虹色のあめ

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虹色のあめ

 私の心の中に降る雨はいつの間にか上がっていて、気付かないうちに虹がかかっていた。  そんな感覚だった。   「雨の日っていいよね」  小雨でも、土砂降りでもない、ぱらぱらと降り注ぐ雨の中彼はそう言った。  雨空を仰ぎ、目はつむったまま口角は少し上がっている。  穏やかな表情であり、とても嬉しそうだった。  そんなことより、その言葉は私に言ったのだろうか。今ここに私以外の人はいない。けれどただの独り言の可能性もある。  彼のことは噂で聞いて知ってはいる。特進クラスの春名碧くん。三年間ずっと学年一位をキープしている秀才、そしてイケメン。だけど、どんなに可愛い女の子から告白されても必ず断っている。  という噂。実際に彼をこんなに近くで見たのは初めてだった。    正直、変な人だなと思う。だって彼は下駄箱から出た玄関の屋根で、雨宿りする私の一歩前に出てしっかり濡れていた。肌で雨粒を受け止め、髪からはぽたぽたと滴り落ちている。  その手には傘が握られていた。  反応しようかどうしようか迷って、気になっていることを聞いてみた。 「あの、傘ささないの? けっこう濡れてるよ?」  彼はこちらを振り返りにこりと微笑む。 「雨に濡れるのが好きなんだよね」  うん。変な人だ。濡れるのが好きだなんて。濡れてこんなに嬉しそうにするなんて。  私は、雨が嫌いだ。照らされるはずだった一日の半分でさえ鈍い薄暗い世界にしてしまう。  せめて目に見えるものだけは明るいものであって欲しいのに。 「今日の君の雨は土砂降りみたいだね」 「え?」 「これ、必要ないから良かったら使って」  彼はそう言って傘を差し出してくる。先ほどの彼のよくわからない言葉に意識を取られ気がつくと傘を受け取っていた。    春名くんは「またね」と言うと走ったりすることもせず、当たり前とでも言うように雨の中を帰って行った。    私も彼と同じように空を見上げてみる。やっぱり、好きにはなれない。まるで私の心を映したような空だから。ずっと暗い曇に覆われ、じとじとした感覚。何をしても、何を見ても胸弾むことなんてない。そんな感じだ。  いつも以上に心の雨を感じながら、受け取ってしまった傘を差して歩き出す。なんの変哲もない透明のその傘はパラパラと音を響かせ、雨空をより近くに感じさせた。    私は三年前の雨の日、親友を失った。親友の夢を奪ってしまった。あれから私は心の底から笑えなくなった。心の中はいつも雨が降っているみたいだった。  中学三年の夏、部活終わりの夕方。  卓球部だった私は体育館を出るとその天気に大きなため息を吐く。  その日は昼過ぎから少しずつ雨が降り出し、部活が終わる頃にはザーザーと強い雨になっていた。   「朝は晴れてたのになぁ」  傘を持ってきていなかった私は徒歩十分の距離の自宅まで走ることにした。  気休め程度にスポーツタオルを頭にかけ、俯きながら体育館の屋根下から飛び出す。  グランドの横を走り、正門から学校を出て真っ直ぐ進んだ先にある歩道橋を渡る。  下りの階段にさしかかった時、少し下に見慣れた水色の傘とエナメルバッグが目に入った。  優花だ。小学生の頃からいつも一緒にいて、一番の親友である。彼女はバレー部でエースアタッカーをしている。卓球部より少し早く練習が終わって帰っているところだろう。 「優花ー!」    駆ける足をそのままに親友の名前を呼ぶ。彼女が振り返り手を振ろうとした瞬間、私の体は大きく跳ねた。 「晴! 危ないっ!」  優花の焦った表情と、思わぬ浮遊感にまるで時が止まったかのように感じる。  だが、足を滑らせた、そう認識した時にはもう私の視界は地面をとらえていた。  咄嗟に目を閉じた私は激しい衝撃と共にやってきた痛みに悶えながらもその感覚に違和感を覚えた。 「優花っ!!」  私の下には大好きな親友がいた。痛む体を急いで起こし顔を覗く。 「優花! 優花!」 