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*2 待っていたのは“心優しき野獣”でした
退勤後、スマホを確認すると例のプロフの筋肉男から返事が来ていた。
『メッセージありがとうございます。今夜、ぜひお会いしましょう。場所は――』
即応でメッセージから感じる印象もいい。人から期待されることにうんざりしているくせに、自分は他人に期待してしまう矛盾。わかってはいるけれど、それでも自分が理想とするものに嬉しい反応をされると、期待をしてしまうのが人間なのかもしれない。
それに、アプリのプロフだけを見て期待してしまうのは時期尚早とも言える。実際面と向かって期待外れだった、なんて今までよくあった事なのだから。
相手に期待する自分を落ち着かせるために、言い聞かせるようにそう考えながら、待ち合わせ場所の新宿三丁目の地下鉄の出口に向かう。
目印は青いネクタイに白いワイシャツ、ダークグレーのスラックス、そして黒い短髪。身長が高いということなのですぐにわかるだろう。
待ち合わせ時刻の夜八時すぎ、それらしき背の高い大柄な男を見つけ、俺は声をかける。
「あのー、ショウさん?」
俺が声をかけた背中は振り返り、想像していた雰囲気よりもかなりやわらかい雰囲気をまとった、しかしガチガチに緊張しているのがわかる笑顔を向けられる。
太く凛々しい眉毛に、下がり気味ではあるけれど決して弱くはない眼光――どこかで、見たことがあるような? そう、俺が思っていると、弱々しい笑顔が急に眼を見開いて固まった。
「もしかして、うさぎさ……え?」
凍り付いているとも言える相手の様子に、俺の方が戸惑っていると、彼は真っ赤に耳の端まで染めながら小さく呟く。
「……あの、もしかして、矢木学園の事務の、宇佐さん……?」
「え……?」
思いもしない、俺の正体とも言える職場と名字を口にされ、今度は俺が凍り付いていると、相手は気まずそうに苦く笑いながら、自分の正体を明かしてきた。
「僕です、同じ学校の英語科の、獅子倉です」
「あ、え、あ……え、なん、で……」
「僕の名前、獅子倉勝利、って言うんです」
「ああ、だから、“ショウ”さん……」
アプリ内の名前の理由は解けても、どうしてそのアプリをお互い利用していたのかはわからない。よくある男女の出会い系のアプリではなく、俺と彼が利用してマッチングしたのは、ゲイ専用のものなのだから。
つまりは、彼も、俺と“同じ”ということなのか? 当然そんな考えが浮かぶ。俺のようにワンナイトの相手を探しているのかどうかはわからないけれど、同性の交際相手を探しているのは確かだろう。そのためのアプリなのだから。
獅子倉も同じことを考えているのか、リアクションに困った顔をしたままうつむき気味だ。
ただマッチングして、会ってデート、というだけなら、ここまでお互いに困ったりはしないだろう。それなら何をそんなに俺らが困っているかと言えば――要は、目当てが“互いの身体”だからだ。
「えっと……どうしましょうか?」
先に口を開いたのは獅子倉で、昼間見たような迫力などウソのように身をかがめて俯いている。身体は見上げるほど大きいのに、あの迫力や雰囲気は何だったのか? と思うほどの変わりようにもまた、俺は戸惑ってしまう。
だけど――昼間の姿とのギャップに驚きつつも、俺は、今日彼とマッチングした目的も加味して、これはチャンスかもしれないと考えていた。俺の長年の夢とも言える、“屈強な男を抱きつぶすように抱かれること”を、叶えられる絶好の機会だ、と。
だから俺は、昼間の“かわいい処女童貞なうさちゃん”の雰囲気などかなぐり捨てて、ゆったりと誘うように微笑みながら、うつむく獅子倉の手を取ってこう言った。
「今日のお約束果たすところに、行きましょうか」
職場の同僚と関係を持つなんて馬鹿げていると思うし、下手すれば職場にバレてしまいかねない諸刃の剣とも言える。相手次第ではこの時点ですぐに退散した方がいい可能性だってある。
でも、俺は直感していた。普段強面で厳つく、生徒も職員さえも滅多に冗談も言わない獅子倉であれば、誰彼構わず吹聴することはないだろう、と。
