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百合の音
数日の間、妹は僕の家に滞在して、東京へと帰ることになった。再会を誓いながらの小さなフェリーでの別れだった。僕は何故か切なくて遠くなっていくフェリーをいつまでも眺めていた。
しばらくすると、何事もなかったのように日常生活が始まった。僕は会社で一生懸命に働いた。まるで、今までのことがなかったのように、同僚の正美さんは相変わらず可愛らしかったが、妹のような感情にはなれなかった。
家の中も落ち着きを取り戻したかのようだったが、突然、家政婦の声が響いた。
「健作さん、遺品を整理したら、このメモのような手紙がでてきました」
「どうして、今頃……?」
僕は急いで、目を通した。
幸樹さんへ
この間はありがとうございました。
幸樹さんと出会えて幸せです。
今更、何をなんて言われるかもしれませんが愛しています。
幸樹さんのことを愛しています。
あの時の百合の花を大事にしまっています。
幸樹さん、狼が毎日のように襲ってくるのです
助けてください
幸樹さん、可愛い子供が産まれてきましたね。
幸せです。
幸樹さん、幸樹さん、どうして、私に冷たくするのですか
幸樹さんは優しいですね
幸樹さんの優しい笑顔が大好きです。
どうして、幸樹さんは空の上に行ってしまったのですか
私をおいてお空の上に行ってしまったのですか
幸樹さん、きっと可愛い子供が 生まれてきますね。
男の子だったら、健作、女の子だったら、香澄がいいです。
生まれてきたらみんなで遊園地に行きましょうね。
どうしてか、わかりますか?
家族みんな、カ行なのですよ。いいでしょ?
幸樹さん、二人のためにペアのペンダントを買ったのよ。きっと、無事に産まれてきますよね。
幸樹さん、助けてください。また 狼が襲ってきます
蛇もいます 助けてください こわいです
幸樹さん 空の上に行ってしまったのですね
空の上からピアノの音が聞こえてきます
幸樹さん、上手ですね
私も空の上にいきます
待っていてください
幸樹さん
私がいけないのです。私が…… こんな手紙をあいつに見せてしまって。
どこからか、不気味な声と笑い声が響いた。
気が付くと僕は夕暮れの海を一人で歩いていた。父の死因はわからなかった。けれど、僕は何となくわかったことがある。それは、百合の花が海の上に美しく浮いているのを見てしまったから、そして、ゆらゆらと揺れる百合の音と香りが、優しく僕の胸に響いた。だから、僕は生きているということだ。やっとわかったような気がする。
完
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