからない獅子倉は緊張の解けない顔で俺を見つめつつ、心なしかしょんぼりとしょ気ている。その様子は、服を汚した言い訳を考えていたら、話が大きくなって取り返しがつかなくなってしまった子どものようで微笑ましく、とても怒る気になれなかった。
大きな身体を、まるで俺よりも小さくするようにしている獅子倉の姿に、俺はやはり彼のことを愛しく思えてたまらない。彼の傍にいて、そのやわらかな心にもと触れていたくなるのだ。
俺はくすりと笑って獅子倉に歩み寄り、しょ気てうな垂れる彼の頭を抱くように包みながら囁いた。
「ありがと、獅子倉さん。俺とのこと、すっごくたくさん考えてくれて。こんな俺でも、ご両親とお会いさせてもらえるなら、喜んで会いに行くよ」
「宇佐さん……こちらこそ、ありがとうございます」
「ぼろが出ないように、頑張ってかわいいうさちゃんで行くよ」
冗談めかして俺がそう苦笑して言うと、獅子倉は急に真顔になって首を横に振り、きっぱりと返してくる。
「宇佐さんは、そのままでいいんです。取り繕うことなんて何もない。僕は、あなたのそのままが愛しいんですから」
あまりに真面目な顔でそんな惚気たことを言うものだから、俺は驚いて目を丸くし、やがておかしくなってつい笑ってしまった。獅子倉は心外なようにきょとんとしていたけれど、やがて一緒に笑い始めた。
その内に俺と獅子倉は笑いを停めて見つめ合い、どちらからともなく唇を重ねる。出会った頃よりも少し渇いた心地のそれは、久々に彼の味がして、体の奥がきゅっと疼く。獅子倉もまた、何か言いたげに潤んだ眼をして俺を見つめてくる。
そうして俺らはゆっくりと離れ、それぞれの持ち場へと疼く体を抱えたまま戻って行った。
その週末の午後、俺は獅子倉の両親の許を獅子倉とともに訪ねることとなる。
期待の一人息子であるという獅子倉が、初めて両親に紹介するのが男である俺であるせいか、獅子倉の家だけでなく、親族一同かなりの騒ぎになったのだと後になってから聞いた。どうやら獅子倉は親戚の中でも堅物だとか厳ついだとかで通っていたらしく、その彼の相手が……となったのだから、無理もない。
当日を迎えるまでに、何度か両親以外の親戚も同席させるかなんて言われたらしいが、そこは獅子倉が丁重に断ってくれたという。
「そこまでの騒ぎになってるのか……なんか、本当に俺なんかが会いに行っていいのかな……」
土曜の午後、獅子倉の家の最寄り駅で待ち合わせ、家までの道をゆっくり歩きながら俺は呟く。正直生きた心地がしない心境で、出来ることなら逃げ出したい気持ちもある。しかしそれは獅子倉も同じで、いつも以上に顔が厳つく強張っている。それでも、俺らは手を繋いで歩いているのだけれど。
「いいんです、宇佐さんが、いいんです」
「そうは言ってもさぁ……あー、吐きそう……」
「大丈夫です、僕が受け止めます」
「そういうことじゃないよ」
緊張なのか、他意がないのかわからない獅子倉の言葉に思わず吹き出して笑うと、獅子倉の緊張で強張っていた横顔が少しほどける。その顔に、俺はいつもと変わらず胸の奥がキュンと甘く締め付けられ、ああ、好きだな、と思うのだ。
だから俺はつないでいる手を強く握りしめ、獅子倉の顔を覗き込んであえて明るい声で言った。
「一緒に頑張ろう、獅子倉さん」
俺の言葉に獅子倉はゆるりと相好を崩し、嬉しそうにうなずく。
改めてつなぎ直した指先をゆるゆるとリズムを取るように揺らしながら、俺と獅子倉は待ち受ける最大の難関へ対面するために共に歩んでいった。
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