届けたいひたむきさ届かない情熱

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 生きていくためのスキルが彼女には足りない。僕は山猫組の三毛田組長と都内にある高級料亭である話し合いをしている。 「澪、いや和都田美波を堅気の世界に戻したいと。坊っちゃんの言い分はわかりました。ただね、あいつは人形じゃない。一人の人間だ。本人が首を縦に振らなきゃ無理ですぜ」 「それはもちろんわかっている。おたくの若頭の川久保が描いた大体の絵も見えてる。わざとバタフライのような美波に似合わない安い店で働かせる。僕と再会した後に川久保の金を美波が使い込みしたあの話は嘘の芝居だ。持ち逃げに怒った川久保の子分が店でレーザー銃を発砲して大太刀回りをする。そこで僕が美波を助ける結末は最初から決まっていた。案の定、美波から高級なクラブを出店したいから出資してくれとねだられた。確かに美波なら高級店が似合う、ただ経営者となれば話は別だ。人を雇って使うのは簡単じゃない」 「芽のない無謀な出資話なら断ってください。川久保には坊っちゃんに失礼がないように伝えますよ」 「ありがとう。生きる道を選ぶのは彼女だ。ただ、川久保の駒として生きるより他の道もある。もし彼女が普通の世界に戻りたいと言うなら三毛田さんの言い値を払います。三毛田さんがその報酬を川久保が納得するように割り振ってくだされば川久保も引き下がる。彼女を自由にしてやりたい」 「まあ、うちの川久保はそれで納得するでしょう。ただ女の方がどうか。説得する策はあるんですか?坊っちゃん」 「今のところ皆目見当がつかない。大学さえ出てくれれば僕の会社で縁故の枠で働ける。そう言っても普通の仕事の給料なんてたかが知れてると鼻で笑われました」 「坊っちゃん。普通の縁故採用だけではなく川久保の代わりに美波のパトロンになればきっと態度を変えますよ。独身なら女の一人や二人いても問題はない。金の掛かる女ですがそれだけの価値はありますよ」 「彼女の気持ちが僕に向かない限り、川久保のようなことはしない。生活費がやけに掛かる友達としてもう一度その方向で説得する」 「美波から聞きましたか?」 「ああ。目の前で札束を積んでどこでYESというか試すような川久保のような真似はしない」 「坊っちゃん、一つだけ忠告します。正攻法もいいですがね。美波のような戦争の地獄を生き延びた女は、金が全てだといわんばかりの冷酷な男の方が気が楽なんですよ。愛とか恋とか甘ったるい砂糖菓子みたいな物は一切信じない。見返りもなしに足長おじさんをやるなんて言い出したら、いいように金だけむしられて他の男を坊っちゃんの金で飼い始めますよ」 「それで気が済むならそうさせるさ。彼女は戦地で脱走しろと助言した僕を恨んでる。生き延びたことを後悔して自棄になっている。いつか生きることも捨てたものではないと思ってくれれればそれでいい。縁故採用だが後々他で働いても通用するくらいには仕事を覚えさせる。まずは大学に受かるように勉強させないと」 「まるで高い所にある葡萄に手が届かなくて泣き喚く幼子を、肩車して葡萄を採らせてやる父親だ。忠告しましたからね、私は。有り金を全部あの女に毟り取られて一族から勘当される。そうなったらなったでウチで働きませんか?」 「ああいいさ。今は葉山家の立場があるから誠実に振る舞っているが、有り金を全部無くしたらそうする。若頭の川久保より僕の方が使えると思うよ、三毛田さん」 「面白い。坊っちゃんはそう簡単には金を毟られない自信があり、あの美波を変えて見せると。高見の見物をさせてもらいますよ」  鹿威しが傾く竹の音が庭から響く。僕はひたむきに生きる意味を美波に伝えたい。しくじれば山猫組の組員として雑巾掛けから人生をやり直す羽目になりそうだ。流れる水の向きを変えようとする人はいない。でも僕は変えたい。闇社会でくすぶる美波を表の世界に連れて行く。 公園の噴水のように鹿威しの水を逆流させてみせる。空に向かって高く飛び散る水飛沫を思い描いていた。
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