1707人が本棚に入れています
本棚に追加
「あ! あそこの蛍光灯切れてる……」
(交換しなきゃ)
キョロキョロと見回しても、皆忙しそうなので、気づいた自分がやろうと新しい蛍光灯を取りに物置に行く。
「あら?」
天井が高めなので自分の身長では絶対に届かないと予想をつけて椅子を持ってきたのだが、それでも届かなかった。背伸びをし、目一杯手を伸ばして蛍光灯を掴む。
「は、外れない……!」
力を込めて引っ張ってみたり、片方の端を押してみたりしても、どうにも外れない。
(何これ。どうしてこんなに固いの?)
今まではお手伝いさんがいたし、こういうことは父や兄がしてくれていたので、蛍光灯なんて変えたことはなかったが、こんなにも難しいものだとは思わなかった。
身長が足りなくて、手元がよく見えないのがいけないのだろうか。
「うーん。一回説明書とか読んでみたほうがいいのかしら……」
(それか、誰かに頼む?)
侑奈が手を止めて照明器具を睨みつけていると、突然廊下の曲がり角から隆文が顔を出した。
「あれ? 何してるんだ?」
「っ!? きゃあっ!」
驚いた侑奈が体勢を崩して落ちそうになったとき、大きな手で背中を支えられる。
(た、隆文くん……!)
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です! あ、あの……離して」
隆文の気遣わしげな声と彼に支えられている状況に落ち着かず、体が逃げてしまう。その瞬間、椅子がガタンと倒れた。
(お、落ちる……!)
「あ、あれ?」
落ちる覚悟をしたのに全然痛くなかった。
おそるおそる目を開けると、隆文が抱きかかえてくれていた。その光景に慄く。
「驚かせた俺が悪かったけど、頼むから暴れないでくれ。怪我をする」
「ご、ごめんなさい……」
「それより何してたんだ?」
「えっと……蛍光灯が切れちゃったから交換しようとしていたんです。でもうまく出来なくて」
普通に話しかけてくる隆文に、ジッと彼を見つめる。
(……私だって気づいていないのかな。そうよね。やっぱり何年も会っていない上にメイド服姿だものね)
ホッと胸を撫で下ろすと、隆文がおろしてくれる。彼は壁に立てかけてある新しい蛍光灯にチラリと目をやって、倒れている椅子を起こし上に乗った。
「この蛍光灯は……蛍光灯のみを九十度横に回転させて外すんだ」
「そうなんですね」
だから引っ張っても外れなかったわけだ。
(そっか、回すのね)
「これからは自分で変えようとせずに、誰でもいいから男を呼べ。別に俺でもいいから」
「はい……ありがとうございます」
「それから、椅子じゃなくて脚立を使ったほうがいい」
「承知しました」
切れた蛍光灯を受け取り、用意していた新しい蛍光灯を渡す。隆文が取りつけてくれているのを見ながら、優しいところもあるじゃないかと感心した。
「――で、侑奈はこんなところで何してるんだ?」
「えっ!?」
バレていないと安心しきっていたところで名前を呼ばれて、違うと言えなかった。どう誤魔化したらいいか分からなくて心臓が痛いくらいにバクバクと鼓動を打つ。
(い、い、今……今……侑奈って……)
震えながら隆文を見る。でも目が合った瞬間、動けなくなった。
侑奈が石になっているうちに、隆文は近くにいた使用人を呼んで、椅子と切れた蛍光灯を渡して片づけを頼んでいた。そして侑奈の手を掴む。
「ひっ」
「そんな声出すなよ。とりあえず聞きたいことが山程あるから俺の部屋で話そうか」
「え、でも……」
「でも何? 嫌なんて言わないよな?」
彼の強気な態度に、言葉が詰まる。
侑奈が何も言えずに下を向くと、隆文が顔を覗き込んできた。
「じゃあ質問。侑奈にとって今俺はどんな存在でしょうか?」
「ご、ご主人様……です」
「正解。分かったらついて来い」
(やっぱり怖い……)
侑奈は連行される囚人の心持ちでついて行った。
***
「――で? まさか就職活動失敗して、うちでメイドのバイトしてるわけじゃないよな?」
「は? 違います!」
部屋に入るなり、隆文が紅茶を淹れてくれる。変なものが入っていないか警戒していると、隆文がとても失礼なことを言った。
「じゃあ、なんで?」
「それは……。そ、そんなことより、隆文くんはどうして私だって分かったんですか? もう何年も会っていないのに……」
「会ってはいないけど悠斗から近況を聞いていたし、侑奈の写真も見せてもらっていた。それに悠斗の家に行くたびに、いつも遠巻きに俺のことを見てたじゃないか。少し会わないくらいで忘れたりしないよ」
(う……それは何かして来ないか心配で見張ってただけだもの。そ、それより、お兄様ったらひどい!)
