容疑者 諫早周平

5/5
前へ
/138ページ
次へ
「ふむ、確かに足跡は見当たらんの。もしかして、被害者の部屋には傘がなかったのではないかの?」 「変なことを聞く爺さんだ。すぐ確認してくるから、待ってろ」  刑事が事件現場に向かうと、僕は小声で聞いた。 「あの、僕が巻き込んでおいてなんですけれど、この事件解けそうですか?」 「むろんじゃ。まあ、傘の有無にかかっておるがのう」  しばらくすると刑事が戻ってきた。 「確かに傘はなかったが、それがどうしたというんだ」 「問題おおありじゃよ。傘がなくては雨の日に困るじゃろう。今日のように土砂降りではなおさらじゃ」  外はバケツをひっくり返したような大雨だ。自室にこもって執筆していたのもそれが一因だ。こんな日に取材には行きたくない。 「で、それがどうしたんだ」 「さて、刑事殿は螺旋階段の下を捜索されたかの?」 「してない。そもそも、誰も螺旋階段を使った形跡がないんだ。不要だろう」 「ふむ、『先入観は判断を誤らせる』じゃよ。調べておれば、わしの出る幕はなかったろうに。さて、凶器の刃物と傘が消えた。ここから導きだされる結論はこうじゃ」  喜八郎さんは杖の曲がった部分を螺旋階段の欄干にひっかけると、手を放す。当然、杖は下へ下へと滑っていく。 「さて、螺旋階段の下を調べれば、折りたたまれた傘の中に刃物が包まれておるんじゃなかろうか」  それからはあっという間だった。凶器が見つかったことで事件は一件落着、母親が犯行を認めた。 「あなたの言うとおりだった。俺の考えが間違っていた。詫びさせて欲しい」 「気にすることではなかろう。これを機に成長すればよいのじゃ。諫早殿、刑事殿との用はなくなったの。ここまで来たのじゃ、せっかくじゃからお邪魔するかの」  部屋で歓談していると、喜八郎さんが何か思いついたようだった。 「フランス語の『mer』は海。『mere』は母じゃ。海という漢字の中には母という字が含まれておる。海と母は切っても切れない関係じゃ。『海は生命の母』、まさにそのとおりじゃな」
/138ページ

最初のコメントを投稿しよう!

64人が本棚に入れています
本棚に追加