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【あらすじ動画あり】7話
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【あらすじ動画】
◆忙しい方のためのショート版(1分)
https://youtu.be/AE5HQr2mx94
◆完全版(3分)
https://youtu.be/dJ6__uR1REU
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「待てっ!」
銀次は後を追おうした。その腕を辰政が掴む。
「おい、銀! どうなってるんだ!」
「依頼人がっ……! いや、違うっ! 紅子だ。あれが紅子なんだっ!」
小さくなってゆく魔術師の後ろ姿を見て、辰政が眉をしかめた。
「何言ってるんだ? 紅子は女だぞ。あれはどう見ても——」
「そうじゃないんだ! 紅子は変装をしてたんだ。さっきの魔術師も男装の麗人も全部、紅子のお芝居だったんだよ!」
「待てって。変装って…例えそうだとしても、あそこまで姿を変えられるかよ。体格も顔も全然違うじゃないか」
「それは、そうだけど……でも目が一緒なんだ。昔見た紅子の目と…」
しどろもどろな銀次を見て、辰政が軽く舌打ちをした。
「何かよくわかんねぇけど、とにかく追うぞ!」
颯爽と走り出した辰政に銀次も続く。
「あっ」
幾分か走った頃、前をゆく魔術師が人でごった返す参道の前で振り返った。次の瞬間、彼はおもむろにマントを脱ぎ、シルクハットをおろす。
夕映えの中、艶やかな黒髪が舞い、マントから鮮やかな友禅の着物が現れた。
銀次たちの目の前で、魔術師は一瞬にして可憐な美少女に変身した。その姿は、いつか藤の下で見た紅子そのものだった。
チラリと銀次たちに視線をやった紅子は、再び走り出す。参拝客の波が、その小柄な姿を呑み込んでいく。
「まさか、本当に紅子だったなんて……」
呆然と立ち尽くす辰政の袖を銀次は引いた。
「それより辰っあん! 早く追わないと、見失っちゃう……!」
だが心配は無用だった。
参道には多くの参拝客がいたが、紅子の髪についている真っ赤な蝶リボンがまるでついて来いと言わんばかりに前方で舞っている。
銀次と辰政は紅子のあとを追い、参道を駆け抜ける。仁王門、五重の塔を通り過ぎ、仲見世通りの手前で伝法院の側へ曲がった。心字池を横目に、六区(ロック)のメインストリートへ。
六区(ロック)はいつものごとく人でごった返していた。だが紅子の姿は不思議とそこだけ浮き上がっているように見え、見失うことはない。
「おい、黒団員の連中を集めてくれ!」
辰政が六区の通りでたむろしていた黒団員に命じた。何か面白いことが起こっていると察した彼らは「はい、お頭!」と言って三々五々と散っていく。
六区を抜けた銀次たちは瓢箪池を回り込むようにして、水族館、木馬亭の前を通り過ぎる。
そして花屋敷にさしかかった時、
「あいつらはっ……!」
前を行く辰政が立ち止まった。
花屋敷の前には腕や足に紅のハンカチをつけた男たちが大勢集まっていた。噂の紅子親衛隊だ。
彼らは一番後ろにいる紅子を守るように楯になっている。
「お前らはここから一歩も行かせん! 紅子ちゃん今のうちに、さぁっ!」
親衛隊のリーダーらしき一人がズッと前に出た。
後ろにいた紅子はこくりと頷き、身を翻す。
「うわーいいように使われてますね」
銀次の後ろから今久がヒョイッと顔を出してきた。見ると、後方には黒数珠をつけた黒団員が集まっていた。
「辰さん、みんなを連れてきましたよ」
「おぉ、よくやった。——銀次」
辰政は銀次を振り返る。
「ここは俺らに任せて紅子を追え。お前はすばしっこいから、ここを抜けていけるだろう?」
「……うん、だけど」
銀次はどうしようかと周りを見た。
喧嘩の種を前にした黒団員は実に生き生きとしていた。一方、親衛隊の方も紅子のためとだけあって、相当士気が上がっている。
派手な衝突になることは間違いない。
口は強いが腕に自信のない銀次は、自分がここにいてもしょうがないと思い、こくりと頷いた。
「わかった。辰っあん、あとはよろしく」
「おぅ、任せとけ」
辰政はバッと黒団員を振り返る。黒数珠をつけた腕を見せるように片腕を掲げて見せる。
「よっしゃ、お前ら! 女の尻を追っかけている軟派(ナンパ)野郎どもに浅草男の心意気を見せてやれっ!」
ワァァァ。辰政の鬨(とき)の声とともに、黒団員が親衛隊び向かって突入した。対する親衛隊も「紅子ちゃんのために!」と向かい受ける。
両者は派手な音をたてて激突した。
銀次は両団員が入り交じる喧噪の中を、ひらりひらりとすり抜ける。たまに襲ってくる奴は足払いをかけて躱し、低姿勢のまま暴徒たちの間を進む。
無我夢中でそうしているうちに、何とか怒濤の中を抜けきることが出来た。後ろを見ると紅黒が入り乱れ、殴る蹴るの大騒ぎだ。
銀次はそれを一瞥すると、紅子の駆けて行った方に向かって走り出した。
どこに向かうのかはわかっている。
この先に行くところがあるとすれば、あそこしかない。
案の定、紅子は花屋敷から少し行ったところにある空き地の前に立っていた。