「うっ、うぅーっ、ん゛ー」  意識ははっきりしている。けれど、私の方を見ることはなく右膝を抱え横たわったまま苦しそうに唸っていた。    その後の記憶は曖昧であまり覚えていない。誰かが呼んだ救急車に優花と別々に乗せられ、病院で手当てを受けた。  私は打撲と擦り傷だけで、すぐに迎えにきた母と家へ帰った。  優花は膝蓋骨骨折と脛骨骨折で手術をすることになったらしい。  連絡を受けて病院に来ていた担任が言っていた。  二人とも、頭を打たなかったことが不幸中の幸いだと言われたが、幸いなんてどこにもない。  私たちは一週間後、中学最後の総体を控えていた。特に優花はこの大会の結果で志望する高校にスポーツ推薦で入れるかどうかが決まるといって最後の追い込みをかけていた。  そのおかげか、最近調子が良いと嬉しそうに話してくれていたのに。    二ヶ月入院した優花は大会には出られなかった。それどころか、これから先激しい運動は出来ないだろうと診断された。  彼女の、バレーの強豪校に入り、将来はオリンピックに出るんだという夢を私が奪った。  今後の人生、膝の傷を抱えて生きていかなければいけなくなった。    私も卓球を辞めた。怪我はほとんど治っていたけれどまだ痛むからと言って大会には出なかった。  そもそも、優花みたいに大きな目標があったわけでもない。  なんとなく入って、意外と楽しくて、これから先も続けていこうかな。その程度だった。  部活をする気にはなれなかった。  私が雨の中走ったりしたから。歩道橋の階段を駆け下りたりなんてしたから。優花の上に落ちたりなんてしたから。  少しでも横にずれていたら私が落ちただけですんだかもしれない。私が怪我をしただけだったかもしれない。  罪悪感に押しつぶされそうだった私は優花と顔を合わせることが出来なかった。  本当はちゃんと謝りたかったのに。これからもずっと親友でいたかった。でも、謝って許されることではないとわかっている。話しかけて、謝って拒絶されることが怖かった。  その後、学校でも話をすることなくお互いに別々の高校に進学し、関わりもなくなってしまった。  あの、雨の日を忘れたことはない。優花のことを考えない日もない。  私は高校生になってからも、ずっと罪悪感を抱え過ごしている。 ――――――――――    次の日もまだ雨は降っていた。私は自分の傘を差し、春名くんが貸してくれた傘を抱え学校へ行く。  彼は濡れながら学校へ来ているのだろうか。  昨日の雨に濡れた姿が脳裏に焼き付いて離れてくれない。  とりあえず傘立てに二本の傘を立て、いつもとは違う方向へ廊下を進んでいく。  同じ階の東側に特進クラス、西側に普通科クラスがある。いつもは使わない東側の階段から上り、特進クラスの前を通り過ぎながら自分のクラスへと向かう。  教室の前を通る時、中を覗きながら歩いたが春名くんはいないようだった。  いつ傘を返そうかと考えながら前を向くと、目の前に春名くんがいた。 「っ……!」  すごく、びっくりした顔をしていると思う。春名くんは首をかしげながらこちらを見る。 「川瀬さん? おはよう」 「えっ? あ、うん。おはよう」  急に目の前にいたことにも驚いたが、私の名前を知っていることにも驚いた。  昨日初めて話したし、春名くんのように一方的に知られるような人間ではない。  学校ではあまり目立たず、当たり障りない友人関係を築きひっそりと過ごしてる。 「珍しいね、こっちにいるの」 「うん。傘、返そうとおもって。傘立てに置いてるんだけど……」  言いながら彼の姿を確認する。  濡れてはいなかったため、流石に朝から濡れては来ないか、と安心した。 「わざわざ言いに来てくれたの? ありがとう。帰りにもらうから、放課後下駄箱で待っててくれる?」 「わかった」 「じゃあ、また放課後に」  春名くんはそれだけ言うと教室へ入って行った。  最後、ふわりと微笑んだ彼に見惚れてしまったことは考えないでおくことにした。  放課後、約束通り下駄箱で春名くんを待つ。傘を二本抱え、雨が止んだばかりの外を眺める。 