それは獅子倉の普段の真面目な態度からも推測できることではあるが、なにより、いまの彼は生徒や他の職員たちの前とは全く違う、小動物みたいな雰囲気をまとっていることから、強く押しとおせば、こちらが主導権を取れると踏んだからだ。
伊達に何人もの男とマッチングしていたわけではない。俺と会っている時と、別れ際に背を向けた瞬間から醸す雰囲気が違う男もよく見てきたから、なんとなくわかる。そういう男ほど、俺から強く出られると、弱い、と。
俺は戸惑いが隠せない獅子倉の手を取り、そのまま出口を抜けて大通りを歩いて行く。ネオンがきらめき始めた夜の街は、人通りの割に周りに無頓着だ。俺と彼が手を取って歩いていても気に掛ける風もない。
無関心な街の空気に気をよくした俺は、より強く獅子倉の手を牽いて歩く。乳白色とピンクのネオンきらめく通りの向こうには、俺らの目的を果たすための場所がずらりと立ち並ぶ。その中のひとつに二人並んで入って行った。
南国テイストのラブホに入り、天蓋のある大きめのベッドがある部屋を選んで入室する。獅子倉は終始落ち着かない様子で周りを見渡していて、本当に小動物のようだ。
部屋に入り、鍵をローテーブルに投げ捨てるように置いてから、俺は持っていたカバンをソファに投げ、着ていたジャケットを脱ぎ捨てる。
それとは対照的に、獅子倉はもじもじと恥ずかしげにうつむいて立ち尽くしたままで、ジャケットはおろか、荷物も下ろしていない。
「えっと、あの……宇佐、さん……ここって、あの……」
「ラブホですよ。だって、今日は俺らセックスするために会ったんでしょう?」
「セッ……! や、ええ、そ、そう、ですけど……でも……」
「違うの?」
出逢った時からもじもじしたまま煮え切らない、獅子倉の態度に軽く苛立ちながら首を傾げて問うと、獅子倉は大袈裟に首を横に振って言い訳をする。
「いや! 違うわけじゃないんですけど……その……なんて言うか……」
うつむく獅子倉の耳が、それこそうさぎの目のように赤くあかくなっていく。セックスしたいという目的でマッチングしたくせに、何を今更恥ずかしがることがあるんだろうか? そんな、処女じゃあるまいし。
湯気が出るんじゃないかというほど赤くなっている獅子倉は、しどろもどろになりながら、上を見たり下を見たりしながら、もじもじとゆっくりと言葉を紡いでいく。そこに昼間覚えたような威圧感はカケラもない。
しばらくもぞもぞした末に、獅子倉は赤い顔のまま話し始める。
「あの……宇佐さんは、その……こういう所には、よく来るんですか?」
「ラブホにってこと? ええ、まあ。アプリ使ってるからお分かりかと思うんですけど、俺、ゲイなんで」
「あ、ああ、はい……」
「獅子倉さんは?」
「へ? 僕、ですか?」
「来たことくらいあるでしょ、女の子とかと」
「……いえ」
「じゃあ、俺みたいに男と?」
「いや、そうじゃなくて……」
じゃあ何だろう。バイセクシャルでもないというんだろうか? そう思いながら俺が次の言葉を紡ごうとしていたら、最高潮に赤い顔をした獅子倉が、振り絞るような声で言葉の続きを口にする。それは、全く思ってもいない言葉だった。
「僕……恥ずかしながら、女性とお付き合いしたこと全く、なくて……だからその、こういう所に来たこともないですし……経験も、そのものがない、し……」
「え、じゃあ、獅子倉さんって童貞?」
思わず発してしまった、不躾な俺の言葉に獅子倉は恥ずかし気にうなずき、「……男性との経験も、ありません」と、つけ加える。
年齢イコール恋人いない歴、という人も珍しくはないだろうけれど、それをここまで恥ずかしがった末に、なんでまたゲイ専用のマッチングアプリに登録するに至ったかがわからない。そうまでして、セックスする必要あるのか? と。
確かに俺の性欲は強いし、セックスは好きだけれど、それを全人類が経験すべきだとまでは思わない。そんなの個人の自由だからだ。
疑問だらけで全く獅子倉の考えが読めず、眉間にしわを寄せている俺を見ながら、獅子倉は何か意を決したように俺にこう告げた。
「宇佐さん、お願いです。僕を、“男”にしてください!」
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