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雨はまだ止まない
海理が東高に編入してくる日。
雫は自分の教室の席でぼーっと外を眺めていた。代わり映えしない、いつもの景色。灰色の空から雨が降り注いでいるだけの景色だ。ポコポコという雨音も聴こえてくる。
教室には、既に大半の生徒が来ていたが、「こんなに雨降ってるし学校来たくない」だとか「雨いつになったら止むんだろうね」と言った声がそこらじゅうから聞こえてくる。やはりどの人も、雨なんてはやく止んでほしいと思っているんだろう。雫も少し前までは、はやく止まないかなと願っていたから、その気持ちも分からなくはなかった。だが、この前海理と出会ってから一緒に散歩することが何度かあり、案外雨も悪くないなと感じ始めている頃だ。
「お前ら席につけー」
担任の先生が教室に入ってくると、立っていた生徒はぞろぞろと自分の席に戻り始めた。先生の後ろには、海理が立っていた。
この村に高校は二校あるが人口の多くない村の高校なので、どちらの高校も一学年一クラスか二クラスくらいしかない。私たちの学年は一クラスだ。なので、必然的に海理と同じクラスということになる。
「今日は編入生が来てるぞ。藤野、自己紹介を。黒板に名前書いてくれ」
「はい」
そう返事をして、チョークを手に取りスラスラと名前を書き始めた。雫はとても整った字を書くんだな、と思いながら海理の書く字を見ていた。
「先日隣の市から越してきました、藤野海理といいます。よろしくお願いします」
海理がそう言い終えると、ぱらぱらと拍手が沸き起こった。みんな何か聞きたそうにうずうずしているように見えた。
そしてやはり、朝の連絡が終わると同時に海理は囲まれていた。みんなの聞きたいことは大体想像がついてしまう。
「ねえねえ。隣の市ってことは雨ずっと降ってたわけじゃないの?」
やはりそうだ。
みんなが他の市の市民だった人に聞きたいのはまずこれだろう。この村の人は他の市の天気をテレビのニュースでちょこっと確認できるくらいなので、直接聞いて確認したいのだろう。
「そうだよ。晴れの日の方が多いかな」
「え、いいな羨ましい。晴れが見れて」
「そうかな」
海理はこの村に来て間もないので、この村の人がどれだけ晴れに飢えているのか知らないだろう。なんて答えればいいものかと悩んでいるのが少し離れた席にいる雫にも伝わってきた。
実際、この村の人はとても晴れに飢えているので、海理の周りを囲っている人たちを退けるのは無理だろう。雫は何も助けられず申し訳ない気持ちで海理たちを見守っていた。
「この村の人たちって、あんなにも晴れに飢えているんだね……」
その場の流れで雫と海理は一緒に帰ることになった。二人ならんで傘を差し、帰路についていた。
雨は朝より少し強くなっている気がした。
「そうなんだよね。みんな産まれたときには既に雨が降っていたから」
毎放課生徒に囲まれていた海理は、完全に疲れ切った顔をしていた。今日は何も探さずに家に帰るのが一番いいだろう。
「……雷、鳴ってるよね?これ」
海理が一瞬立ち止まり、空を見て耳をすましていた。雫も同じように立ち止まり、空を見てみた。すると丁度、空がピカッと光った。
「本当だ、え、これ近くない?」
その直後、どこか近くに雷が落ちたようなビリビリという音が聞こえてきた。
「まずいな、結構近い。一旦雨宿りして雷がどこか行くのを待とう」
海理はそう言いながら、雫の手を引いて走り出した。不覚にもドキッとしてしまった。
「ここなら大丈夫かな」
海理は肩についた雨を払いながら、空を見ていた。
「ほんとに雨止まないんだな」
「うん。同じ県の他の市は止んでるのに、ここだけやまないんだよね」
実際隣の市に住んでいた海理は晴れの日があったと言っている。それなのにこの村だけ雨が止まないというのはやはり異常だろう。
「ま、あんまどんよりしててもつまらないし。雨ならではのことを楽しもうよ」
そう言って笑う海理は、やはりこの村の太陽だった。
そんなこんなで一ヶ月が経とうとしていた。
相変わらず雨は降り続けている。お天気キャスターも何度も「異常だ」と繰り返している。村の人も外に出ることはほぼない。
そんな中、雫と海理はこの雨を楽しもうとしていた。
雨の音を背景に何か作業をしてみたり。散歩をしてみたり、雨そのものを楽しもうとしてみたこともあった。そんな感じでこの一ヶ月間を過ごしていた。一人でこの雨の中を過ごしているときよりも、海理と二人で楽しみながら過ごしているほうがもちろん楽しいし、一人のときよりも気分が明るくなったように感じていた。
何より、海理と過ごす時間はとても心地が良かった。
「そろそろ尽きてくるよな、雨ならではのこと」
海理は足元にある泥を足でいじくっていた。ほぼ毎日のようになにかしらしていたので、ここ最近はやることが思いつかなくなり、ほぼ散歩しかしていなかった。
「そうだよねー。やっぱ晴れの日よりもやれることって限られてるものなの?」
「晴れの日のほうが身動き取りやすいからな。傘ないし」
「そっかあ」
雫は海理の足元にあった泥の塊をちょんっとつついた。雨で柔らかくなっていたので、簡単に崩れてしまった。
「雨も楽しいけど、晴れてるところも見てみたいなあ」
そう言いながら歩き出そうとしたとき。心做しか雨が弱まったように感じた。
「急に雨弱まったな」
雫だけでなく、海理も同じことを思っていたようだ。
すると、海理がこちらを向いて立ち止まった。距離は少し空いているが、目があっているのが分かった。雫は恥ずかしくて目を逸らそうとしたが、海理がなになら真剣な表情をしているので逸らしづらく、見つめ合う形になっていた。
「高原さん。ここ最近ずっと言おう言おうって思ってたんだけど」
海理は一呼吸置いてから、覚悟を決めたように雫に向かって話し始めた。
「高原さんと過ごすようになってから、毎日が楽しくなったんだ。俺はこんなに雨が続いてることが初めての経験だったから、正直気分は下がっていた」
雨は更に弱くなっていた。
「でも、この村に来たばかりのときに会った高原さんはこの雨を楽しもうとしていた。俺は純粋にこの雨の楽しもうとしている高原さんに惹かれ始めていたんだ。高原さんの笑顔はとても輝いていて、この雨の中の唯一の光みたいだった。」
小雨。
「高原さんのことが好きです」
雨が、止んだ。
「俺と付き合ってください」
十何年以上も降り続けていた雨が、ついに止んだのだ。
「はい、喜んで」
雫は、初めての晴れを経験した。
同時に、初めての虹も見た。
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