震災後、ここにあった十二階の残骸は爆破され、今では何もないただの更地に戻っていた。かつて「西洋由来の最高峰の建築」を誇った建物の影は、ひとつもない。
「紅子……だよな?」
銀次が近づくと、少女は何の感情も写っていない目を銀次に向けた。
「えぇ、この姿の時はね」
「この姿……? どうゆうことだ?」
「気づいているでしょう? 紅子も変装の一つなの。ただ私の場合、変装とは言っても魂ごと変えるから、姿や性格は入れた魂によって多少変化する」
「魂……?」
銀次は彼女が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
「——人形なのさ、その女子(おなご)は」
白い蛇の姿をした陵蘭が、銀次の袖から這い出てきた。
「この女子には魂がない。普通この状態になった者は気が狂って死に至るはず。だが、そうはなっていない。ということは、大方他人の魂で食い繋いでいるのだろう」
「他人の魂…!? じゃぁ妖怪ってこと!?」
銀次は信じられない思いで紅子を見た。
目の前の少女は可憐そのもので、魂をとって喰らうような禍々しいものには見えない。
銀次の視線に気づいた紅子が小さく笑った。
「残念だけど、私は人間よ。一応ね。確かに他人の魂をもらっているけど、ほんの欠片だけ。小さな記憶や感情、それだけで充分なの。でもやっぱり欠片だから消耗はしやすい。その度に私は魂を入れ替えなくちゃいけない。姿や性格がころころ変わるのは、その副作用みたいなもの」
ふと銀次はあることに気がついた。
「じゃぁ、もしかして紅団員は——」
「そう、紅団員なんていない。全部、私の変装なの」
紅子は自分の胸に手を置いた。
「浅草紅団の頭領である紅子という人格は、私が初めてもらった魂。でもこれは本物の人間の魂じゃない。紙の上に創られた架空の人物の魂なの。だからこそ長続きもしているし、私自身この紅子が一番しっくりきてる」
「長続き……? じゃぁ君はずっとこんな…?」
無表情のまま紅子は首を振る。
「いいえ。私も以前は普通の娘だった気がするわ。こんな風になったのは、あの震災の時から。あの時、私は自分の魂をどこかに落としてしまったの。そのせいで自分が誰であるかも、どこで生まれ、何をしていたのかもわからなくなってしまった。そんな時よ。帰るところもわからず彷徨っている私の前に、ある商人が現れた。彼は私の魂を探してくれると言った。どうやら私の魂はこことは違う世界に流されてしまったらしいから。私はその魂を探してもらう代り、彼の欲しいものを手に入れる手伝いをすることになった。貴方をここまで連れてくるのも、そのうちの一つ」
紅子は銀次を見て、小さく眉を寄せた。
「ごめんなさい。騙すような真似をしてしまって。でも仕方なかったの。私の魂は本当に遠い処まで流されてしまったみたいで、探し出すまでに時間がかかる。その間、商人が持ってきてくれる他人の魂の欠片がなければ、私は生きていくことも出来ない。だって私は記憶も感情もない、空っぽの人形だから」
フッと紅子は寂しそうに息をついた。
その時になって銀次は、初めて紅子の感情の片鱗に触れたような気がした。
しかし紅子はすぐに元の人形の顔に戻ると、後ろの広場を指さす。
「行って。私に魂を運んできてくれている商人があそこで待ってる。どうやら彼は貴方にも商談があるらしいの」
「商談? って俺に……?」
銀次は紅子が指さした先を見て驚いた。
空地だったそこには、雲を凌ぐほど高い赤い八角形の塔が聳え立っていた。
「十二階!? 何でっ……!?」
「気づかなかった? ここはもう裏町の中。裏町には現世でなくしたモノも存在しているわ。ただ、あれは魔法使いが新たに創り出したものだけど」
「魔法使い……?」
「えぇ、行けばわかる。貴方には欲しいものがあるでしょう? それが欲しいならお行きなさい」
紅子の強い口調に押されるように、銀次は目の前の十二階を仰ぎ見た。
下から見上げる塔はありし日のものより、遙かに大きく不気味に見えた。
一瞬怖じ気づいた銀次だったが、グッと拳を握り直す。
(商人ってことは……俺の探してきたものが手に入る機会かもしれないっ……)
頭より先に、足の方が動いていた。
気がついた時にはもう駆け出していた。
正面の入り口から十二階に入り、頂上に向かう階段を登る。
一段進む毎に、胸の鼓動が強くなっていった。
息切れなのか、焦りなのか、それとも期待からなのかはわからない。ただそれらが全て混ざったような感情に突き動かされて、銀次はひたすらに階段を登った。
「……はぁ」
頂上についた銀次の頬を冷たい風がなぶる。
つきだした物見櫓の向こうには、表町とも裏町ともつかない浅草の町が広がっていた。六区、浅草公園、瓢箪池に世界堂。
一瞬、その光景に見とれた。浅草という町は、どうしてこんなにも混沌としていて美しいのだろう。
「やぁ、よく来てくれたね」
柔らかな声がして、銀次は辺りを見渡す。
欄干の上に、一人の男が座っているのに気がついた。少しでも上体を傾ければそのまま落下してしまう姿勢なのに、本人はいたって涼しい顔をして笑っていた。
その姿を見た時、銀次は驚いていいのか喜んでいいのかわからなくなった。
「……兄ぃ」
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