1人が本棚に入れています
本棚に追加
「霞、雨。上がったよ。」
雪君の優しい声の音で、昨今の空模様の如く、暗く混濁した意識が再び引き戻されてくるのを感じた。
いけない、少し眠ってしまっていたようだ。
私は目を瞑ったまま、震える手先でベッドの中の彼の胸にしがみ付くと、声帯を必死に震わせ、今にも消えそうな声色で縋る様に彼に囁いた。
「まだ帰らないで。ずっとここにいて。」
「大丈夫だよ。僕は何処にも行かない。ずっと霞の傍にいる。」
雪君はそう言って私を固く抱きしめると、私の細い顎に手をあてがった。
「霞。目は閉じたままでいて。」
私が返事をする間もなく、彼は私の唇に自分の唇を重ねた。
柔く、薄ぬるい塊が唇を押しのけ、閉じた前歯を優しく押してくる。
私は唯、目を閉じたまま、顎関節を緩める。
ゆっくりと口内に入ってくる雪君の舌の感覚に、心地よい安心感と興奮で脳が溶け出し、末端から麻痺していく思考回路。
夢見心地な幸せを反芻しながら、静かに薄く開いた横目で窓辺の先を捉えた。
その水晶に映ったのは、折り畳み傘を畳み、インターフォンのボタンを押して私を待つ、間違えようもない雪君の姿であった。
幸せに蕩かされていた思考は一瞬にして熱を失いながら凝固し始めた。
嗚呼、これは悪い夢。
私の舌に絡みつき、口内をゆったりと愛撫する大ぶりの蛞蝓の粘液で息が出来なくなる。
再び固く目を瞑り、一気に湧き上がる吐き気に身を任せた。
ビチャビチャと音を立てて鼻腔と口内から滝の様に吐瀉物に塗れた大量の蛞蝓がはち切れんばかりの胃から流れ出す。
涙の滲む目で吐き出された蛞蝓達が緩慢に粘液の中で蠢いているのを横目に、さらに強い吐き気を覚えたところで再び、暗く混濁した意識は薄れていき、私の意識はそのまま暗転した。
最初のコメントを投稿しよう!