くつくつと笑っている隆文を見ながら、兄の裏切りにショックを受ける。
「毛を逆立てた子猫みたいな顔で俺のこと警戒してて最高に可愛かったよ」
「また馬鹿にして……」
「馬鹿になんてしてないよ。褒めてるんだから素直に受け取れ」
唇を尖らせると、隆文が侑奈の額を指で弾く。額を押さえながら、彼をじっとりと睨んだ。
(そんなの無理だわ)
「でもばーさんが、しばらく実家に戻ってこいって言った意味が分かったよ。侑奈がいるからだったんだな」
「え? 今は実家に住んでいなかったんですか?」
「ああ。今はグループ企業の玲瓏薬品で社長を務めながら学んでいる最中なんだ。だから、会社の近くに住んでる」
「そうなんですね……。ごめんなさい。私のせいで……」
侑奈のために呼びもどされたのなら悪いことをしたなとは思う。
頭を下げると、隆文が首を横に振って侑奈の頭を撫でた。その衝撃に飛び退く。
「……っ!」
「そんなに怖がるなよ。あの時は悪かったよ。もう虐めたりしないから、そんなに怯えた顔をしないでくれ」
「……絶対に私が嫌がることをしないって約束してくれますか?」
「ああ、約束してやる。ほら、紅茶飲んで落ち着け。変なものなんて入れてないから」
(本当かな……)
こわごわと口に運ぶと、侑奈好みの美味しい紅茶だった。
「悠斗が侑奈は紅茶好きだって言ってたから、土産に買ってきたんだけど、どう? 口に合った?」
「はい。すごく美味しいです」
「じゃあ、これあげる」
隆文はそう言ってイタリアの有名メーカーのダージリンとアールグレイの茶葉が入った缶を侑奈の膝の上にポンっと置いた。
「イタリアに出張だったんですね」
「うん。でも侑奈がいるって分かってたら早く仕事を切り上げて帰ってきたのに。早く言えよな」
「……」
柔らかい雰囲気の隆文に唖然とする。先ほど部屋に強制連行されたときの意地悪な感じもなく、子供のときのようないじめっ子でもない。
今の彼はどうやら侑奈が知っている『四條隆文』とは違うらしい。
侑奈がまじまじと見ていると彼が苦笑する。
「それで? なんでメイドなんてしてるんだ?」
「それは……」
侑奈は観念して、玲子の提案をすべて話すことにした。もし笑うようなら、玲子にきっぱりと「やっぱり無理だった」と断ろうと思って――
「つまり侑奈は研究がしたいから、うちの会社で働きたいのか。そのために俺と婚約……」
「で、でも、出来なくても雇ってもらえる予定ですから!」
彼の言葉を慌てて遮る。すると、彼が侑奈の隣に移動してきた。
(は? なんで隣に座るの?)
怪訝な視線を向けると、彼が侑奈の手を握る。
「俺は前向きに考えてもいいと思ってるよ」
「は?」
「どうせ断るつもりなんだろ。でもそれは許さないから」
「え、でも……」
「ちゃんと俺を知った上で無理なら仕方ないけど適当に断るなら、ぜってー雇ってやらない。言っとくけど、将来的には俺が四條製薬の社長だからな」
(う……)
前言撤回。やっぱり何も変わってない。意地悪のままだ。
侑奈は拳を握り込んで、恨めしそうに隆文を見た。
「脅すんですか?」
「そんなつもりはないよ。ただちゃんと知ってほしいって思っただけ。それに子供の頃のことを挽回させてほしいとも思ってる。そろそろ謝罪を受け入れてくれよ」
「た、隆文くんは私と……結婚してもいいと思ってるんですか?」
「思ってるよ」
(え……)
飛び上がるくらい驚くと、彼に腰を抱かれる。押しのけようとするが、びくともしなかった。
「それで、今日接してみてどうだった?」
「え……えっと……昔と変わって優しくなった、とは思います。ちょっとだけ……」
「なら、一緒にいられるよな?」
「そ、それはまだ分かりません……。第一、仲直りできても、好きになれるかは別問題じゃないですか。それは隆文くんだってそうですよね?」
「俺は……侑奈のこと可愛いと思ってたから結婚の話が出て嬉しいよ」
そう言って、手の甲にキスをしてくる隆文に、目を見張る。
この人は一体誰だろうか。甘い雰囲気を出して迫ってくる男が、過去の隆文と重ならなくて混乱する。もう泣きそうだった。
(私のこと困らせて遊ぼうと思ってるの?)
「とりあえずデートでもするか」
「え、無理です」
「俺のこと知りにきたなら、意欲的にそういう場を設けるべきだよな? 将来、うちで働きたいんだろう?」
(そんな……)
なんと切り返していいか分からずに押し黙る。侑奈の沈黙を肯定と受け取ったのか、隆文が嬉しそうに立ち上がった。
最初のコメントを投稿しよう!