「川瀬さん」  不意に後ろから名前を呼ばれた。  もう覚えてしまったその声に少し緊張しながら振り向く。   「春名くん、これ。ありがとう」 「いいよ。必要ないからね。でも要らないって言われても困るでしょ?」 「それは、そうかな……」  彼はまたふわりと笑い、私から傘を受け取る。   「今日は、昨日よりは弱くなってるね。雨」    雨? 雨はもう止んでいる。それに春名くんは外は見ずに真っ直ぐ私の方を向いてそう言った。 「雨はもう、降ってないよ?」 「降ってるよ。川瀬さんの中で。初めて会った時からずっと降り続いてる」  変な人だ。本当に変な人だ。他の人ならただそう思っただろう。でも私には心の中を見透かされているような気がした。  自分でもわかっている。この心が晴れることはないのだと。  それにしても、初めて会った時とは昨日のことだろうか。それにしては少し違和感がある。 「それってどういうこと?」 「心の天気が見えるんだよね」 「心の、天気?」  二人で玄関を出て、自然と横に並び歩き出す。 「川瀬さんは、日によって強い弱いはあるけどずっと雨が降ってる。反対にずっと照りつけるような晴れたやつもいたりね」  決して噓を付いてるようでもなく、ただ当たり前のことのようにそんなことを言った。 「春名くんは、人の感情をそういうふうに感じてるんだね」  「川瀬さん、ずっと雨を降らせているのはしんどいよ。僕は雨が好きだけど川瀬さんの晴れた心も見てみたいな」  晴れた心。私の心が晴れることはあるのだろうか。一生、この罪を抱えて生きていくつもりだ。そうしなければいけないと思っている。だからずっと私の心は雨を降らせたままだろう。  優しく笑う春名くんに何も言えなくて黙ったまま隣を歩いた。 「雨に濡れてるとさ、全て洗い流してくれてるような気になるんだよね。鈍った雲が広がる空は見たくない物を隠してくれてる気がする」  だから好きなんだよね。それは私に言ったのか独り言だったのかわからなかったが、何も言わないでいると春名くんはまた話し始める。  「それでもさ、天気は移り変わる。雲はどこまでも流れていく。僕たちだって自分の足でどこまでも行くことが出来る。その天気を変えることが出来るんだよ。でも川瀬さんの心はずっと同じところにとどまっているように見える」  春名くんは鞄に手を入れ何やらごそごそとすると、私の手を握り手のひらにそっと一つのあめ玉を乗せる。それは雫の形をした虹色のあめだった。 「今、君が行きたいところは? 会いたい人はいる? 足を踏み出すことは勇気がいるし、怖さだってある。でも、その先には虹の空があるかもしれないよ」  何も、知らないはずなのに。私の抱えているものは、見えてなんていないはずなのに。  迷いも、葛藤も全て分かっているかのようだった。分かっていて私の背中を押してくれているような気がした。 「春名くん、私……」 「ごめん、変なこと言った。気にしないで。じゃあ僕はこっちだから」  春名くんは気まずそうに眉を下げて笑うと来た道を戻って行った。  私はただその後ろ姿を眺め、彼の言ったことを考える。  踏み出すことは勇気がいる。怖さもある。でも、自分の足でどこまでも行くことが出来る。  そうだ、私は逃げているだけかもしれない。怖くて、勇気がなくて目を逸らしているだけなのかもしれない。  心の中を雨雲で隠して見ないようにしていただけなんだ。    気付いた瞬間、走り出していた。  手のひらに乗ったあめをポケットに入れ、三年振りに全力で走る。脇目もふらずひたすらに走る。    自宅を通り過ぎ、中学校の手前の交差点を曲がり一軒の家の前で止まる。  走ったからなのか、緊張なのか、早く、乱れる鼓動を落ち着かせるために大きく息を吸う。  事故の前までは何度も来た優花の家。  優花に会って謝らないといけない。でも何て言えばいいかわからない。許してもらえるかもわからない。それでも私の気持ちを伝えなければいけない。  吸った息をゆっくりと吐き出しインターホンに手を伸ばす。 「は、る……?」  