濃密な夜

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濃密な夜

「どうしよう……」  侑奈はシャワーを浴びながら、不安が口をついた。  食事のあと、半ば逃げるようにバスルームに来たが、先ほどの隆文の言葉が頭から離れなくて落ち着かないのだ。そのせいか、せっかく隆文が作ってくれた手料理もいまいち味を感じられなかった。 (本気なのよね?)  あの夜から一向に手を出してこないと思っていたが、彼は二人きりになるこの日を待っていたに違いない。 「~~~~っ」  そう思うと、急激に体温が上がる。 (うう。どうして何もしてこないのか気になってたけど、実際そうなると怖気づいちゃう)  侑奈は著しく高くなった体温と浮き足立った心を落ち着かせるために、シャワーの温度調節ハンドルを一気に水のほうに回した。瞬間、冷たい水が出てきて、息が止まりそうになる。 「ひぃぃ、冷たい……!」  慌てて湯船に浸かり、広い浴槽の中できゅっと丸くなった。 (あたたかい季節になってきたけど、真水はまだ辛いわね)  湯船は二人で入っても余裕なくらい広々としていた。ゆっくりと体の力を抜き手足を伸ばすと、思わずリラックスした息が漏れ出る。 「ふぅ」  水で冷えた体が、あたたまっていく。すると、不安で逃げ出したい気持ちが少し落ち着いた気がした。 (今の隆文は無体なことしないもの。それに前に進むためには必要なことだから……きっと大丈夫よ) 「侑奈」  侑奈が肩までお湯に浸かり目を瞑ったのと同時に隆文の声が聞こえてきて、パッと目を開ける。 「えっ!? は、はい!」  無防備でいるところに突然彼の声が聞こえて緊張が走る。入ってきたらどうしようと、侑奈は再度膝を抱えて縮こまった。 「邪魔してごめん。タオル、ここに置いとくから」 「あ、ありがとうございます」 「あと、もしよければでいいんだけど……お風呂後……」 「なんですか? よく聞こえません」  きっぱりと言い切らない隆文がじれったく感じ、侑奈は首を傾げた。湯船から半分体を出し、ドアに顔を近づけ耳を欹てる。 「もしよければ、このあともメイド服を着てほしいんだけど……」 「は? どうしてですか?」 「嫌なら別にいい」  これから寝るだけなのに、なぜ制服を着る必要があるのだろうか。侑奈が眉根を寄せると、隆文は質問には答えず逃げるように洗面脱衣所から出ていった。 (どうして着てほしいのかしら……)  お湯に浸かりなおして、思考を巡らせる。そのとき、はたと気づいて顔にボンッと火がついた。 「ま、ま、まさか……そういうプレイがしたいとか?」  口に出すと、さらに変な気持ちになる。  侑奈は顔を半分お湯につけて、「へ、変態」と独り言ちた。その言葉がお湯に呑み込まれてブクブクという水音に変わる。 「……うう」  緊張した面持ちでお風呂を出た侑奈は、隆文が用意してくれていたバスタオルで体を拭いた。洗った髪を手早く乾かして、先ほど脱いだばかりのメイド服に手を伸ばす。 (着てあげたほうがいいのかな)  そのとき、ふと鏡に映った自分の顔が視界に入り、わずかに息を詰めた。  鏡には頬を上気させた自分が映っていたのだ。  恥ずかしくてたまらないのに、隆文との夜を期待している自分が確かにいる――それを理解して、侑奈はぎゅっとメイド服を抱き締めた。 (も、もう……私ったら。何を考えて……。ちょっと落ち着こう。落ち着かなきゃ)  今以上に心臓がけたたましく鼓動するのを感じ、侑奈は深く息を吐いた。そして意を決してメイド服を着てから脱衣所を出る。 「お風呂上がりました」  隆文が待っているリビングへ向かい、ドアから顔だけを覗かせて声をかけると、真剣な表情でパソコンの画面を見ていた彼が顔を上げ、手招きをして微笑んでくれる。 「そんなところにいないで入ってこいよ。湯冷めするぞ」 「は、はい……」  メイド服を着ている自分が恥ずかしくて、赤い顔を隠すように俯いたまま、そそくさと隣に座る。すると、隆文がぴしっと固まった。  お願いはしたが、まさか着てもらえると思っていなかったのだろう。 