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*1 俺はかわいいうさちゃん……じゃない
“人は見た目によらない”とはよく言ったもので、人間、見た目がどうあっても、頭の中で何を考えているかわからないものだと思う。
誠実そうに見えて狡猾だったり、悪辣に見えて実は心優しかったり、服を着たそのままがその人を表しているとは限らない。
例えば、俺のように。
「うさちゃーん、鍵貸してぇ」
うさちゃん、こと、宇佐優太という名の俺は、私立矢木学園で職員室サポートという名の事務員をしている、どこにでもいる二十八歳、アラサーの男だ。
他の職員に比べて、生徒と歳が近いからか、苗字の響きから“うさちゃん”と呼ばれたりしてはいるものの、それだけが由来ではない。
「うさちゃん今日もかわいいねー。ねえねえ、俺らと付き合ってよ」
特別教室の鍵を借りに来た男子生徒が、だらしなく笑いながら俺を口説く真似をする。どこまで本気なのかはわからないけれど、頭の中が性的なことでいっぱいな年頃の彼らにとって、俺はそういう対象になりうるらしい。
それは単純に俺が若い男だからというだけでなく、彼らが言うように、“かわいい”と評されるような、年齢の割に生徒と間違われる程に、まさにウサギのようにかわいい容姿をしている上に小柄だからだ。
男子校で異性との接触機会がないせいか、性別問わず、ちょっとでも容姿がかわいいと、生徒たちはすり寄ってくる。
「生徒にそんなことしたら俺が捕まっちゃうよ。気持ちは嬉しいけどね」
「ちぇー」
俺のやんわりとした牽制に生徒たちは大袈裟に肩を落とし、俺が差し出した教室の鍵を受け取りがてら、隙あらば手に触れてくる。
お前らね、そういうのを学外でするなよ? セクハラで訴えられるぞ? そう言う気持ちを込めた、呆れた視線をよこすと、生徒たちは肩をすくめて職員室を出ていく。
「まったく……いくら俺が処女童貞に見えるからって、そういう典型的なアプローチになびくわけがないだろ」
最近の生徒は油断ならないな……と、思いながら俺は溜め息をつき、印刷機にコピー用紙の補充をする。
“ウサギのようにかわいい、うさちゃんは処女童貞”――そんな噂が、いつのまにか生徒の間に流れているらしく、さっきのように露骨にアプローチしてくる生徒、時には教師だっていたりする。職場なので無下に冷たくはできず、やんわり断りはしているのだが、人間の思い込みによる態度に正直うんざりしている。
――誰ひとり、俺の本当の姿も、抱えている過去も気持ちも知らないくせに、と。
昼休みに入り、俺はひとり職員室の自席で仕出しの弁当をつつく。
弁当を食べ終え、回収ボックスに弁当箱を返却した時、「すみません、宇佐さん」と、声をかけられた。
振り返ると、身長一六〇センチの俺が見上げるほど大きな――きっと、一九〇センチはある――がっしりとした肩や胸板の、俺と同じくらいの年頃の男が立っていた。
「英語科の獅子倉ですが、次の時間にプロジェクターを使いたいので、倉庫の鍵をお借りしたいんですが」
「ああ、はい」
獅子倉、という英語科らしいその教師は、ただ立っているだけでこちらを威圧してくるほどの迫力で、見上げているせいもあってか、顔が逆光になっているのもあって厳つさが増す。
確か獅子倉は、今年度の初めに外部から中途採用された教師だったかと記憶している。職員朝礼で紹介された時にその大きな身体と、真面目が服を着ているような硬い雰囲気をまとっているのが印象的だったのだ。
「はい、どうぞ。終わったら戻しに来てください」
「ありがとうございます」
鍵を手渡すと獅子倉は大きな身体をかがめてぺこりと頭を下げ、職員室を出て行った。背を向けて去っていく姿もまた山のようで、先ほど渡した鍵なんてひねり潰してしまいそうだ。