インターホンを押す直前、後ろから名前を呼ばれた。久しぶりに聞く、聞きなれた声だ。  振り返った瞬間、温かな衝撃を受ける。 「晴っ! 会いたかった!」  勢い良く、力強く抱きしめられる。私の背中にぎゅっと手を回す優花につられ彼女の背に手を回した。 「優花、ごめん。私ずっと優花に謝りたかった。私のせいで優花の夢を奪ってしまって。合わせる顔がなかった。本当にごめん」 「私もちゃんと晴と話がしたかった。でも、たぶん晴はすごく責任を感じてるだろうし、私からなんて声をかけたらいいかわからなかった。あの時は怪我をしたことでいっぱいいっぱいで自分でもどうしたらいいのか分からなかったの」 「優花……」 「少し歩きながら話さない?」  優花は抱きしめた腕を離し、真っ直ぐ私の顔を見てそう言った。  その言葉に小さく頷くと、私たちは中学校の方へ向いて歩き出す。 「あれから晴と話さなかったこと後悔した。晴が隣にいないことがすごく寂しかった。でも、会いに行く勇気もなかったんだ。だから今、晴が家の前に居て夢なのかと思ったよ。すごく嬉しかった」 「私のこと許してくれるの?」 「許すも何も、晴に怒ってなんていないよ? そりゃ、怪我のことはショックだったけど私は自分の行動に後悔はしてないから」 「自分の行動? どういうこと?」 「晴のこと受け止めようと思ったんだよね。冷静に考えると無理な話なんだけど、あの時はこのまま晴が落ちるのを見てるだけなんて出来ないって咄嗟に体が動いてた。たぶん、それで晴が大怪我してたらそれこそ私は後悔してたと思う」    私が優花の上に落ちたのは優花が私を助けようとしてくれたからなんだ。  初めて知るその事実に胸が締め付けられるのと同時に熱いものがこみ上げてくる。 「優花、ありがとう。ごめんね、本当にごめんね」 「ごめんねはいらないよ。私こそ、晴が気にしてるのわかってて何も言えなかった。こんな状態の私が何か言ったところで晴は気にすると思ったから」 「それは、たぶんそう」 「だと思った」 「優花、それより、膝は? 大丈夫なの?」 「うん。激しい運動はできないけど日常生活を送るには問題ないし。大丈夫だよ。それにね、夢を見つけたんだ」  優花は嬉しそうに、足を前に突き出すようにしながら歩く。もう、平気だよと教えてくれているようにその足取りは軽かった。 「夢?」 「そう。私、理学療法士になりたいの。怪我の後しばらくリハビリに通ってたんだけど、すごく親身になってくれた療法士さんがいて、私もその人みたいに誰かをサポートして支えられる人になりたいなって」 「素敵な夢だね」 「ありがとう。これは怪我したおかげで見つけた夢だから」  そう言って笑う優花はすごくキラキラして見えた。  本当はバレーができなくなって辛かったはずなのに、私のせいだって責め立てたってよかったのに、そんなことは一切言わないでひたすらに前を向いている。 「優花はすごいなぁ」 「そうかな? 晴は? 将来の夢とか、何かしたいこととかあるの?」  ずっと、そんなこと考えていなかった。考えてはいけないと思っていた。私が夢なんかもってはいけないと。けれど、優花の顔を見ていつまでもふさぎ込んでいてはいけないと思った。 「夢は、まだ見つかってないけどこれから見つけるつもり」 「そっか。見つかったら教えてね」 「うん。また会いにくるね」 「待ってる。今日は会いに来てくれてありがとう」  いつの間にか着いていた中学校の前で立ち止まり、目を合わせ笑いあう。  お互いに小さく手を振ると背を向けて歩き出した。  私は交差点を曲がらずそのまま真っ直ぐ進み、歩道橋を上る。歩道橋の上から見上げた雨上がりの空は青く澄んでいて、その青が私の心の中に広がっていくような気がした。  ふと、ポケットに入ったあめの存在を思い出し、取り出して空にかざしてみる。    虹色に光る雫のあめは空と一体になって私の中に橋をかけた。  気付けば私の心の雨は上がっていた。    あれから数日、優花とは連絡を取り合うようになり今度遊びに行く約束もした。  夏休みに入る前に進路もちゃんと考え直すことにした。