「ゆ、侑奈、そ、それ……」 「ご主人様が望んだからですよ……えへへ、なんちゃって。やっぱり恥ずかしいですね。こういうのは慣れません……」  羞恥が限界を超えて、苦し紛れに笑う。だが、自分の顔以上に隆文の顔が赤く染まったのに気がついて、次は侑奈が固まった。耳まで染めて硬直している隆文に胸がきゅんとなる。 (あ、可愛い……)  彼も恥ずかしがっているのが分かって、途端に気が大きくなった侑奈は少し悪戯心が芽生えた。 「メイド服が好きなんですか?」 「そういうんじゃなくて……侑奈が着るからこそいいんだ……」 「へぇ。だから、入浴後に着てほしかったんですね。まさか仕事中の私をいつもそういう目で見てたとか?」 「……っ」  頬を指でつつくと隆文が露骨に口籠もり、侑奈から目を逸らす。  意地悪な質問だと自分でも思うが、可愛いこの人を――かつて自分がされていたように困らせてみたい。そんな衝動に駆られた。 (どうしよう。私を虐めていた隆文の気持ちが少し分かっちゃったかも) 「きゃっ!?」  にんまりと笑った瞬間、突然体が宙に浮く。抱き上げられたのだと気づき咄嗟にしがみつくが、隆文は何も言ってくれないまま侑奈を抱えて大股で歩き出した。 (ちょっとやり過ぎちゃったかしら)  侑奈がどうしようと困惑していると、隆文は自室のドアを開け、侑奈をやや乱暴にベッドに落とした。 「……っ!」  そして隆文もベッドに乗ってくる。スプリングの軋む音に、血の気が引いていった。 「た、隆文? 怒ってるんですか?」 「別に怒ってなんてないよ。ただ……」 「ただ?」  侑奈がベッドの上をジリジリと後退すると、足首を引っ張って引き寄せられてしまう。そのまま押し倒して覆い被さってくる隆文は、子供のころの意地悪な表情をしていた。そんな彼にごくりと息を呑む。  隆文は何も答えてくれないまま、人差し指を侑奈の唇にあててくる。そしてもう片方の手が頬に伸びてきて、ゆるやかに首筋へとすべった。彼の行動に心臓が痛いくらいに鼓動する。動揺しすぎて上手に言葉を紡げない。 「侑奈」  囁くように名前を呼ばれ、また唇を指でなぞられる。彼の指の感触と指から伝わる彼の体温に、一気に心拍数が上がった。 「た、隆文。調子に乗ってごめんなさい。少し揶揄うだけのつもりだったんです。怒らないで……」 「怒ってないよ。ただ……したり顔で俺を揶揄ってくる侑奈が可愛すぎて我慢できなくなっただけ。なぁ、侑奈。俺も風呂に入ってからと思ったけど、このまま襲っていい?」  そう問いかける隆文の瞳の中に、困惑し動揺する自分が映っていると感じた瞬間、二人の唇が重なった。 「んっ……」  漏れ出た吐息と共に力強く抱き込まれて、唇の合わせ目から口内に舌が入ってくる。  その彼の行動に心臓がけたたましく鼓動した。激しく動きすぎて胸が痛いくらいだ。 「ふっ……ふぁ、んっ」  舌を絡められ軽く吸われると、息が上がった。唇の隙間からくぐもった声が漏れる。  彼は問いかけたが、侑奈の返事を必要としていないようだ。でも今ここでストップをかけることがデリカシーに欠けることくらい侑奈にだって分かる。  侑奈が観念して隆文の背中に手を回すと、ようやく唇が離れた。でも間をおかずに、すぐ重なり合う。 「っ……っんぅ」  くちゅくちゅと水音を立てて好きなように唇を味わい尽くしている隆文に置いていかれないように必死で侑奈も舌を伸ばす。 (うまく息できなっ……)  目に涙が滲む。侑奈が隆文の服を縋るように掴むと、隆文が緩慢な動きで唇を離した。そして熱い息を吐き出しながら、侑奈の首筋に顔をうずめてくる。 「どうしよう……。初めては優しくしてあげたいと思うのに……加減ができないかも。侑奈を啼かせたくてたまらないんだ」 「な、泣くのは嫌です。優しくしてください……」  キスの余韻で力が入らないままに涙目で首を小さく横に振る。顔を上げた隆文は愉快げに笑って、侑奈の頭を撫でた。その目がまるで肉食獣のようで、侑奈は「ひっ」と喉を震わせた。
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