厳つくて、強面で、大きな身体にたくましい筋肉――それだけで言うなら、俺の理想とも言える。あれだけの体躯の持ち主なら、きっと夜の方だってそれなりにスタミナが期待できるだろうから。
――そう、俺は決して“かわいい処女童貞のうさちゃん”ではない。そもそもがゲイで、しかも、夜ごとマッチングアプリでワンナイトの相手を漁るほどの性欲の持ち主なのだ。そして夢は屈強な男を抱きつぶすように抱かれること、でもある。
だからこそ、世間が俺のことをなにも知らないうさちゃんとして見て、そしてあわよくば屈服させたい、なんて目で見てくることが心底いやでたまらない。そんな風に虐げられる趣味は俺にはないからだ。
何よりそういうやつらは、幼い頃身寄りも知識もない俺に手を出そうとしてきた奴らと重なるから、絶対に心を寄せたくもないのだ。
(――って言っても、さっきの真面目そうな獅子倉だって、俺のことを、もしかしたら組み敷いてめちゃくちゃにしたい、とか考えていたりするのかもな)
真面目な顔をしながらも、考えていることが変態的なやつなんてこの世にごまんといる。そういうやつに行き当たって力づくで組み敷かれたことも数えきれない。そのたびに全力で抵抗してきたけれど。
かわいい顔をしているから、イコール、付き従っていく従順さを持ち合わせているとは限らない。そういう人もいるだろうけれど、少なくとも俺は違う。
そんなことを考えてはうんざりし、溜め息をつきながら午後の仕事へと取り掛かる準備をするために、廊下に出て歯を磨きに行く。
「……っと、その前に、新しいプロフはないかな……」
歯磨きを終え、ひと気のない廊下の隅で俺はスマホを取り出し、水色の四角アイコンをタップする。それはゲイ専用のマッチングアプリで、俺はここでたいていワンナイトの相手を探す。
登録キーワードは“絶倫、巨体、筋肉”と言ったところなのだが、いまのところ出会った彼らに心から満たされた気はしていない。正直言って、期待外れが多い。何せ、俺が満足できるほどの体力を持ち合わせた人に巡り会えていないのだから。
画面を軽くスクロールしながら、目新しいプロフが出ていないかを捜す。アプリ内のプロフの写真ははっきりとした姿を出している人は少ないので、目に付いた人はひとまずチェックしていく。
「自己申告の絶倫ってどこまで宛てにしていいんだろうなぁ……うん?」
新規登録者としてページトップに掲載されていたプロフのひとつに目が留まったのは、そこに、「当方身長一八五センチ、九〇キロ。趣味・筋トレ(ジム通い週四日)。体力に自信あり」と書かれていたからだ。
一見よくあるプロフ内容ではあるのだけれど、決め手は添えられている写真だった。
「へぇ……いいかも」
デコルテから胸元にかけての上半身の写真はタンクトップだが、一目で鍛え抜かれているのがわかるほどで、しかもそれが身長一八五センチだという。体重もそれなりにあるのなら、この写真の感じから言って、筋肉も期待できる。そして体力にも自信があるという。
居住地も近そうで、今夜マッチングするなら彼がちょうどいいかもしれない。
写真が加工のものであったり、プロフ内容が虚偽であったりする可能性もなくはないけれど、なにかこれは琴線に触れるものがあったのか、俺は彼のプロフを何度か通して読み、そしてダイレクトメッセージを送ることにした。会えそうなら、会ってみようと思ったからだ。
「“初めまして。プロフが気になってDMしました。今夜お会いできませんか?”……っと。こんなもんかな」
そうしている内に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、廊下が騒がしくなり生徒や職員が行きかい始める。俺はサッとスマホをポケットにしまい、何食わぬ顔で仕事へと戻っていった。
今宵、俺をどれだけ満たしてくれる相手に巡り会えるかを楽しみにしながら。
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