全てが上手くいくような気がする中、ずっと春名くんのことが頭から離れないでいる。  もう一度彼と話したい。でも何を話す? お礼を言う? 何てお礼を言うの?  そんなことばかり考えて会いには行けなかった。  放課後の教室で大学のパンフレットを眺めながら春名くんのことを考える。  私は鞄の内ポケットに入れてある虹色のあめを取り出す。  もったいなくて食べられないでいるが、そろそろ食べないとただのゴミになってしまってはそれこそもったいない。  最後にもう一度じっくり眺めてから包みを開け口に入れる。  ソーダ味、レモン味、ピーチ味が混ざり合い口の中に広がっていく。虹色の味だ。 「っ!!」  そう思った瞬間、ある出来事を思い出した。  どうして忘れていたんだろう。あの時の私はきっとそれどころじゃなかった。でも、私が今ここにいるのは確実に彼のおかげだ。  私は急いで立ち上がり、教室を出ると特進クラスを覗く。春名くんはいない。  東側の階段から一階に降りて靴を履き替えると以前春名くんと帰った道を走る。  少し走ったところで彼の後ろ姿を見つけた。 「春名くんっ」  振り返った彼は驚いた顔をしている。 「川瀬さん……」 「入試の日、あの虹色のあめをくれたのも春名くんだよね」 「思い出したんだ……」    あれは高校入試の日だった。  私は会場で受験票を失くした。受付をした後鞄にしまったはずなのに、席について机に出そうとしたらどこにもなかった。  一応、探した。通った場所を見て回った。でもなかった。だからもういいやと思った。事故の後、何もかもどうでもよくなっていた私は自暴自棄になっていた。    入試があるため、使われていない体育館の前で足を止めぼーっとする。 「川瀬、晴さん?」  後ろから不意に名前を呼ばれた。振り返ると、伺うように私を見る学ランを来た男の子がいた。その手には受験票が握られている。 「受験票、落ちてたよ」 「あ、はい。ありがとうございます」  別にもう良かったのにと思いながらもお礼を言って受け取る。 「強い雨が降ってるね」 「え?」  何を言っているんだろう。今日は快晴で誰かが受験日和だ、なんて言っていたくらいなのに。 「試験、緊張してる? これあげるよ。少しリラックスして、落ち着いてやったらきっと上手くいくよ。君の雨雲の奥には強い光が見えるから。きっと大丈夫」  彼は私に一粒のあめを渡すと校舎へと入って行った。  変な人だ。そう思いながらも受け取った虹色のあめをその場で口に入れた。  ソーダ味、レモン味、ピーチ味が混ざり合い口の中に広がっていく。虹色の味、なんとなくそんなことを思った。  その後、通常通り試験を受け、無事にこの高校に合格した。 「あの時はありがとう。お礼が遅くなってごめんなさい」 「ううん。僕、あの時すごく変なこと言ったよね。入学してすぐ川瀬さんを見つけて合格したんだ、良かったって思ったけど、あの時言ったことが恥ずかしくなって声をかけることはできなかった。川瀬さんは忘れてたみたいだしね」 「ごめん……」 「いいんだよ。でも、入学してからもずっと川瀬さんは心に雨を降らせていて、もしかしたら入試の日、緊張して雨を降らせていたわけではないのかもしれないと思った。それから気付いたらいつも目で追ってた。この前の雨の日、せめて川瀬さんが濡れずに歩けるようにと思って傘、貸したんだ」 「そうだったんだ……」  春名くんはあの日雨に濡れたかったわけではないかもしれない。でも本当に雨が好きなのかもしれない。  実際のところはわからないけど私の空に光が射したのは紛れもなく春名くんのおかげだ。  「春名くん、本当にありがとう」 「川瀬さん、今日はいい天気だね。すごく綺麗な青空だ」  春名くんは雲一つない晴れた空を背に、私に向かってそう言った。  優しく微笑む彼に、私はこれからたくさんの感謝と、この心に芽吹いた想いを伝えていくことにする。    
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